日本が皆保険制度であることはご存知だと思います。
この保険制度に則ると、保険診療においては、ある病名に対してはこの薬が処方できる、ということが決まっています。
つまり、病名を書かないと、薬を処方できません。
くだらないところでいきますと、患者が薬を多様しているので胃が痛くなってきた、などというケースで胃薬が欲しいですとお願いします。
副作用ですから仕方ないですね、と医師も言うわけにはいきません。
そこでその患者さんには、「胃潰瘍」などという病名をつけて適切だと思われる胃薬が処方されることはしょっちゅうなのです。
これを現場は仕方がないこととして受け止めているようです。
患者の方もきっとそうです。
自分は胃潰瘍じゃないよ!なんていう人はほとんどいなくて、今この痛い状況から救ってくれる適切な薬があるなら、どんな形でも飲みたいと思うでしょう。
現場と建前の乖離は、今に始まったことではありません。
それでも、患者さんのため、とあらば、医療者はできる限りのことをしてあげたいはずです。
ところが、そういうことばかりではありません。
私は病名がたくさんあります。
上記のような理由のこともあるでしょう。
新しいお医者さんを探す旅の中で、「なんでこの薬飲んでるの?違法的だね。」と言われたことがありました。
今の私には必要なお薬を、違法だと言われてしまいました。
その薬がないとあの苦しみを味わうと知っています。
麻薬にしがみつく人間と同じ構造かもしれないと思いました。
私は法を犯して生きている存在なのか。
私は一体なんなんだろうと思いました。
薬を処方してもらえないと生きていけないなんて、まるで医療の従属物のようで、途端に自分のことがおぞましく感じました。
でも、今まで必死に処方してくれた医師に、反くようなことはしたくないと思いました。
またしても逃げたくなるような気持ちを、今回は抑えることができました。
だって、前の主治医は
「医者はね、頭のおかしいやつばっかりなの!気にしないこと!」
って、えらく真面目にしかめっつらで話してくれたことがあったので。
「えっ!先生・・は・・・(そのお医者さんでは・・)。」
「わっはっは。」
先生は、僕もほら、おかしいでしょって笑い飛ばしてくれているようでした。
確かに、医療界から見たら、異端児だったのだと思います。
がんばろうって思えた時でした。
その先生が必死に考えて処方してくれたお薬で、私は良くなっているのです。
それが違法だとしても、患者がここまで良くなっているのなら、逆に違法にしないように法整備すべきですよね、とすら思いました。
あんなボロ雑巾みたいだった人間に、あんなに必死に薬を処方してくれたのは、先生だけでした。
私のぶよぶよになった気持ちの悪い手や足を素手で触ってくれたのも先生が初めてでした。
人間として扱ってもらえているのだと、染み入るように生きる力をもらったと思います。
ずっと先生に支えてもらってきたのに、ここで負けたら先生の診療を否定するみたいですごくいやでした。
弱い弱い人間である私は、その場で怒ることも言葉にすることもできませんでした。
無力な人間です。
何かしたいなと思って動き始めても、病状は私の行動をいとも簡単に制限してきます。
でも、心だけは負けてはいけないと。
言いながら、負けて泣く日々でした。
泣きながら歩く日々は、まだ続いているのだと実感する日々でした。