✨メリークリスマス⛄️
冬至を迎え
温暖な三重県にも霧氷の季節がやってきました。
通い慣れた山なので、肌感で山頂部に霧氷がついてるのがわかります。
名残の紅葉が少しあい青空と三段紅葉になりました。
今日はクリスマス
コンビニでケーキでも買って帰ろうかな
✨メリークリスマス⛄️
冬至を迎え
温暖な三重県にも霧氷の季節がやってきました。
通い慣れた山なので、肌感で山頂部に霧氷がついてるのがわかります。
名残の紅葉が少しあい青空と三段紅葉になりました。
今日はクリスマス
コンビニでケーキでも買って帰ろうかな
街を彩っていた銀杏の黄葉もいよいよ落ちて
木枯らしとともに小雪が舞う季節になってきました。
年末も佳境になる季節は、落ち葉を踏む里山歩きがとても心地よい
来年はどこへ行こうか あーでもないこーでもないと
計画を頭の中で巡らせながら気がつけば山頂へ
健康が一番 信さんのブログを拝見しながら
我が身に置き換えて考える日々です。
2024年もあと1週間
みなさん ご安全に!
12/8の日帰り旅の最後に立ち寄ったのは日本三大武将庭園の一つに数えられる名勝北畠氏館跡庭園です。
今年桜の季節にはりさんとご一緒した際に確か「北畠神社」の話をされていたので記憶に残っていました。
少し調べてみました。
伊勢の戦国大名・北畠氏の築いた霧山(きりやま)城。
ここは、伊勢(現在の三重県)と大和(現在の奈良県)を結ぶ街道近くに位置する難攻不落の山城でした。
ふもとには、北畠氏の館 (北畠氏館跡) がありました。1569年、北畠家は織田信長の侵攻により
現在の松阪市にある大河内城での激戦の末、和睦。
信長は次男の信雄(のぶかつ)を北畠具房(ともふさ)の元へ養子として送り込み
、さらに具房の妹と信雄を政略結婚させました。1576年、信雄は義父である北畠具房や家臣や家族たちを殺し、
北畠家の乗っ取りを計画します。北畠家の残されたものたちは霧山城へ籠りますが、
豊臣秀吉なども含めた15,000の織田軍に囲まれ、城は燃え落ち落城。北畠家の者たちの多くが自害したと言われています。
霧山城を拠点に9代 240年に渡り繁栄した北畠家は、こうして信長・信雄親子に乗っ取られることとなりました。
現在は、山麓にあった館跡に北畠神社が建ち、武将庭園である北畠氏館跡庭園が現存しています。
この美しい庭は、江戸時代の初期、荒れ果てた状態となっていましたが、神社ができ、
地元の人々の手で少しずつ元の美しさを取り戻しました。
戦国時代の庭園が埋もれずに残っているのは大変珍しく、かなり貴重です。
北畠氏7代・北畠晴具(きたばたけ はるとも)は、文武両道の武将でした。弓馬、そして書の達人でもあり、和歌もたしなむ名将で、文化人としての評価も高かった人物と言われています。そんな晴具の義理の父でもあった戦国武将・細川高国(たかくに)が、1528年頃に、北畠氏の居館につくったと言われるのが名勝北畠氏館跡庭園です。
高国は、日本三大武将庭園の一つ、滋賀県にある「旧秀隣寺(きゅうしゅうりんじ)庭園」も作庭している人物です。
1年中、素晴らしい景色を楽しめる北畠氏館跡庭園ですが、一般的にはまだあまり知られていない場所です。
中央には、この庭園のシンボルとも言える美しい池があり、その周りには大小さまざまな石が、
武将庭園らしく、力強く配されています。池には石橋がかかり、その周囲も歩けるようになっています。
樹齢400年以上の木々と苔むした庭は、いかにも日本庭園らしい雰囲気です。北畠神社の白い壁と朱色の柱そして、
庭の緑のコントラストも、とても美しいものです。
なんともこんな歴史があったのかと思うばかりなのでした。
無造作に置いてあるのではないようです。
12/8のお出かけを終わります。
12/8の日曜日のおでかけは、ポカポカの南伊勢方面へ車を走らせました。
西高東低の気圧配置が強くなればなるほど太平洋側の海側はピーカンになります。
日本海の方にもぜひ体感してほしいくらい 日中は気温が上がります。
この日は、前々から気になっていました2つの銀杏を巡ることにしました。
まずは、旧穂原地区にある樹齢400年の御葉付銀杏です。
立派なコンクリート造の3階建て校舎に寄り添うように立っています。
過疎が進み、学校の統廃合にてこの校舎は使われていません。
朝陽が後光になる時間に合わせて到着しましたが
雲があってイメージどうりには行きませんでした。
カメラマンは5名ほど
次に20分程海沿いを西へ向かいます。
河内の銀杏です。
