ケインズの悪魔の恒等式:人は「貯蓄の分だけ」貧しくなる
この章はハイエクの「強制貯蓄説」批判にあてられているが、少々面倒ではある。論争当時に生きた人には分かることが分かりにくくなっている。詳しくは岩波文庫版(上)383ページの訳注をご参照いただきたい。
現代に通じる問題としては、「中央銀行が国債を引き受けて政府が投資を増やせばどういう事態が起きるか」あるいは「銀行が信用創造を行い、企業がそれを原資に投資を行えばどういう事態が起きるか」ということである。ハイエクら古典派では経済は常に完全雇用状態にあり、常に均衡状態である。だから総需要のうち投資が増えた分、消費が減る、と主張した。(*)つまり投資の分だけ減った消費を強制貯蓄と呼んだのである。これが「強制貯蓄説」である。ケインズは雇用量が完全雇用水準以下ではそうはならない、と言う。ここには古典派・現代正統派が知らずにはまっている罠がある。
*完全雇用下で投資をさらに増やすと消費財生産から資本財生産に労働力が移動する。相対的に消費財が高くなり、消費の減退⇒貯蓄の増大となる、という論理である。
非自発的失業を認めないということは経済が常に均衡状態にあるということを意味する。だから国債発行による財政出動は常に悪だ、と主張することになる。「第2章古典派の公準」で次のように触れた。
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「第1公準が意味するのは、組織、装備、そして技術を所与とすれば、実質賃金と産出量(したがって雇用量)とは一意の関係をもち、それゆえ雇用の増大が起こりうるのは、一般には、実質賃金率の低下に付随する場合に限る、ということである。」総産出量が変わらなければ、雇用量×一人当たりの実質賃金は変わらず、したがって実質賃金が減少しなければ、雇用量は増えない、ということである。雇用量×一人当たりの実質賃金=定数なら、どちらかが減らないとどちらかが増えない。しかし総産出量不変という前提は正しいのだろうか?そんなことはあるのだろうか。現代日本でも古典派の公準は生きている。ワークシェアとか言う筆者が一番嫌いな、そして人口に膾炙した概念である。しかし実際にワークシェアなんかやったら不況は永続化する。実際にしたし低賃金労働者を増大させた。不況の原因は別のところにある。
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原資は何にせよ投資を行うと所得が増える場合と増えない場合がある。完全雇用下での新規投資は貨幣価値の下落を招き実質所得を低下させる。不完全雇用状態ではいかなる投資もそれと同量以上の所得の上昇を招く。古典派・現代正統派は常に完全雇用状態にあるという前提に立っているが、今はどっちなんだい?と言うことをこの章でケインズは言っているのだ。
ケインズは次のように続ける
「貯蓄と投資が恒等的に等しくなること、そして個人が彼または他の人々がどれほど投資するかにかかわりなく自分の思うがままの額を貯蓄する明白な「自由意志」を有していること、この二つが矛盾しないのは、本質的には、貯蓄が支出と同様、二面性をもつものだからである。つまり、彼自身の貯蓄額が彼自身の所得に目立って影響を及ぼすとは考えにくいが、彼の消費額は他の人々の所得に影響を及ぼす、だからすべての個人が所定額の貯蓄を同時に行うのは不可能なのである。消費を減らして貯蓄を増やそうといくらがんばってみても、そのような企図は人々の所得に影響を及ぼし、その結果その企図は必ず挫折せざるをえないだろう。むろん、社会全体として貯蓄を当期の投資額より少なくするのも同様に不可能である。なぜなら、そうした企図は、人々の望む貯蓄の総額が投資額に等しくなるところまで所得を引き上げずにはおかないからである。」
ケインズの見解を筆者なりに雑にまとめると
①消費を減らして貯蓄を増やそうといくらがんばってみても、そのような企図は人々の所得に影響を及ぼし、その結果その企図は必ず挫折せざるをえないだろう。
誰かにとっての消費は、誰かにとっての所得である。消費が減れば所得が減りその結果貯蓄も減ってしまう。
②社会全体として貯蓄を当期の投資額より少なくするのも同様に不可能である。なぜなら、そうした企図は、人々の望む貯蓄の総額が投資額に等しくなるところまで所得を引き上げずにはおかないからである。
逆に投資も誰かにとっての所得となり所得を増やす。「人々の望む貯蓄の総額が投資額に等しくなるところまで」という文脈での投資とは、信用創造による投資である。
貯蓄、投資、所得の関係は、所得は消費と投資の結果である。貯蓄は所得から消費に回されなかった分だから次の式が成り立つ。
式A:所得=生産物価値=消費+投資
式B:貯蓄=所得―消費
式Bの所得項に式Aを代入すると、消費が消えて
貯蓄=投資 となる。
この 貯蓄=投資 の恒等式は「悪魔の恒等式」である。上記ケインズの引用のように貯蓄・投資バランスは所得の増減によって保たれていく。貯蓄をするほど貧しくなることがあるのだ。上記ケインズの引用①では消費を減らすと所得が減り結果として貯蓄も減ってしまう。引用②では投資を増やせば所得が増え貯蓄も増える。ことになる。これはもちろん経済が不完全雇用状態にあることを前提にしている。
ここまで、ケインズによる古典派経済学理論の定式化、有効需要の原理、貯蓄=投資バランス、使用費用について筆者なりの新しい光を当ててきたわけであるが、ここまでの章は「一般理論」の全面展開のための助走、諸概念の再定義であった。いよいよ次章から一般理論が全面展開される。それは正統に対する“異端”の名にふさわしい、常識を覆す恐るべき理論である。
今回は少々先走りし過ぎた。
第7章 貯蓄と投資の意味―続論 (ケインズの悪魔の恒等式)