最近、本屋で”アドラー心理学”が話題になっている。
アドラー心理学の一つに、叱られたり、ほめられて育てられた人間は、叱られたり、ほめられないと行動しない人間になる!というのがあります。
これは、育児だけでなく、部下育成にも当てはまることです。
現代日本の場合、このアドラー心理学に行き着く前段階の傾向が出てきました。
叱る・ほめるためには、何らかの言動を起こすことが前提にあります。
現代日本の教育が受験戦争により、たった一つの正解を求める傾向が強くなったことと、
不正解することは恥ずかしいことという風潮から、正解が見つけられないことに対して、自分の意見を持つことができなくなっているのです。
自分の意見に基づいた言動をしなければ、叱られることも、ほめられることもないのです。
現代日本で起きているのは、他人と違ってもいいので、自分の意見を言い切る力が劇的に低下しているのです。
これは、現代の若者だけに問題があるのでなく、学校教育制度や欧米の成果主義を真似ることで、社員教育を怠ったことにも、大きな問題があるはずです。
一問一答のやり方に慣れ切ってしまった人間に対して、自分なりの意見を求めることには時間が必要でしょうね。
これを待てるかどうかは、一年後を見るのか、十年後・二十年後を見るのかの視点の問題(=人間の器)に依存するでしょう。
継続することが求められる会社・経営者が、短期的成果を求める気持ちも理解できます。
昨日の林業の話ではありませんが、百年後を見て、今の行動を判断できる世の中に戻ることを切に願います!
本日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
アドラー心理学の一つに、叱られたり、ほめられて育てられた人間は、叱られたり、ほめられないと行動しない人間になる!というのがあります。
これは、育児だけでなく、部下育成にも当てはまることです。
現代日本の場合、このアドラー心理学に行き着く前段階の傾向が出てきました。
叱る・ほめるためには、何らかの言動を起こすことが前提にあります。
現代日本の教育が受験戦争により、たった一つの正解を求める傾向が強くなったことと、
不正解することは恥ずかしいことという風潮から、正解が見つけられないことに対して、自分の意見を持つことができなくなっているのです。
自分の意見に基づいた言動をしなければ、叱られることも、ほめられることもないのです。
現代日本で起きているのは、他人と違ってもいいので、自分の意見を言い切る力が劇的に低下しているのです。
これは、現代の若者だけに問題があるのでなく、学校教育制度や欧米の成果主義を真似ることで、社員教育を怠ったことにも、大きな問題があるはずです。
一問一答のやり方に慣れ切ってしまった人間に対して、自分なりの意見を求めることには時間が必要でしょうね。
これを待てるかどうかは、一年後を見るのか、十年後・二十年後を見るのかの視点の問題(=人間の器)に依存するでしょう。
継続することが求められる会社・経営者が、短期的成果を求める気持ちも理解できます。
昨日の林業の話ではありませんが、百年後を見て、今の行動を判断できる世の中に戻ることを切に願います!
本日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。