福岡に南蔵院というお寺があり、そこに林覚乗(はやしかくじょう)住職(http://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-4160.htm)という方がおられます。
この林住職は、全国各地で講演をされており、その話の内容は吸い込まれるような話ばかりです。
たまたま「同行二人」というテーマの講演ビデオを見る機会があり、観ていると笑いあり、涙ありと、久しぶりにとてもいいお話を聴けたのでぜひ紹介したいと思いました。
内容は覚えている限り正確に伝えようと思いますが、完璧でないことはご了承ください。
また一度には書けないので何篇かにわけて書くことも許してください。
ある現役を退いた女子教諭の寄稿文の紹介でした。
その女子教諭が小学五年生を受け持った時の話です。
クラスの中に一人、身なりのよくない、消極的で勉強もできない少年がいました。
その教諭は、どうしてもこの少年が好きになれませんでした。
ある日、身上書(?)を書こうとしたときに、一年生から四年生までの身上書がその教諭の元に届いたそうです。
一年生の記録は「とても明るく、つねに人を引っ張り勉強がよくでき、将来が楽しみである」と書かれていました。
その教諭は、「何かの間違いだろう」と思ったそうです。
そして、二年生の記録を読むと「母親が病気になり、その看病のせいか勉強がおろそかになった」と書かれていました。
教諭は「ハッ」としました。
さらに三年生の記録では、「母親の病気がひどいせいか、授業中、いねむりをするようになり成績はよくない」
記録は続きます。
「母親が死に、父親はアルコール依存症となり、家庭内暴力にあっているせいか成績は悪い」と書き綴られていました。
その教諭は自分の愚かさに気づいたというのです。
身なりや姿かたちにとらわれて、自分は大切な教え子に対して大変なことをしてしまったと後悔しました。
その少年は、苦しい逆境の中で必死で乗り越えようとしている。
そんな最中に自分はなにをしてやったのかと。
ある日、その教諭はその少年に「先生は夕方まで学校にいるから、もしよかったら残って勉強をしない?」と声をかけてみました。
少年は、初めてその教諭に笑顔を見せて頷いたというのです。
それから、その少年は毎日毎日教室に残り自分の机で勉強をしました。
ある日のこと、授業中、「これわかる人?」と質問した時、その少年が自信を持って手を挙げたというのです。
教諭は涙が出るほどうれしかったといいます。
少年の瞳は自信に満ち満ちていたというのです。
「先生、わかるよ。わかるよ。」と叫ぶ少年の心の声が伝わってきたといいいます。
そして、この話は続くのです。
クリスマス・イブに少年は小さな紙包みをその教諭に手渡し、そして逃げるように帰って行きました。
教諭が、その包みを広げると香水の小瓶が入っていました。
その教諭は「ハッ」として、「その香水が母親のつけていたものだ」と気づきました。
教諭は、その香水をつけると少年の家に駆けつけました。
少年の家は、荒れ果て、薄暗い部屋のすみに少年はいました。
少年は、駆け寄ってくるとその女子教諭に抱きつき「母ちゃんの匂いや!!」といって声を上げて泣いたそうです。
六年生になった少年はその教諭の担任から外れたそうです。
でも、卒業式の日、少年はその女子教諭に手紙を手渡しました。
内容は、「先生のおかげて僕は無事卒業できました。五年生の時に先生にめぐりあえたことでがんばることができました」
それから、六年後、その少年からカードが届き「先生のおかげで無事高校を卒業し、奨学金で医学部にいけることになりました」
さらに、六年後「先生のおかげで人の役にたてる医師になれました。これも五年生の時に先生にめぐり合えたおかげです」
そして、それから何年かして結婚式の招待状が届き、「先生のおかげで、私も結婚ができるようになりました。そこで、私の母親の席に(先生が)座っていただけませんか」という内容だったそうです。
住職は、この少年にとっての心の支えはずっとこの小学校五年生の女子教諭だったのでしょうと。
「同行二人」とは、弘法大師だけでなく自分の支えとなる人とともに生きることだと。
