何回か書いて居るが、筆者の自宅は毎日、新聞の定期購読家庭だ。
新聞には連載小説も有り、それらにはとても面白くて堪能した作品も多く、
毎日の楽しみの一つだった。
その中から、筆者も好きな歴史小説を紹介しよう。
池宮彰一郎先生の「本能寺」である。
この小説は、主人公が明智光秀。
彼が本能寺で主君信長を討つまでの心情の動きや経緯等が、
彼の半生を通じて語られている。
此処で面白いのが、信長は幕藩体制の様な封建制では無く、
ヨーロッパでもまだ浸透しきって居なかった、中央集権制を企図して居たのではないか?
と言う仮説の元で、物語が進んで行く事である。
そして、その制度の利点を理解し、賛同して居たのも、
織田家中では光秀ただ1人で、信長からの絶対の信頼を受けていた。
と言う様な物だ。
しかし、当時の価値観は、土地や配下の将兵は、それぞれに集まっている有力武将の物。
と言う価値観が有り、武将は主君に仕えて活躍する見返りに、
恩賞として土地を貰い受け、それを更に配下の将兵に与えて勢力を拡大させて行く、
と言うのが、当時の常識で有った。
そんな価値観の中で、今自由にしている土地や城、将兵等も、
主君で在る信長から一時的に預かっているだけで、
動乱が終われば、全て主君の下に返却される(信長が全てを掌握する)。
と言うシステムは、頭の固い古い人間には、到底理解出来ないし、
受け入れる事が出来ない。
そこで、開明的なシステムを受け入れられない(システムだと気付いた)武将は、
自分の築き上げた勢力を守る為に、信長を亡き者にしようと画策を始める。
光秀の家中にも、それに気付き、信長を否定し始める者が出て来る。
信長から事業を継ぐ跡目と目され、自らも信長の壮大な構想を理解するが、
世の中が、その価値観をまだ認める時代では無い。とも悟り、思案する光秀。
家中から突き上げられ、また同輩の秀吉も、信長の構想に気付き、
旧弊な価値観で見れば、自らの勢力を消滅させられると考えて居た。
有能では有るが、価値観が旧態然とした見方しか出来なかった秀吉も
謀反を企てている事を知り、思案の時間も残されていないと感じた光秀は、
遂に行動を起こす。その結果は…
と言う様な内容。
(主人公は、筆者は光秀だと思って見て居ましたが、他レビューを見ると信長みたいですね。
後、秀吉が行動を起こそうとしていた。と言うのは、定かでは有りません。
他の作品や、書物からの情報と、記憶が錯綜して居る可能性有り。)
信長が中央集権制を企図していた。と言う説は、当時の筆者には衝撃でした。
しかし、直ぐにそれは理解出来、有り得ない事では無いな?とも思いました。
1570年代後半頃から、列島中央をほぼ制圧した信長は、
東西に軍を派遣するべく、軍団制を布きます。
北陸軍は柴田勝家。
東海は他の部下と違い、同盟者で在るが徳川家康。
中国には羽柴秀吉。
武田を滅ぼした後には、関東軍として滝川一益。
四国軍の候補として丹羽長秀。
等を配置しました。
これを見て、北陸軍の柴田勝家や、中国軍の羽柴秀吉は、
配下は、臣下では無く、与力や目付けとしてだったので、
支配従属関係には無いとされるが、
実質的には上司と部下では有った為に、実質支配地は、
非常に広大で、地方に割拠する有力大名並の勢力を誇っていた。
この状態に、昔から筆者は非常に違和感を感じて居た。
実際、彼ら軍団長の勢力と言うのが、既に信長の直轄地を凌駕しそうな位に
巨大化して居たからだ。
もし旧来通りの封建制を意図するならば、
この様な大勢力を配下に握らせるのは不自然で、
中央集権制度上での、総督的な意味で委任していた。
とする方が、自然だと思ったからだ。
しかし、旧態然とした価値観しか持たない秀吉等は、
中国東部は、自らの実力一本で獲得した。と言う自負が有るだけに、
それを命令一つで取り上げられそうな信長の構想は、
到底受け入れられず、謀反を企図した。
と考える事も出来る。
また、本能寺の変直後の、秀吉の中国大返しも、
そう考えると手際が良すぎる様にも感じる。
自分が起こそうとした謀反を、同輩の光秀に先を越されたのを逆に利用して、
大返しの計画を、謀反では無く、信長の弔い合戦の為に、
と言う事で名分に変更した可能性も有る。
この信長中央集権説は、この様に有り得るかも?と思わせる目から鱗な説で、
筆者は非常に感心して、面白く読めた記憶が有ります。
そんな、今日紹介の「本能寺」 お勧めです。
追記:ちなみに、最近は、秀吉謀反意図説や、秀吉本能寺黒幕説等、
秀吉悪玉説も、普通に見受けられる様に成りましたね。
光秀の謀反が単独なのか、秀吉との共謀→裏切りなのか?
