旅は礼文島から利尻島に移ります。
礼文島2日目は、予定を4時間程繰り上げて1本早いフェリーにて利尻島「沓掛港」に到着。
空模様を見て予定が柔軟にシフトできるのは個人旅行の良いところですね
利尻島には2つ港があります。
それは、この島には2つの町「利尻町」と「利尻富士町」がある為だろうか
旅中、なぜなんだろうと思っていた事を帰ってきてから歴史を調べて見ました。
以下 文献参照
利尻郡は全域が利尻島であり、1869年(明治2年)に設置されて以来変わっていません。北海道二級町村制が施行された1902年(明治35年)4月、島内の6つの村が4つの村に再編されます。
その結果、利尻島には仙法志村、沓形村、鬼脇村(鬼脇村と石崎村が合併)、鴛泊村(鴛泊村と本泊村が合併)が存在することになりました。
このうち、最も早く町制施行したのは沓形村で、1949年11月1日に沓形町に移行。
しかしその後、いわゆる「昭和の大合併」の波に利尻島も飲まれることとなります。
島内4町村は利尻郡町村合併促進協議会を設置して、「利尻郡1町構想」を目指し協議を試みますが、役場所在地の位置について意見の相違があり頓挫しました。
それでも、合併の気運は消えず、沓形町と仙法志村がまず合併に向けて動き出しました。それに追随する形で鴛泊村と鬼脇村の間でも、合併に向けて歩み寄りが見られるようになりました。
結果的に、1956年9月15日に沓形町と仙法志村が合併して「利尻町」が誕生。
わずか半月遅れの同月30日には、鴛泊村と鬼脇村が合併して「東利尻村」が誕生しました。
先に合併した前者が「利尻町」を名乗り、遅れた後者が「東」をつけざるを得なくなったのです。
東利尻村は、合併から3年後の1959年9月に町制施行を果たしました。
東利尻町は文字通り、利尻島の東側に位置していることに由来するわけですが、町民の間では30年以上もの間、しっくりしない感じを募らせていたといいます。そんな折、町名変更の声が上がりました。
お隣の利尻町に負けることなく、町の知名度をアップさせて、水産・観光振興をはじめとして町の活性化につなげたいという思いなど
検討を重ねた結果、「利尻富士町」を選定し、1990年9月30日に町名を変更しました。
全国に誇る日本百名山「利尻富士(利尻山)」にちなむ町名が採用されました。
参考文献:『利尻町史』『利尻富士町史』
利尻島を1周して見るとよく分かるのですが
方向によって見え方が千差万別
それは本旅紀行でご覧いただければと思います。
1本早いフェリーで沓掛港に上陸したので、レンタカー屋さんに連絡し予約を早めてもらいました。
ちょうど、借りる予定だったレンタカー屋さんが他のお客さんを迎えに来ていたので
渡りに船で話はうまく進みました。
昼食は、レンタカー屋さんに教えてもらった行列のできるラーメン屋さん「味楽」へ
利尻昆布ダシを基本にしたラーメン屋でした。
山にかかっていた雲がどんどん切れてくるのが分かりました。
港を起点に島を反時計回りに撮影スポットをめぐりました。
ウスユキソウ
シャクのお花畑
次に姫沼に移動しました。
雲はあれど空が明るい
夕方から晴れてくるのが分かります。
姫沼:神秘的・静寂な空間でした。
2泊お世話になる宿のチェックインの前に
明日の登山の下見(登山口)に行くことにしました。
日本100名水「甘露泉水」まで往復1kmを散策しました。
この道は利尻岳登山コースでもあります。
17年ぶりに歩く散策路
断片的に記憶が蘇りました。
甘露泉水にて下山されてきた二人のご婦人とお話をしました。
「雲海の上に利尻岳が見えて最高だった」
「ツバメオモトの花を落とした葉がとても鮮やか」だったと
話して頂きました。
その言葉、また足取りや容姿から
山をしっかり歩いて来た岳人
そして何度も山旅を共にして来た仲のいいお二人だと分かりました。
山での会話はすれ違い時の短い会話が多い
しかし短い言葉には
実体験の感動感情が凝縮されていて
それがまたいいものです。
山に還ってきたなと思いました。
この日は宿に入ってゆっくりしました。
夕食時に出されたニシンの塩焼きが絶妙でした。
ウニも初物を頂きました。
takayanさんに
明日は朝3時出発でお願いしますと伝え就寝。