この話を聴きながら、思わず父親が死んでしばらくして恩師が自宅まで尋ねてきてくれて、その教師にすがり付いて声を出して泣いた自分を思い出し、涙が止まりませんでした。
この林住職は、全国各地で講演をされており、その話の内容は吸い込まれるような話ばかりです。
たまたま「同行二人」というテーマの講演ビデオを見る機会があり、観ていると笑いあり、涙ありと、久しぶりにとてもいいお話を聴けたのでぜひ紹介したいと思いました。
内容は覚えている限り正確に伝えようと思いますが、完璧でないことはご了承ください。
また一度には書けないので何篇かにわけて書くことも許してください。
ある現役を退いた女子教諭の寄稿文の紹介でした。
その女子教諭が小学五年生を受け持った時の話です。
クラスの中に一人、身なりのよくない、消極的で勉強もできない少年がいました。
その教諭は、どうしてもこの少年が好きになれませんでした。
ある日、身上書(?)を書こうとしたときに、一年生から四年生までの身上書がその教諭の元に届いたそうです。
一年生の記録は「とても明るく、つねに人を引っ張り勉強がよくでき、将来が楽しみである」と書かれていました。
その教諭は、「何かの間違いだろう」と思ったそうです。
そして、二年生の記録を読むと「母親が病気になり、その看病のせいか勉強がおろそかになった」と書かれていました。
教諭は「ハッ」としました。
さらに三年生の記録では、「母親の病気がひどいせいか、授業中、いねむりをするようになり成績はよくない」
記録は続きます。
「母親が死に、父親はアルコール依存症となり、家庭内暴力にあっているせいか成績は悪い」と書き綴られていました。
その教諭は自分の愚かさに気づいたというのです。
身なりや姿かたちにとらわれて、自分は大切な教え子に対して大変なことをしてしまったと後悔しました。
その少年は、苦しい逆境の中で必死で乗り越えようとしている。
そんな最中に自分はなにをしてやったのかと。
ある日、その教諭はその少年に「先生は夕方まで学校にいるから、もしよかったら残って勉強をしない?」と声をかけてみました。
少年は、初めてその教諭に笑顔を見せて頷いたというのです。
それから、その少年は毎日毎日教室に残り自分の机で勉強をしました。
ある日のこと、授業中、「これわかる人?」と質問した時、その少年が自信を持って手を挙げたというのです。
教諭は涙が出るほどうれしかったといいます。
少年の瞳は自信に満ち満ちていたというのです。
「先生、わかるよ。わかるよ。」と叫ぶ少年の心の声が伝わってきたといいいます。
そして、この話は続くのです。
クリスマス・イブに少年は小さな紙包みをその教諭に手渡し、そして逃げるように帰って行きました。
教諭が、その包みを広げると香水の小瓶が入っていました。
その教諭は「ハッ」として、「その香水が母親のつけていたものだ」と気づきました。
教諭は、その香水をつけると少年の家に駆けつけました。
少年の家は、荒れ果て、薄暗い部屋のすみに少年はいました。
少年は、駆け寄ってくるとその女子教諭に抱きつき「母ちゃんの匂いや!!」といって声を上げて泣いたそうです。
六年生になった少年はその教諭の担任から外れたそうです。
でも、卒業式の日、少年はその女子教諭に手紙を手渡しました。
内容は、「先生のおかげて僕は無事卒業できました。五年生の時に先生にめぐりあえたことでがんばることができました」
それから、六年後、その少年からカードが届き「先生のおかげで無事高校を卒業し、奨学金で医学部にいけることになりました」
さらに、六年後「先生のおかげで人の役にたてる医師になれました。これも五年生の時に先生にめぐり合えたおかげです」
そして、それから何年かして結婚式の招待状が届き、「先生のおかげで、私も結婚ができるようになりました。そこで、私の母親の席に(先生が)座っていただけませんか」という内容だったそうです。
住職は、この少年にとっての心の支えはずっとこの小学校五年生の女子教諭だったのでしょうと。
「同行二人」とは、弘法大師だけでなく自分の支えとなる人とともに生きることだと。
この話を聴きながら、思わず父親が死んでしばらくして恩師が自宅まで尋ねてきてくれて、その教師にすがり付いて声を出して泣いた自分を思い出し、涙が止まりませんでした。