ここも保育園の校舎に寄り添うように立っています。
ちょうどおはようゲートボールの時間と重なりました。
みなさん、球をパコン!と気持ちよくたたいて走り回ってしました。
滑り台やブランコはちゃんと使えるようになってますが
如何せん子供の数が少ないんでしょうね
大銀杏の輝く12月
旧校舎を駆け回るおじいちゃんおばあちゃん
日本社会の現実を目の当たりにした気持ちでした。
ランチは賢島のとんかつ屋さん
カキフライ定食で腹を満たしました。
寒くなればなるほど三重県南部に行く機会が増えてきます。
長く5日も引っ張って来ました談山の紅葉も今日で下山することにします。
次回は雪降りの朝に訪問してみましょう
奈良県には古刹や歴史のある寺社仏閣がたくさんあって、いずれも家から1時間少々で来れるのでよきドライブコースになっています。
今年から山から寺社仏閣巡りが多くなってきましたが
紅葉は終わりかけがいいなと思うのでした。
12/7(土)
たくさんの撮影を楽しませくれた談山神社です。
階段コースだけでなくてゆっくり傾斜の散策道も整備されていますので
作られた紅葉の回廊をじっくり見ながら何度も立ち止まり、振り返りとあっという間に撮影枚数が増えていきました。
ここも七年前の春に来た時、撮った記憶が蘇ります。
桜の談山神社のアルバムから1枚引っ張り出して来ました。
長々引っ張って来ましたが
もう一回アップします。
雪降りの朝にも訪ねて見たくなって来ました。
12/7(土)
談山神社と言えばこの多重塔ですね。
何重あるのか数えてる間に錯覚に陥るほど重なってますね
俯瞰できる階段にてたくさんのカメラマンが撮影の順番待ちをしています。
ちょうど●●●ツーリズムの団体さんがいらしてさあ大変。
この談山神社にはあまり大陸の方がいらっしゃらなかったです
たぶん京都へ集中してるのでしょうね
戻って拝殿の景をもう一度
たくさん撮ったのでもう一回アップします。
12/7(土)
蹴鞠の時にも来てみるのもいいかもですね
飛鳥・法興寺で行われた蹴鞠会において出会った中大兄皇子 (後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が、
藤の花の盛りの頃、当社本殿裏山で極秘の談合をされました。
『多武峰縁起』によれば、「中大兄皇子、中臣鎌足連に言って日く。鞍作(蘇我入鹿)の暴逆をいかにせん。願わくは奇策を陳べよと。
中臣連、皇子を将いて城東の倉橋山の峰に登り、藤花の下に撥乱反正の謀を談ず。」と記されています。
この談合により、皇極天皇4年(645)飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を討ち、中央統一国家及び文治政治の完成という歴史的偉業を成し遂げられました。
多武峰はこの後、談峯・談い山・談所が森と呼ばれるようになり「大化改新設合の地」の伝承が残りました。
現在の社号の「談山神社」もここからきています。
天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いと知った大皇は自ら病床を見舞い、後日、大織冠内大臣という人臣の最高位を授けられ、
藤原の姓を与えました。藤原氏は、ここから始まります。鎌足公の没後、御墓は摂津国 阿威山(現在の大阪府高槻市)に造られましたが、
白鳳7年(678)唐より帰国した長男・定慧和尚が鎌足公の遺骨の一部を多武峯山頂に改葬し、
十三重塔と講堂を建立して妙楽寺と称しました。さらに、大宝元年(701)方三丈の神殿を建て、
鎌足公の御神像を安置しました。これが談山神社の始まりです。
談山神社の謂れですが「大化の改新」は歴史上でもかなり有名なお話ですね
一応、日本史が大好き(とくにこのあたりの年代)だったので興味が尽きないですね
拝殿に一三重塔と見ごたえのある談山神社です。
もう少し談山神社の紅葉風景を楽しみましょう。
12/8(日)
7年ぶりに談山神社の紅葉を見てきました。
7年ぶりとは、桜の季節にタカヤンさんご夫妻と訪ねた以来で
紅葉期に来るのは初めてなのでした。
その際、タカヤンさんからここの紅葉は素晴らしいよとおっしゃられていたのがとても記憶に残っていました。
9年前は、さんふらわあフェリー弾丸で志布志へ行った帰り道
朝一で吉野山の桜を見てから談山神社に立ち寄り、最後は本郷の又兵衛桜と三大桜の名所旅でした。
桜の季節も素晴らしいなと感想を持ちましたが
紅葉期は山の方ばかり行って寺社仏閣には行く気が起こりませんでした。
