先日、病院で血液検査のデータを見て先生がこうおっしゃいました。
「大変喜ばしいことに、かなり数値はよくなっています。」
自覚症状に比例するように血液検査のデータも良くなっているので、私も「わー」と感嘆の声をあげてしまいました。
しかし、面白いことに、先生は次のように続けるのです。
「理由がよくわかっていません。何か特別なことはされましたか?」
私の病気は、原因も治療法も手探りの中で行われてきました。
だから、病気じゃないと言われることもあったし、先生の治療も奇抜なことをやってると評価されてしまうこともありました。
だけれども、手探りを続けてくれるうちに、私は確かによくなったのです。
そして、よくなった理由もまたわからない、これが吉報でもあります。
病気が教科書的でなければ、治療法も教科書的でない。
この世の中には、まだわからない病気や治療がいっぱいあるのだということが証明できたかな、と嬉しく思っています。
先生と、私が試してきたことをお話ししたり、先生の処方のうちどれが効いたとかそんなお話を重ねて、データと照らし合わせて、よくなった理由を探してくださっているようでした。私も今一度データとにらめっこしたいと思います。
実に8年ぶりの体調です。
信じられません。
浦島太郎ですよね。なんかこの間ソチオリンピックが見られなかったと泣いていた気がするのに。
つらい時間もありますし、まだ関節の痛みは残っていますが、希望を胸に、これからも挑み続けたいと思います。
私はかなり精神的に強靭な人間なのだろうと思います。
周りの皆さんにもとにかく助けていただきましたが、それでもこんな状況で生き延びたのは、ほんとすごいよって自分で褒めてあげています。
中でも娘の力はものすごかったです。娘の存在は生きる意味であり、希望です。
何とか社会の穀潰しでありながらも、生き続けたことで間違いなく得られたことがあります。
患者がもがき続けたために、得られた治療法がここに提示されるのです!
息をし続けてきて、よかったです。
同じような憂き目にあっている方に、何かお伝えできるような日が来るように、さらなる努力をして参りたいと思います。