母が亡くなって一年の歳月がたった。
早いものである。
生前、母は私に対して関心を示していなかったような気がしたのだが、そうでもなかったのかもしれない。
なんとなく遠く離れたところからじっと見ていてくれたような気がする。
よくよく考えれば、子どもは私だけだったのだから、当たり前といえば当たり前なのだが...
遺品を整理していて、ずいぶんと私の情報が出てきた。
例えば、新聞に何かの記事が掲載され、たまたま写真の片隅に私が写っていたとする。
誰だかわからないような小さな写真である。
本人でさえ見分けがつかない。
そんな記事までスクラップしていた。
家内と娘の誕生日には必ずなにがしかのプレゼントを送っていた母であった。
ただ、私の誕生日には何もなかった。
そのことに触れようともしない。
母と祖母との嫁・姑の確執はすさまじいものがあったが、その中で祖母が父の誕生日に必ず赤飯を炊いて持ってきていた。
後で聞いた話だが、そのことがとても嫌だったという
自分がされた行為の中で嫌だったことは、絶対に他の人に強要しない人だった。
そのことを口に出すのではなく、行動にする人だった。
その反面、相手の気持ちを斟酌(しんしゃく)して気づけというタイプでもあった。
このことは、子どもの時から徹底された。
そして、相手の臨むことの二手、三手先を読み、先回りして行動しろと口やかましく言われたものである。
子ども心に厚かましくなり、反発したものである。
ただ、父親が亡くなってからは素直に受け入れられるようになった。
このように書くと素晴らしい母親のように思えるかもしれないが、自分勝手でわがままな人であったことにはちがいない。
母が老いてからは、かえって人の道を私が諭す場面もあった。
そういう時は、罰悪そうにうなだれているのだが、終わった瞬間、元気なもとどおりの母に戻るのである。
こんな打たれ強いところが似てしまった...