しかしながら ここ数年 寺社仏閣巡りがいいなと思い出し
そうだ 紅葉の談山神社に行ってみようと思ったのでした。
想像していた以上に、紅葉が素晴らしいのでたくさんの撮影枚数になりました。
しばらく談山神社の紅葉風景をお届けしたいと思います。
12/8(日)
タカヤンさんご夫妻との紀州日帰り旅は熊野の丸山千枚田から高速利用で一気に津市の河内渓谷にワープしました。
前々からぜひご紹介したいと思っていた撮影ポイントでした。今年は紅葉期が遅れたのでまだなんとか落葉せずに
鮮やかな紅葉を見て頂くことが叶いました。タカヤンさんもこの渓谷のことはご存じの様で訪ねてみたかったということで
一石二鳥なフィナーレ撮影会となりました。この河内渓谷は私のホームグランド「錫杖ヶ岳」の麓にあります。
とても鮮やかな紅葉ですが、おそらく意図的に植樹されたものだと思います。
されど、みなさん紅葉が大好きなので何十年も前に植樹された方の
想いは今に生きてますね
12/1 日帰り弾丸紀州旅は670km
おしまいおしまい
タカヤンさんご夫妻との南紀紅葉旅は三重県熊野市紀和にある丸山千枚田にやってきました。
田んぼに水貼りされる春にはすごい数の観光客がいらっしゃいますが
秋はそこまで混雑しません
タカヤンさんからも一度見てみたいとのリクエストもありましたので
今回の旅のプランに入れてありました。
水貼りされた棚田も美しいですが
稲が刈られた棚田の風景もいいなと思います。
丸山千枚田の下部にも銀杏の木があっていい味を出していますね
この日は、熊野トレイルレースが開催されていました。
棚田を疾走していく選手たちに声援の声をかけました。
この日のランチは福定の銀杏から丸山千枚田の間にあった道の駅で
南紀勝浦のマグロ丼をいただきました。
紀伊半島の旅は山あり海ありと
とても贅沢な内容になります。
信さん、来年はぜひ紀伊半島の旅にお出かけくださいね
12/1
もう少しタカヤンさんご夫妻との日帰り旅は続きます。
このわんちゃんは銀杏の木の下で出会った可愛い子です。
この女の子も可愛かった
毎年この銀杏の木を見にくるには
もう一つの目的があります。
それは、この銀杏の木の下に住むおばちゃんがつくる
いっちょんくんを購入するのが目的になっています。
今年は、体調がよくなくて休んでいるとのことでした。
ぜひ来年は回復されたおばちゃんにあって話をしたいものです。
福定の銀杏を後にします。
12/1
福定のおばあちゃん
元気になってくださいね
今年も多くの観光客が福定の銀杏に集いました。
街でも大きな銀杏の木を見ると思わず和む不思議なパワーを感じますね
福定の銀杏は樹齢400年あまり 江戸時代の始まりからこの地に生きてる大変生命力のある銀杏ですね
何年か前にこの銀杏のそばに住む方と話す機会があって
昔、このお寺にはコジキの坊主が住み込んでいて
大変貧乏なので薪にとこの銀杏の木の枝を
どんどん切って使ってたそうです。
村の人は、坊主が亡くなってから
なんども接木をくりかえして枝を伸ばし
今の形になったと教えてくれました。
確かに看板にも接木を繰り返した結果、このような稀な形になったと記されていました。
いまでは千手観音様のような出で立ちになって
訪れる人々を暖かく見守ってくれてる感じがします。
毎年 見に来たくなるホッとするマザーツリーですね
わんちゃんもいい感じですね
おてて繋いで銀杏拾い
宝泉寺の銀杏
もう一回アップします。
12/1
今回の旅のメインである熊野古道中辺路は福定にやってきました。
何度通ったことか新緑の頃にも立ち寄っていますが、やはり黄金色に輝く今の季節が
この銀杏がもっとも美しいですね 銀杏に後光が差す様はまさに千手観音のようなお姿に見えます。
まずは対岸の展望地から福定の大銀杏を狙ってみます。
タカヤンさんの紀行でも紀州の紅葉旅が始まっていますので
しばし福定銀杏を引っ張ってお待ちしようと思います。
12/1(日)
鯛の島にて日の出の撮影を楽しんだ後、古座川沿いに車を走らせました。
古座川には秋から冬にかけて大気が冷えてくると川霧が発生します。
今回はそれほど朝霧は発生してなかったですが、とても冷えた朝にはとても幻想的な世界が広がり
少し標高を上げると川霧が雲海のように見えます。
前回古座川を訪ねた時は、雲海の上に銀杏の巨木を見ることができました。
紅葉シーズンの最後は銀杏ですね
朝日を浴びてお地蔵様も朗らかな表情になってました。
お次は、中辺路の福定大銀杏に参ります。
12/1