アオバズク…フクロウ目フクロウ科
[学名]Ninox scutulata japonica(Temminck & Schlegel)
Ninoxは、“夜の鳥”、seculutaは、“碁盤目”
[英名]Brown Hawk-Owl
[別名]テッテポッポ、クロフクロウ、メメズク、ヤブモッコ、サツキドリ
[形態]嘴峰14~15mm。翼長202~228mm。尾長107~124mm。跗蹠25~30mm。
フクロウ中最も普通な種類。羽角はない。黒褐色。上面黒褐色。頭上は特に黒味
強い。尾には数条の黒帯。下面も殆ど黒褐色。胸から腹にかけて白色の研著な縦
斑。跗蹠には羽毛あるが、趾には、刺羽がある。虹彩は鮮黄色。
[生態]夜間、ホーッ、ホーッと2声ずつ鳴く。我が国に春期渡来、人里近くの森・市街
地の庭園・神社・境内などの森で繁殖。昼間は、繁った樹枝上で休み、夜間活動。飛行は
直線的で速い。大型昆虫を主食。冬期は中国南部・フィリピン諸島などに渡去し越冬。
南日本に稀に越冬するものも。
[巣]ケヤキ・エノキに。
[卵]5~7月。純白。35~38×30~32mm。3~5個。
[分布]科として属種。北海道・本州・四国・九州など分布。
[亜種]チョウセンアオバズク、リュウキュウアオバズク
[エソロジー]「視覚的受容器の強さの限界値、フクロウは人間より低い。アメリカ
フクロウは、0.00000073フィート燭光で、6フィートの距離から獲物に直接飛びつく
ことが出来る」(「本能の研究」より)
「フクロウに見られることだが、餌を求めない場合、ごく僅かしか餌を与えず、反応
が弱まって行き、ついには死ぬ」
「木に止まっているフクロウの周りの潅木に、あるいはまた、餌を漁り歩いている猫
の上に集うことがある。」
「ダイスは、いろいろな程度に地面の色とマッチした色あいのハツカネズミを見せた
場合、フクロウはよくカモフラージュされたハツカネズミよりも、先ずそうでないも
のを捕えることをみた。」
(「動物の言葉」より)
[「ヒトと動物」より](N・ティンバーゲン(動物界における闘争と威嚇))
「1 闘争。90%以上同じ種2匹特にオス同士。繁殖期に最高潮に。
2 嘴、翼、けづめ、牙、足。
3 種の維持のため。
4 ダーウィン、自然淘汰。
5 近接して生活しない。攻撃=逃避システム。
6 1羽の<住居を持ったオス>。食糧貯蔵の場。
7 セグロカモメ。分散した繁殖の場。種維持の機能。
8 繁殖を無事に終らす上で不可欠。
9 その生態学的機構。母親、太陽をコンパスとする方向選択。浮遊装置。
10 社会生活と単独生活を交互に。
11 バランスのとれた闘争=逃避システム。種の繁殖にとって本質的な状態の確保。
[漢字]青葉木梟、緑葉木梟、ニ声鳥
[歌]青葉木梟よびかふ頃の嵯峨の月 (鈴鹿野風呂)
青葉木梟鳴きつぐ夜さを父病めば幼かる日がしきり恋しも (穂積忠)
「[博物誌」より]「燕 かわら鶸「燕ってやつは・・煙突を樹だと思ってる」 蝙蝠
「昼、しゅっちゅう道を間違えてる・・夜飛ぶと、ひっきりなしに死ぬ目に会う」」
[「海潮音」より]「信天翁 八重の潮路の海鳥の沖の太夫を生捕りぬ、・・心閑けき
飛鳥かな、・・天飛ぶ鳥も、降りては、やつれ醜き瘠姿、」
[「月下の一群」より]「小鳥が歌ふ どこやらで小鳥が歌ってる ・・この小鳥
について何を言はう ・・兵隊たちの小鳥は恋だ ・・青い小鳥よ お前の声を
繰り返し聞かせておやり」
[「鳥の生活」より](視力と聴力について)
「1 サバクビタキ。虫集め。
2 視覚・聴覚。
3 キウィの発達した嗅覚。
4 カモメ・フクロウの聴覚。
5 ツグミ・渉禽の視覚。チゴハヤブサ・カモメ・コクマルガラスの視覚。
6 鏡の実験。
7 シギのクチバシの触覚。」
[コメント]
アオバズク。小5・6の野鳥斑の顧問の渾名だった。今は中心街になった名古熊・
一色が観察の場だった。小中のクラブ活動の規模としては、放課後にかけて郊外
に観察に出掛けた。そのまま解散。望遠鏡と図鑑と観察日誌を持って行った。5
~6人の集団だった。図鑑に思い出が2つ。平安堂に世界鳥類図鑑を買いに行った。
宇田川竜男訳。当時2800円は良い値段だった。お年玉を全部集めても1/3に
満たなかった。谷川線で父の車が追い越した。車を止め、乗せて貰って書店まで。
大部不足していた。父が足らぬ分出して呉れた。さらに遡って2年前、最初の図鑑
を祖母と購入に行った。担任の一ノ瀬先生がいらっしゃっていた。歴史、殊に武田・
上杉の歴史のご著書を何冊か著されていた。その時も文献を探してなのだろう。兎
に角、翌日、皆の前でわたくしのことを話題にされた。「鳥博士の乗倉」。高校時代
までそう呼ばれた。小5の時、お体を悪くされて職務から離れた。暫くして、先生
からお手紙が来た。「信州大学に有名な羽田先生がおられ、知り合いだから紹介し
ようか?」そんな内容だった。その後、高校2年、信州大学で野鳥観察研究会があ
った。土曜日、学校を休んで松本(長野?)まで行った。羽田先生にお目に掛かる
機会を得た。棲み分けの報告だった。何の鳥だったか忘れたが、水鳥だった。そん
な様々なご縁があった。小さい頃の夢は山階鳥類研究所の所員だった。時代を経て
長野オリンピックのマスコットがフクロウ(だった?)。野鳥斑の先生は、どう感慨
を持たれていたのだろうか?小津の映画に「瓢箪」という渾名の先生が登場する。
小6の時代の雰囲気をやけに生々しく描いている。そう云えば、監督の別荘“雲古
荘“は奥蓼科とか。野鳥を追っていた小学生の頃、日夏先生に城下でお会いした。
父の商売で、山梨・塩山まで荷を運んでいた。奥蓼科に寄れば監督の食事をされて
いる風景に遭遇出来たかもしれぬ。浪人して東京から帰省する列車の中、聡明そう
な小学生の前に気品のある先生が座られていた。乗り合わせただけの偶然の2人の
遣り取りを聞いていた。信大医学部の先生とのこと。新宿から岡谷まで、学問の素
晴らしさを切々と語られていた。その少年がどう立派な大人になったかも知りたい。
ちょっとした励ましがその人の大きな原動となる。涌き出る泉となる。出会いは素
敵だと思う。その人の人生を大きく変える。その人の内で涌き出る命の言葉となっ
て留まる。