とどちゃんの縁側でひとり言・・・。

日々の生活の中で見たこと感じたことを記録していきます。

全国のお嫁さま・・・。

2006-05-21 23:16:14 | 徒然なるままに・・・。
母の日も終わり、次は父の日ですね。
所で、どうしてます?父の日・・・。
自分の父ではなくて、義父への贈り物って・・・。
我が家の義父は、お酒もタバコもやりませんし、洋服もね・・・。
これまでは、甚平とか、下着とか、シャツ、畑など外に出るときに着る作業着等にしていたのですが・・・。
相方曰く、「どこか連れて行けばいいかな」と言うのですが、どこに連れて行けば喜ぶのか・・・。
花でも見に行けば喜ぶのか・・・?
神社仏閣はあまり好きでもなさそうですし・・・。
温泉とか連れて行けば良いのかもしれないけど、私も休みがあわないのよね・・・。
それに、持病の関係であまり遠くに行ったり、長い時間歩いたりできないので・・・。
何かおすすめありませんかねえ・・・。

        
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蒸し暑い夜に・・・5

2006-05-20 20:18:46 | 怪談・不思議
今から2年位前のお正月。
夜になって、私は実家へ行こうとしていた。
相方は家に持ち込んだ仕事もあり、結局一人で行く事になってしまった。
何となく気分が乗らなかった・・・。
「行くのやめようかな・・・」
相方にも相談したが、せっかく行くと言ってあるんだし、準備もしてるだろうから行って来いと言われ、渋々車に乗り込んだ・・・。
実家へ行くには、自殺の名所H橋を渡らなくてはいけない。
それでなくとも何となく気が重いのに・・・。
国道へ出る方法もあるが、どうしても近い方を選んでしまう自分も悪いのだが・・・。
冬だし、辺りも当然真っ暗だ。
それでなくても山道、何も無い、街灯もポツン、ポツンとしか点いていない所をひた走る・・・。
何とか無事に着いて、食事をしたり、来ていた親戚と話をしたりしていたのだが、どうにも落ち着かない・・・。
「帰りたい」そんな思いが始終頭をよぎっていた。
多分、1時間くらいしか居なかったのではないか?
いつもなら「いつ帰るんだよ」と突っ込まれそうなくらい長居するのに、何せ帰りたくて仕方なかったのである・・・。
皆に別れを告げて、車に乗り込んだ・・・。
車内の異様な雰囲気。
「居る」咄嗟に頭にその言葉がよぎった。
何かが車の中にいる空気がした。しかも、あまり良い気じゃない。
後部座席に何かが乗り込んでいる・・・。
「とにかく帰ろう」
車のエンジンをかけ、バックミラーもなるべく見ないようにして、ひたすら心の中で「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えた・・・。
何かの時はこのお題目が一番効果があるのだ。
やっとの思いで家に着くと、家の庭に黒い影が家に入れずにいるのが見えた。
相方がいる為だろう。
相方はかなり徳の高いお坊さんが守ってくれているようで(これは誰かに見てもらったわけでは無く、私が感じるだけです)彼の周りには悪いものが近づけないのだ。
家に入ると、車の中の気配はスッと消えた。
急いで相方の所へ行き「いや~・・・怖かった、ず~っと何か車の中に乗ってた」と事の顛末を話した。
後日、その話しを実家で話したら、妹が気になる事を言った・・・。
当時はまだ妹も離婚していなくて、その時も夫が一緒にいたのだが・・・。
「そう言えば、この前、お姉ちゃん来た時、なかなか車から降りて来ないからカーテン開けて見たら、彼が女の友達乗ってるから何か話してんじゃねえ?って言ってたよ。私、友達なんか乗ってないって言ったんだけど」
・・・また連れてましたか・・・。

注:私、お題目はあげますが、宗教団体とは一切関係ありません。
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気がつけば・・・。

2006-05-20 13:59:25 | 徒然なるままに・・・。
今週は2回しか更新してなかったのね・・・。
来週はもう少し気合いれないと・・・。
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蒸し暑い夜に・・・4

