St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

映画「聖ステファノ」を作って欲しい

2009-01-22 14:39:10 | 映画

今、映画「マリア」を見ている。「パッション」に続いて2作目。今年元旦。朝日さんの広告に予告。バチカンを・・・、の映画。思った。3作目として、「聖ステファノ」を作って欲しい。「ブラザー・・・」は、4作目。


第2主日(1/18)カトリック飯田教会ミサより(1つの典礼)

2009-01-22 14:33:42 | アート・文化

表紙
「見よ、神の子羊だ」
入祭唱
「神よ、すべての人はあなたを伏し拝み、み名をたたえて喜び歌う」
挨拶
「今、大寒。かなり寒い。今日は、レベッカクマエさんのため祈る。熊谷
タネさん他のために祈る。また、ブラジル人たちが解雇されている。松
川では、殆どの人がクビになって困っている。言葉の問題があって、ど
うしたら良いか悩んでいる。午後は、ポルトガルのミサ。鎌倉の神父が
来られる。彼らの力になってあげるにはどうしたら良いか。話し合いをし
たいと思う。わたしたちもミサの中で彼らのために祈りましょう」
第一朗読(サムエル記)
「主よ、お話しください。しもべは聞いております」
答唱詩編
「神の御旨を行うことは、私の心の喜び」
第二朗読(使徒パウロのコリントの教会への手紙)
「あなたがたの体はキリストの体の一部である」
アレルヤ唱
「油注がれた者キリストによって、恵みと真理は実現した」
福音説教(ヨハネによる、1・35-42)
「彼らはどこにイエスが泊まっておられるかを見た。そして、イエスのも
とに泊まった。」
「先週は、「ヨハネがイエスに洗礼を授けた。」だった。今日は、主の洗礼。
罪のない方イエスにヨハネが洗礼を施す。その時、天から声がする。
「わたしの愛する子」 この時、御父が御子をわたしたちに正式に紹介さ
れた。そして、イエスの十字架上の死。翻って、わたしたちの洗礼。このこ
とによって、わたしたちは、神の子とされる。「あなたは、わたしの愛する
子」 神が、そう呼びかけてくださる。そう認めてくださる。そう恵みをくださ
る。それは、一方的な恵み。何故か?わたしたちと神との関係は、創造主
と被造物の関係、神から見れば、わたしたちは、塵芥。だから、神は、無条
件で、わたしたちを愛する子供としてくださる。神は、無条件で、わたしとあ
なたの関係にしてくださる。親と子の関係としてくださる。それは、「わたした
ちが、神に対する愛の証しをしたから、神は叶えてくださる。」ではない。「お
祈りをしたから叶えてくださる。」そんな安っぽいものではない。
今日の第1朗読。サムエルは、神と出会わなかった。知らなかった。でも、
神を求める前から、神は呼びかけてくださっていた。何時も神はわたしたち
に呼びかけてくださる。叫びかける、そうすると答えてくださる、ではない。
神は何時もわたしたちの側におられ、呼びかけてくださる。「神の子=イン
マヌエル」の意味は、「神はわたしたちと共におられる」 ヤーウェ=「神は
わたしたちと共に」 第4日曜日の英語ミサ。聖体拝領の後。歌。「神は何時
もわたしたちと共に居られる」 しかし今、わたしたちは、神が見えない。神
を悟れない。神を探し続ける。今日の福音の中。アンデレ。「主よ何処にお
泊りですか?」 神に対して何時も心を開いている。そして、イエスの弟子た
ちについていって、「何処に泊まっているか?」 常にイエスを求め、探した。
イエスについていって泊まった。感動した。わたしたちも、何時もイエスを探
す。「イエスよ、何処におられるのか?」 常に問い掛けて一生を過ごす。イ
エスは、わたしたちのところにおられる。第2の19節。「知らないのですか?
あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿。」 神様で
あるイエスの十字架の死によって罪が贖われた。わたしたちは贖われた。
わたしたちの体は神様のもの。また、聖霊によって、マリア様は懐胎された。
ミサの中で、パンとぶどう酒を捧げ、「聖霊によって尊いものにしてください。」
聖霊によって新しいものが作られる。新しく作りかえられる。神を遠くに求め
る必要はない。「神はわたしたちと共にいる」 わたしたちは、神という大海原
の中で泳いでいる魚。魚であるわたしたちは、神でる水が分らない。「水があ
るなら見せてみろ。」 そう言っている。神の中に生きていながら、神がわたし
たちの中にいながら、神が見えない。わたしたちの人生は、神を探し求める人
生。3つの朗読を読み返して、一週間をじっくり過ごしたい。「神様、どこにおら
れますか?」「神様どこにお泊りですか?」 それをイエスと共に朗読する。わ
たしたちは聖霊が宿る神殿。御言葉を一週間噛みしめて、わたしたちが神の
神殿であることを悟る恵みを願いたいと思う。」
(主任司祭である伊藤神父様の1/18カトリック飯田教会ミサ説教による。メ
モ書きから起こした。文責はわたくし乗倉にあります。)
共同祈願
「神よ、あなたに従う力をわたしたちに」
拝領唱
「あなたはわたしのために会食を整え、わたしの杯を満たしてくださる」
notes
1 信徒総会を、来月の第1日曜に開きたい。資料作成にご協力願い
  たい。
2 財務より。来週25日は、“児童福祉献金の日”。お願いします。
  今迄は、ミサ献金を充てていたが、今年から、別々に。後ろに箱
  を置いておく。
3 今月は、“カトリック一致週間”。カトリックとプロテスタント。プロテ
  スタントは、20万宗派(!?)。お互い、一致する点を探していく。
英語典礼表紙より
「お互い耳傾け合うのがどんなに難しいか。多分、わたしたちはそのことを充
分理解しないだろう。わたしたちは、余りにも自分のこと・自分に関することに
感けていて、他の人の言う事を聞いたり、他の人の言う事に耳傾けることを
しない。神の言葉を聞いたり、神の言葉に耳傾けることは、他の人にそうする
より如何に難いことだろうか?神はわたしたちを愛していらっしゃる。神はわ
たしたちに話しかけて下さる。聖書の中の御言葉を通して、教会の声の中で、
そして、諭しとして、他の人-殊に預言者・貧しい人々-を通じて、人生の中
の出来事に措いて。神の言葉を心して聞こう、神の言葉を一心に聞いて叫ぼ
う:「語ってください、主よ。あなたのしもべは聞いております。」と。」
一言
「「神の子羊」-従順・純白・贖い。「先生」-教え・導く方。「油注がれた者」-
主人・王。「岩」-岩盤・揺るぎ無い者。思った。「イエスのもとに泊まる」を一週
間噛み締めて過ごしたい。」