あの時、私は道後支所にいた。
なにやら東日本で大きな地震が起こったらしいというニュースが飛び込んできた。
テレビのスイッチを入れると、まもなくして大きな濁流が見えた。
津波だった。
それがただごとでないのは誰の目にも明らかだった。
ただ呆然と立ち尽くす、という言葉が当てはまるあまりにも悲惨な光景だった。
時は無常にも人の記憶を風化させる。
しかし、あの日、あの時、あの地震と津波と原発事故に遭遇した人たちの心の傷は、恐らく最期まで消えない。
私たちがどれだけ心寄せ合っても、その悲しさは大きすぎる。
悲しみや苦しみの大きさは、それが大きければ大きいほど心の傷として刻み込まれる。
そして、さっきまで元気だった人の顔が一瞬のうちに消え去ってしまった現実と向き合って生きている人たちの心の傷は、あまりにも深すぎる。
目の前で自分の手の先から愛する人たちが津波に飲み込まれた人たちは、恐らく、今もその光景がフラッシュバックされ、熟睡したことがないかもしれない。
悔やんでも悔やみきれない。
何度天を仰ぎ見て、尽きることのない涙を、何度も何度もぬぐいながら、その焦燥感を埋め尽くせない気持ちを押さえ切れず慟哭したことか...
なんと運命は無常で儚いことかと...
今も、これからも私のできることは、この日を忘れないために黙祷をささげるだけ。
その御霊が安らかんことを祈りながら