の真実は、藪の中ですが、
その後の織田家簒奪の手際の良さや、同輩を滅ぼして行く様を見ると、
やはり秀吉は、天下を盗る野心を織田家臣時代から狙っていた、
癖の有る人物だったのでは無いか?と言うのが、筆者の個人的見解です。
新聞には連載小説も有り、それらにはとても面白くて堪能した作品も多く、
毎日の楽しみの一つだった。
その中から、筆者も好きな歴史小説を紹介しよう。
池宮彰一郎先生の「本能寺」である。
この小説は、主人公が明智光秀。
彼が本能寺で主君信長を討つまでの心情の動きや経緯等が、
彼の半生を通じて語られている。
此処で面白いのが、信長は幕藩体制の様な封建制では無く、
ヨーロッパでもまだ浸透しきって居なかった、中央集権制を企図して居たのではないか?
と言う仮説の元で、物語が進んで行く事である。
そして、その制度の利点を理解し、賛同して居たのも、
織田家中では光秀ただ1人で、信長からの絶対の信頼を受けていた。
と言う様な物だ。
しかし、当時の価値観は、土地や配下の将兵は、それぞれに集まっている有力武将の物。
と言う価値観が有り、武将は主君に仕えて活躍する見返りに、
恩賞として土地を貰い受け、それを更に配下の将兵に与えて勢力を拡大させて行く、
と言うのが、当時の常識で有った。
そんな価値観の中で、今自由にしている土地や城、将兵等も、
主君で在る信長から一時的に預かっているだけで、
動乱が終われば、全て主君の下に返却される(信長が全てを掌握する)。
と言うシステムは、頭の固い古い人間には、到底理解出来ないし、
受け入れる事が出来ない。
そこで、開明的なシステムを受け入れられない(システムだと気付いた)武将は、
自分の築き上げた勢力を守る為に、信長を亡き者にしようと画策を始める。
光秀の家中にも、それに気付き、信長を否定し始める者が出て来る。
信長から事業を継ぐ跡目と目され、自らも信長の壮大な構想を理解するが、
世の中が、その価値観をまだ認める時代では無い。とも悟り、思案する光秀。
家中から突き上げられ、また同輩の秀吉も、信長の構想に気付き、
旧弊な価値観で見れば、自らの勢力を消滅させられると考えて居た。
有能では有るが、価値観が旧態然とした見方しか出来なかった秀吉も
謀反を企てている事を知り、思案の時間も残されていないと感じた光秀は、
遂に行動を起こす。その結果は…
と言う様な内容。
(主人公は、筆者は光秀だと思って見て居ましたが、他レビューを見ると信長みたいですね。
後、秀吉が行動を起こそうとしていた。と言うのは、定かでは有りません。
他の作品や、書物からの情報と、記憶が錯綜して居る可能性有り。)
信長が中央集権制を企図していた。と言う説は、当時の筆者には衝撃でした。
しかし、直ぐにそれは理解出来、有り得ない事では無いな?とも思いました。
1570年代後半頃から、列島中央をほぼ制圧した信長は、
東西に軍を派遣するべく、軍団制を布きます。
北陸軍は柴田勝家。
東海は他の部下と違い、同盟者で在るが徳川家康。
中国には羽柴秀吉。
武田を滅ぼした後には、関東軍として滝川一益。
四国軍の候補として丹羽長秀。
等を配置しました。
これを見て、北陸軍の柴田勝家や、中国軍の羽柴秀吉は、
配下は、臣下では無く、与力や目付けとしてだったので、
支配従属関係には無いとされるが、
実質的には上司と部下では有った為に、実質支配地は、
非常に広大で、地方に割拠する有力大名並の勢力を誇っていた。
この状態に、昔から筆者は非常に違和感を感じて居た。
実際、彼ら軍団長の勢力と言うのが、既に信長の直轄地を凌駕しそうな位に
巨大化して居たからだ。
もし旧来通りの封建制を意図するならば、
この様な大勢力を配下に握らせるのは不自然で、
中央集権制度上での、総督的な意味で委任していた。
とする方が、自然だと思ったからだ。
しかし、旧態然とした価値観しか持たない秀吉等は、
中国東部は、自らの実力一本で獲得した。と言う自負が有るだけに、
それを命令一つで取り上げられそうな信長の構想は、
到底受け入れられず、謀反を企図した。
と考える事も出来る。
また、本能寺の変直後の、秀吉の中国大返しも、
そう考えると手際が良すぎる様にも感じる。
自分が起こそうとした謀反を、同輩の光秀に先を越されたのを逆に利用して、
大返しの計画を、謀反では無く、信長の弔い合戦の為に、
と言う事で名分に変更した可能性も有る。
この信長中央集権説は、この様に有り得るかも?と思わせる目から鱗な説で、
筆者は非常に感心して、面白く読めた記憶が有ります。
そんな、今日紹介の「本能寺」 お勧めです。
追記:ちなみに、最近は、秀吉謀反意図説や、秀吉本能寺黒幕説等、
秀吉悪玉説も、普通に見受けられる様に成りましたね。
光秀の謀反が単独なのか、秀吉との共謀→裏切りなのか?
の真実は、藪の中ですが、
その後の織田家簒奪の手際の良さや、同輩を滅ぼして行く様を見ると、
やはり秀吉は、天下を盗る野心を織田家臣時代から狙っていた、
癖の有る人物だったのでは無いか?と言うのが、筆者の個人的見解です。