ポンタハウスから 「こんにちは」

写真とれない。外国語はモチロン、
日本語もちょっと変かも。
でも 始めちゃいました・・・

ポンタの三回忌でした

2024-01-30 21:17:22 | わたし

ポンタが旅立って2年たちました。上の写真は2年前ポンタと私のために名医が送ってくださったお花です。

今日、記念日反応(放送大学の「死生学のフィールド」で知りました)少しあります

確かにポンタがまだ生きていた時の事を思い出して(いつもはそれが楽しみなのに)今日は亡くなった時の事思い出して少し涙は出ます

ポンタの時は、ペットロスには、なりませんでした。毎日輸液に通っていましたが、あと3年くらいずっと毎日通院してポンタが17歳くらいでお別れする気持ちでした。真夜中、突然、血だらけになって腰を抜かしていたポンタ、それまではいつも「ポンちゃんガンバレ」と話しかけていた名医が言わなくなりました。私はそれでも「ポンタがんばるよね」と話しかけていました。1週間後亡くなる前日、ジャーッと滝のように真っ黒、それが血だとわかって、もうすぐお別れだと覚悟しました。ポンタのすぐ横のソファで眠り込んで気づいたときは、巴の時と同じね、ポンタは旅立っていました。

ポンタに食べさせようと、あれこれ餌を変えたり料理してみたり特に最後の2,3か月本当に苦労しましたが、ポンタは具合が悪かったから食べられなかったのね。

猫ちゃん本舗だったと思いますが『なくなった猫が飼い主に望むこと』とのウェブ記事があり「無理して元気にしていませんか」とか、、、私が特に注目したのは

「亡くなった後、自分が亡くなったことに気がつかず飼い主さんの側に留まっている場合も多いのだとか…。」。

数日は確かに亡くなったはずのポンタがキッチンや窓辺とかお気に入りの場所に来ていました。

M子が来た時に「猫は自分が亡くなったのが分からないんだって」と話したら「そりゃそうだよ」と笑いだされ

確かに猫だけでなく人間だって自分が亡くなったって分からないはずだと思いました。

下の布は数か月前、M子にもらいました。Tシャツにプリントするための試刷りだったそうです。「半島で一番猫を愛する人」という意味かな?

M子は半島に住んでいますからね。パソコンの横に貼ってあります。ここに座るといつもポンタがいるようです。「ポンタの写真送って」とラインしてきていたM子に

「面倒」と思っていたけど、おかげで今写真が残っているのね。

昨日、仕事上がりに京橋に途中下車。エドグランのヨロイヅカさんのお店でケーキを買いました。ポンタの命日は夫の誕生日。帰宅は午後8時過ぎサミットも寄ったし、今まで大丈夫だったから油断してました。開けたら残念。夫は今日から後期高齢者。誕生日に発熱(午前中、内科に行って肺気腫の薬をもらったのに発熱は午後。タイミング悪い人。健診の予約入れてたのに後期高齢者は別の書類で後日に)。ケーキは、私が3個いただきました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

半世紀以上前のことで忘れていたことも、言われればつらい

2024-01-28 14:05:38 | 日記

朝8時59分ごろの震度3の地震で目が覚め、家具の固定はしてないのでベッドのわきのヘルメットを急いで探しました。

地震情報を見ようとテレビをつけたら断水停電の輪島市の状況を放送していて悲しくなりました。

 私にできることもないからわずかばかりの応援に寄付をもう千円しようかなとか思いました。

食器棚の扉を開けたとたんに陶器のカップが落ちてきて割れました。夫が変な置き方をしたか、この地震で食器の位置がずれたのでしょうか。

東日本大震災の時震度5強の際も、食器棚の中でカップが一つ倒れてただけで他の被害はなかったので、油断していました。

 

一月後半仕事が入っていました。もう一日出勤すれば終わりです。もう仕事の依頼は来ないかなとか思います。

 私はおそらく最高齢でもありますし心が揺れてて集中できなかったのです。頭に浮かんで集中できなかったのは、仕事と全く関係のない半世紀以上前の私のこと、淡々と指摘されたことかもしれません。

11月の終わりに大久保のホテルのお泊りしました。今回は2年ぶりですがお友達が企画してくださってお仲間に入れてくださって感謝しています。

 私は一人旅も好き、お友達とご一緒も大好き。遊ぶのは楽しいですもの。

ほんの5分に満たない会話、言われたのは「高校生の時の私の連続重役出勤」、これで4回連続でした。

高校生の時の私の連続重役出勤は事実ですが私の高校時代を知っている人は他にいないのに何故繰り返し口に出すのでしょう。

3回目から「いくら何でも、もう今回は触れないでしょう」

4回目の今回も頭をかすめましたが「いくら何でも、もう今回は触れないでしょう」と思いました(兄はからんや弟つまらんやとか)

何のために半世紀以上前のことを口にだすのでしょう。

毎回言ってることを本人は忘れているのでしょうか。

「学生時代いつも男の子と一緒だったわね。」

これも半世紀以上前のこと、淡々と指摘されました。

いつも一緒にいた彼はストーカーでした。学生時代の一年半近く私は本当に苦しくて辛かった。

自分で自分の気持ちもわからなくなってきたりもします。

親に送り迎えしてもらったりもしましたが、それでも家の前で待ってる、洋裁教室に電話したり学校の教室の前で待ってる、

 私が家庭教師していたお宅に押しかけ「ポンタのお母さんが病気です」とか。捕まったら放してくれない

とっくに解決したはずなのに6月の尾瀬の山小屋(無線でしかつながらないので直接会話しないですみましたが)に電話してくる。

ご家庭の都合で急遽尾瀬行きをやめた彼女、彼女は疑いもせずその彼に宿泊先電話番号を教えたのでしょう。

ストーカーされたことを思い出した傷みか、彼女の言葉に温かみを感ぜず非難されているように感じたのか、

 

楽しかったはずなのに、もう一緒にいるのがつらくなってやっと帰ってきたように思います。

 

7月の尾瀬行きの時、お菓子を持って見送りにきてくれた女の子言葉で話すカレもいたし、確かに男の子と一緒の事は多かったけれど。

半世紀以上前の入試の時の付き添いのカレ(家庭教師と紹介したかも)もいて、

でも、入試に付き添いなんて私が望むわけないし、そのカレ 政治経済で受験する私に試験場でまで「労働三法は何か」とか質問してきました。

煩わしいと思った私は「わからない」と答え、カレは落胆してたけど私の次の受験番号の方には、数年後(知り合った彼女は小田原出身で英文科に)

「彼素敵な人ね。でも労働三法もわからないなんて(私のことを)馬鹿な子だと思った」と言われました。

6さいのばらーど/ゆーゆ  彼女が私のブログを読むことはないでしょうが、この歌詞は、私の心に共感してくれるようで貼り付けました


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

声を出して笑ってしまった

2024-01-22 00:16:03 | 日記
 
 
 
八代亜紀さん、イソンギュンさん、とても残念です
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<script src="http://gogakuru.com/blogparts/js/en.js"></script>