2006-05-18 20:14:44 | 怪談・不思議
私自身は、「それ」に命を奪われそうになったとかは無かったと信じてる。
その時は怖い思いをしたとしても、後々まで色々あった・・・という事は無かったと思うのだが・・・。
まだ結婚する前の話しだ。
当時、私は相方の家に毎日通っていた。仕事帰りに真直ぐ家に寄って、深夜の3時頃帰るという生活を1年半くらい続けていただろうか?
その日も帰る時間になった。
外は激しい雨が降っていた。
あまりにも激しい雨だったので、帰り際ふと頭の中を「彼女の元気な姿を見たのはこの夜が最後だった」何てフレーズが頭をよぎったほどだった。
まあ、あまりにも縁起が悪いので何も言わずに「じゃあね」と車に乗り込んでエンジンをかけた・・・。
彼の家を出て、よく交通事故のある交差点を通過。
イヤな思いが頭をよぎったので、信号もきちんと確認、スピードも落として通過した。
「良かった。何も起こらなかった」
確かに気が緩んだのだろう・・・。
その後も「気をつけなきゃ」とは思っていたが、彼の家を出た時ほどは緊張していなかったかもしれない。
車は国道4号線を郡山方面へ向かって走っていた。
辺りは漆黒の闇。雨は相変わらず激しく降っているにも拘らず、トラックは激しく水しぶきを上げて隣の車線を走っていく・・・。
緩やかなカーブに差し掛かった時だった・・・。
タイヤが小さく滑ったのだ。
「おっと」と思い体制を立て直そうとハンドルを戻しゆっくりブレーキを踏んだ。
滑ったのは本当にわずかだった。
それなのに、タイヤは横滑りを繰り返す。
何度もハンドルを切り返す。
横滑りはどんどん大きくなり、もはや立て直しは不可能「やばい!」と思った。
このままでは他の車を巻き込むか、死ぬだろう。
進行方向左側には歩道とカードレール。立ち木が等間隔で植えてあった。
右側は反対車線との植え込み。
「左に突っ込んだら死ぬ!」
とっさに頭に過ぎった言葉がこれだった。
突っ込むなら植え込みだ。
右にハンドルを切り、ブレーキを踏んだ。
・・・止まった・・・
植え込みに突っ込んで車は止まったのだ。
一瞬「ほっ」としたが、このままでは後続の車がぶつかる可能性がある。
「落ち着け」と自分に言い聞かせ、車をゆっくりバックさせ、何とか路側帯に寄せる事ができた。
その後は相方に電話して来てもらい、JAFを呼び、親戚の車屋まで運んでもらった。
車は前輪のタイヤを支えている車軸が真ん中から折れ、廃車となってしまった。
この事故で不思議だったのは、車が小さく滑った時から植え込みにぶつかって路側帯まで車を動かすまで1台も後続車がいなかった事。
いくら田舎とは言え、国道のバイパス。夜中はトラック等の大型車が多く走るのにこの時間は私以外走っていなかったのだ。
そして・・・それよりも不思議なのは・・・。
私が事故ったこの現場・・・。
私が事故る10年近く前に・・・。
相方のいとこもここで亡くなっているのだ・・・。
友人の車に乗っていたところ、検問を通り抜けようとしてスピードを上げ、カードレールにぶつかって即死だった。
この事故はその当時かなり大きく報道されたので私の記憶にも残っていた。
覚えていたのも不思議と言えば不思議だが・・・。
余談だが・・・。
国道4号線医大の辺りから松川までの間は死亡事故が多いのは気のせいではあるまい・・・。
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イライラするったら・・・。

2006-05-18 19:29:20 | 職場
別に、サボり癖が復活したわけではないのです。
月曜日の午後からパートのナースがお休みしまして・・・。
そこから、もう一人のパートナースと私の格闘が始まったのであります・・・。
更年期でもはいってるのか?
よく判らないのですが、なんせ、落ち着きが無い・・・。
仕事に来ると帰る事しか考えて無いのです。
おまけに・・・今の職場での勤続年数は私より遥かに長いのに・・・。
「え~初めて聞いた」
って・・・。
私が来る前から決まってる事も「初めて聞いた~」

まあね、帰りたいのは誰でも一緒だろうけど、もう、帰る時間が近くなると益々落ち着かなくなっちゃってテンションも急上昇
一人で急上昇ならいいんですけど、みんなを巻き込んで、仕事もゴチャゴチャにしていくのでみんなも参っております・・・。
生気を吸い取られております・・・。
明日は彼女出勤してくれるのかしら・・・。
子供の具合が良くなっていますように・・・。
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蒸し暑い夜に・・・3

