先日の愛媛新聞に懐かしく思う記事が掲載されていた。
筑波大学大学院の山海嘉之教授が開発した「福祉用ロボットスーツ『HAL』」の記事である。
私は、このロボットスーツが世に出る前から知っている。
山海先生自身が世の中からスポットライトを受ける以前からある人の紹介で知己を得た。
経済部門を離れてからご無沙汰をしていて疎遠になったままである。
先生の技術は、初めて自身からお聴きした時から凄いと思った。
世の中から注目を受ける前から、米国国防省は既に先生にその技術供与についてオファーがかかっていた。
その技術は軍事技術に使うと大変なことになる可能性を秘めていた。
先生自身は、結果的にお金よりも世の中に役立つ道を選択された。
このことは、真似できるようで難しい。
そして、先生はこの技術を福祉分野に振り向けた。
先生のコンセプトは簡単で「歩けていた人が歩けなくなったり、一度も歩いたことがない人を歩けるようにしたい」
「高邁な生き方」とはどういうことかを山海先生から学んだ。
「歩けない人を歩けるようにしたい」
ただそれだけである。
先生は体験談の中で、「歩けなかった人が僕のスーツをはいて、『歩けた、歩けた』と涙を流しながら歩く姿を見ると、『もっと頑張らなくちゃ』て、勇気みたいなものが湧き上がってくるんですよね」と無心に話される姿を見て体の奥底から熱いものを感じた。
レンタルとしてはまだまだ高価であるが、それまでに費やした技術やエネルギー、不眠不休で今も頑張っておられたことを思い出すと納得できるのだが、先生自身、実用化のためにもっとコストを下げる努力をしておられることだろう。
そして、その一途な先生の思いに大和ハウスリースが応援している。
先生と親交があったときには、リハビリ用にHALを使うときに「作業療法士」みたいな資格をつくってもらい、松山で研修してくれるような環境整備ができませんかと無理なお願いをしたこともあった。
普通ならロボットスーツをつくることをさせて欲しいとお願いするところだが、先生のビジョンをお聞かせいただいているうちに、普及をしていくのに人材が必要になるだろうと考えたからである。
そして、「温泉でも入りながら、勉強するには松山は最高の場所ですよ」と
今にして思えば、なんと下世話な私だったか....
筑波大学大学院の山海嘉之教授が開発した「福祉用ロボットスーツ『HAL』」の記事である。
私は、このロボットスーツが世に出る前から知っている。
山海先生自身が世の中からスポットライトを受ける以前からある人の紹介で知己を得た。
経済部門を離れてからご無沙汰をしていて疎遠になったままである。
先生の技術は、初めて自身からお聴きした時から凄いと思った。
世の中から注目を受ける前から、米国国防省は既に先生にその技術供与についてオファーがかかっていた。
その技術は軍事技術に使うと大変なことになる可能性を秘めていた。
先生自身は、結果的にお金よりも世の中に役立つ道を選択された。
このことは、真似できるようで難しい。
そして、先生はこの技術を福祉分野に振り向けた。
先生のコンセプトは簡単で「歩けていた人が歩けなくなったり、一度も歩いたことがない人を歩けるようにしたい」
「高邁な生き方」とはどういうことかを山海先生から学んだ。
「歩けない人を歩けるようにしたい」
ただそれだけである。
先生は体験談の中で、「歩けなかった人が僕のスーツをはいて、『歩けた、歩けた』と涙を流しながら歩く姿を見ると、『もっと頑張らなくちゃ』て、勇気みたいなものが湧き上がってくるんですよね」と無心に話される姿を見て体の奥底から熱いものを感じた。
レンタルとしてはまだまだ高価であるが、それまでに費やした技術やエネルギー、不眠不休で今も頑張っておられたことを思い出すと納得できるのだが、先生自身、実用化のためにもっとコストを下げる努力をしておられることだろう。
そして、その一途な先生の思いに大和ハウスリースが応援している。
先生と親交があったときには、リハビリ用にHALを使うときに「作業療法士」みたいな資格をつくってもらい、松山で研修してくれるような環境整備ができませんかと無理なお願いをしたこともあった。
普通ならロボットスーツをつくることをさせて欲しいとお願いするところだが、先生のビジョンをお聞かせいただいているうちに、普及をしていくのに人材が必要になるだろうと考えたからである。
そして、「温泉でも入りながら、勉強するには松山は最高の場所ですよ」と
今にして思えば、なんと下世話な私だったか....