とどちゃんの縁側でひとり言・・・。

日々の生活の中で見たこと感じたことを記録していきます。

蒸し暑い夜に・・・

2006-05-11 21:54:28 | 怪談・不思議
その家に引っ越したのは、今から20年近く前のことだ。
父が若い頃に仕事中に怪我をして、労災やら障害年金等で思いがけず当時にしては大金を手にしたとかで、父の母が「何か残るものを・・・」との勧めで購入した土地に家を建てたのは、土地を購入してからも17年くらいの歳月が流れていた。
それまでも何度か草むしりやら、何やらで私もその場所には足を運んでいた。
家が出来た当時、すでに専門学校へ住み込みで通っていたので実際にその家に住むのは家が出来てから2年くらい経ってからのことであった。
2年と言っても、かなり神経質な父が「廊下に傷をつけるな」等口うるさく言っていたし、母も初めてのマイ・ホーム、かなり気を使って手入れをしていたので、きれいに使われていた。
父はこだわりのある人で、この家もデザインからすべて大工さんと話をして決めたもので、当時、窓も何も規格外の大きな窓で、天井も平屋なのに2階建てと同じ高さ、瓦もガラス瓦を使用して、廊下からの天窓から日が射す様なつくりになっていた。
どうも不便を感じたのはいつ頃からだったろうか?
天井も高く、窓も大きい、明り取りの窓もあるのに、家の中が「暗い」のだ。
日中も茶の間で手紙を書こうとか、本を読むのも電気を点けたくなるのだ。
点けなくても読める事は読めるが、「何か暗いな」というのが印象だった。
特に廻りに高い建物があるわけでも無いのに何となく日が入らない印象をもった。
まあ、当時はそんな事もさほど気にする事もなく、それが普通と思っていたのだが・・・。
そんなある日の事、一番下の弟が一人で歩けるようになって、多少言葉も話せる様になった位だから、1歳から2歳くらいの時の事だった・・・。
この弟は私がこの家に帰ってきた年の6月に生まれた。かなり年の離れた弟である。
弟はいつもの様に一人でおもちゃで遊んでおり、私は茶の間でその様子を見ていた。
夕方も6時を過ぎて、辺りも大分暗くなっていた。
茶の間の隣は床の間のある座敷、その部屋の電気は点けていなかった。座敷へ続く襖も開け放たれていたし、茶の間の電気は点いている、部屋には私と弟の2人だけ、台所で母が夕飯の支度をしていただろうか?
他の弟妹も何やら自分の事をやっていた・・・。
すると、遊んでいた弟が何やら判らない言葉を話しながら、暗い座敷に入ると、まるでそこに誰かがいるように、うなずきながら何やら話しをしているのだ・・・。
ちょうどその頃だ、我が家の天井裏にコウモリが住み始めたのは・・・。
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ちょっと同情します・・・。

2006-05-11 18:05:19 | 社会
「性的嫌がらせで殺意」と供述、3人殺傷事件 (朝日新聞) - goo ニュース
どんな理由があるにせよ、人を殺める事は許される事ではありません。
でも、世間では「殺されても仕方ないよね」と言いたくなる人って、意外と多いんですよね。
遊び仲間にもいたりしたでしょ?
「あいつ、そのうち殺されるんじゃないか?」
と思ってしまうような人が、だれでも一人くらいはお目にかかってるはずです。
今回の事件で被害に遭われた方が、果たして、犯人の供述通りの人物であったかは私達には知る術もありませんが、実は、子供の頃の「いじめ」が原因で大人になってから被害に遭われてる方、多いんですよね。
私も、小・中といじめにあっておりましたので、犯人が「いじめを恨んで」と言うのが本当ならば、その気持ちは理解できます。
私の場合は「いじめ」と言っても大した事ではありません。別に暴力を振るわれたとかっていう事もありませんでしたし、仲間はずれ的な事はありましたが、友達もいましたし、先輩にも随分良くしてもらえましたから、確かに一時期学校に行きたくない時もありましたが、自分も悪い所があったので、それなりに過ごしてきました。
こんな、「いじめ」とも言えない様な、子供の頃なら誰でも一度位仲間はずれになったり、順番でいじめられる様なよくある事でも、私自身はかなり「トラウマ」になっています。
この「いじめ」は程度の問題では無いんですね。
大人になっても「こんな事いったら馬鹿と思われるんじゃないか」「どうせ私の話何て聞いてもらえない」と全てにおいて自身が無くなって、人前でも何も話ができない・・・という「トラウマ」が現れます。
誰もが自分が失敗するのを待っていて、見ているような気がしたり、とにかく人間不信には間違いなくなります。
一番多感な時期に嫌がらせを受けたり、孤独感を味わうのですから尾を引いて当然です。
大人になって、誰にだって欠点はあるし、うまくかばいあって生活するのが社会だと理解できる様になるには、やはり、それなりの「人との係わり合い」があって、沢山いろんな経験をしないと、まして、いじめを受けていた人間は頑なに人を拒みますから自分で「変わろう」としないと難しいでしょう。
子供同士のいじめは、「子供だから」といじめられる方も、いじめてる方も簡単に考えがちですが、実はかなり、いじめを受けてる方はダメージを受けていて、それも、その子の一生を左右しかねない事があるという事を理解して下さい。
確かに、嫌われる人はいます。
自分が嫌いな人には、係わらない様にして、と言っても無視するとかじゃなくて、話かけられれば答える位でもいいじゃないですか。深く係わらなければいい事です。「汚いから」「性格が悪いから」なら、係わらなければいいんです。友達にならなくても単なるクラスメイトで、まあ話しかけられれば答えるけど・・・遊びに行ったりとかはしないなあ・・・位でいいじゃないですか?「いじめ」る必要はありませんよね。
殺人がそうである様に、「いじめ」もどんな理由があるにせよ許してはいけない事なのです。
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