2006-05-15 22:28:48 | 怪談・不思議
その「感」があると気がついたのはいつ頃だったろうか・・・?
私が初めて「幽霊」と言われるものを目撃したのは中3の頃だったろうか?
以前から母は「感」の強い人ではあった・・・。
特別、何かを見たという話は当時まだ聞いていなかったが、母がよく「お母さんを泣かせたりした人は必ず良くない事が起こる」と話していたのは覚えている。
母の念がそうさせるのか、人の不幸を笑った罰なのかわからないが、実際治らない病気になったり、自分が築いてきた家を出される羽目になったりした人もいた。
そんな母と、父の従弟の家に車で向かった時の事だ。
辺りがすっかり暗くなっていたので、夜も遅い時間だったか?その従弟の家も交通量も少なく、田んぼや山ばかりの所なので、それでなくとも暗いのだ・・・。
何気ない話しをして車を走らせていくと、途中2手に分かれる道がある。
一本は細い道路、メインは県道。
細い道を行くと阿武隈川のカヌーの練習などができる場所に行けるようになっている。
私達は県道をそのまま走るはずだった・・・。
その時だった。
2手に分かれる道の細い道の方から女の人が車に飛び込んできたのだ。
「危ない!」
母と私は同時に叫んだ。
母は急ブレーキを踏んでその場に車を止めた。
一瞬、車内に冷たい空気が流れた・・・。
二人ともすぐに我に返り、お互い確認しあう様に、まるで自分にも言い聞かせる様に言葉を発した。
「今、人が飛び込んできたよね・・・」
車の周りにはどこにも人の気配すら無く、真っ暗な道に点々と点いた街灯が浮かんでるだけであった。
そのまま従弟の家に向かった私達は、それまでの恐怖を振り払うかのように陽気に言ってみせた。
「今、幽霊見てきちゃったよ~ん」
その後からだと思う・・・。
母がよくあちこちで幽霊を見るようになったのは・・・。
と、言うよりは私に教える様になったのは・・・。
ちなみに・・・。
私と母が目撃した場所は、当時、交通事故とは全く無縁の地域で唯一死亡事故があった場所だった・・・。
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さぼりぐせ・・・。

2006-05-15 22:00:28 | 徒然なるままに・・・。
毎日忙しいわ、母の日だわで、マタマタさぼっちゃいました。
たまった録画番組も見れず・・・。
洗濯物もたためず・・・。
一体何してたんでしょうね?
先ほどは、物置の下にタヌキかハクビシンか判りませんが、小動物が入り込んで出れなくなっていたらしく、ガタガタ、キューキューと大騒ぎでした・・・。
そんな山の中なんですわ・・・。私の家・・・。
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蒸し暑い夜に・・・2

2006-05-12 23:29:19 | 怪談・不思議
「材木屋があるからね・・・集まるんだよ、こうもりが・・・。」
母が、こう言った。
日中になると、庭にコウモリの死骸が落ちている事もあった。
夜になると、家の屋根からコウモリが飛び立って行く。
夏の、ある日の事だった・・・。
その日、私と母、そして、1番下の弟と3人でリビングで過ごしていた。
天気のいい、福島の青い空が広がっていた。
リビングの書棚によりかかり、出窓から見える空を眺めていた・・・。
道をはさんで、お向かいの家の前には電信柱が立っていた。
すると、側にいた弟がこんな事を言った・・・。
「何で、あんな所にいるんだろうね」
何のことか判らず、「どこに?」と聞くと。
「あそこに、」と電信柱を指差した。
「頭に三角の帽子かぶって、裸んぼでいるんだよ」
電信柱の上に裸で、三角の帽子をかぶった人がいると言うのだ・・・。
私と母は顔を見合わせる以外、何も言葉が出なかった・・・。
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堕ちていく日本・・・。

2006-05-12 21:46:24 | 社会
先ほど、TVを点けたら「私が離婚した理由ベスト100」何て言うものをやっていた。
まったく、こんな低レベルの番組をゴールデンに持ってくるとは、日本のテレビも死に絶えたな・・・。
大体、夫婦とは2人で初めて成り立つもの、これが、全部女性サイドの言いたい放題とは・・・。
私、思うんですけど・・・。男女平等・ゆとり学習・男女雇用均等法。どれも結末があまりにもひどい。
今回は夫婦の問題ですので、そこに絞らせていただきますが。
よく、「誰が飯食わせてると思ってるんだ」と言われたと嘆いてる奥様いらっしゃいますけど、一言言いたい。「だって、本当に食わせてもらってますよ」
奥様が専業主婦なら尚の事。
「だって、私だって家事に育児に大変なんです。一生懸命やってるのに、判ってもわえなくて」
まず、一つ。
判ってもらえる為にやってるわけじゃ無いですよね。
主婦なら当然、やって当たり前の事ですよ。
「男女平等って言うじゃない!」
そう!これ良くないよね~・・・。実は、平等じゃない方が女性の方が楽だって知ってた?
あ~・・・お馬鹿さんだから理解できないよね。平等になったお陰で、女性がすっかりお馬鹿さんになっちゃったの・・・。
だから、今時、家事も育児も満足にできないし、外に出て仕事させても仕事ができない。
「だって~平等なんだから、男の人もやらないんだから私もやらな~い」
これを甘やかした男性諸君にも問題ありなのよ。
日本は単一民族。
だから、当然この民族しかもっていないDNAもあるわけで、アメリカの真似をしたところで上手くいくわけがない。
男尊女卑で歴史を作ってきたから、ここまで発展してこれたのです。
夫が外で汗水流して働く。妻はきれいに掃除された家で、おいしい食事を作って待っている。子供も妻が家でしっかり面倒を見てくれる。
夫にとって、これ程安心して外に出れる条件はありませんよ。
毎日、食事が摂れて、暖かい布団で雨風しのげる家で眠る事ができる。
これは皆、夫が外で仕事をしてくれるお陰ではありませんか?
共働きも同じ事です。
自分から働きたくて始めた人、収入安定の為に始めた人、色々いると思いますが、どちらにしても、自分で選んだ事です。
「あなたの為にしてるのよ!」何て思わないで下さい。夫も家の為に、あなた達の為に仕事してるのです。
それをグズグズ「私も仕事してるんだから手伝ってよ!」何て言うくらいなら、最初からやめなさい。
って、言うか、私も共働きだけど、疲れて夜遅くまで仕事をしている相方を見て「家事を手伝え」とかとてもとても言えませんけどね。
休みの日はゆっくりさせてあげたいし・・・。休日は自分の好きな事させてあげたいと思うし。
多分、夫の事をグズグズいう人って、夫をよく見てないんだよね。自分の事だけ見て欲しい。
それじゃ上手くいくはずないよね。
「私は、こんなに家の事やってるのよ。ねえ、見て見て!」って感じで・・・。
夫の表情とか、疲れ具合とかきちんと見てないんだろうな。
自分を見て欲しいなら、相手をきちんと見る事です。
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蒸し暑い夜に・・・

2006-05-11 21:54:28 | 怪談・不思議
その家に引っ越したのは、今から20年近く前のことだ。
父が若い頃に仕事中に怪我をして、労災やら障害年金等で思いがけず当時にしては大金を手にしたとかで、父の母が「何か残るものを・・・」との勧めで購入した土地に家を建てたのは、土地を購入してからも17年くらいの歳月が流れていた。
それまでも何度か草むしりやら、何やらで私もその場所には足を運んでいた。
家が出来た当時、すでに専門学校へ住み込みで通っていたので実際にその家に住むのは家が出来てから2年くらい経ってからのことであった。
2年と言っても、かなり神経質な父が「廊下に傷をつけるな」等口うるさく言っていたし、母も初めてのマイ・ホーム、かなり気を使って手入れをしていたので、きれいに使われていた。
父はこだわりのある人で、この家もデザインからすべて大工さんと話をして決めたもので、当時、窓も何も規格外の大きな窓で、天井も平屋なのに2階建てと同じ高さ、瓦もガラス瓦を使用して、廊下からの天窓から日が射す様なつくりになっていた。
どうも不便を感じたのはいつ頃からだったろうか?
天井も高く、窓も大きい、明り取りの窓もあるのに、家の中が「暗い」のだ。
日中も茶の間で手紙を書こうとか、本を読むのも電気を点けたくなるのだ。
点けなくても読める事は読めるが、「何か暗いな」というのが印象だった。
特に廻りに高い建物があるわけでも無いのに何となく日が入らない印象をもった。
まあ、当時はそんな事もさほど気にする事もなく、それが普通と思っていたのだが・・・。
そんなある日の事、一番下の弟が一人で歩けるようになって、多少言葉も話せる様になった位だから、1歳から2歳くらいの時の事だった・・・。
この弟は私がこの家に帰ってきた年の6月に生まれた。かなり年の離れた弟である。
弟はいつもの様に一人でおもちゃで遊んでおり、私は茶の間でその様子を見ていた。
夕方も6時を過ぎて、辺りも大分暗くなっていた。
茶の間の隣は床の間のある座敷、その部屋の電気は点けていなかった。座敷へ続く襖も開け放たれていたし、茶の間の電気は点いている、部屋には私と弟の2人だけ、台所で母が夕飯の支度をしていただろうか?
他の弟妹も何やら自分の事をやっていた・・・。
すると、遊んでいた弟が何やら判らない言葉を話しながら、暗い座敷に入ると、まるでそこに誰かがいるように、うなずきながら何やら話しをしているのだ・・・。
ちょうどその頃だ、我が家の天井裏にコウモリが住み始めたのは・・・。
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