書斎から帰宅する際、
お弁当で持参したガラス容器を割って気づいたこと。
それは、
私が意識してできるのは「1つ」のことだということ。
ガラス容器を割ったのは、
洗い終えたガラス容器を
流しからカバンを移す途中でした。
両手には、ガラス容器を含め3つの器があり
その容器をカバンに入れようとしながら
足を使ってカバンの位置を整えようとしたのです。
その時、私の手から容器が転落…
ガラスの破片が部屋中に散らばる始末と相成りました
ガラス容器が転落する瞬間、
私の意識は、
カバンの位置を整えようとする足にあり
ガラス容器を持っている手にはありませんでした。
「自分が意識してできることは1つしかない」
ということは、
神棚にお参りする時に実感しているはずなのに
油断すると効率性か求めるのか
ついつい横着になる自分
気をつけたい「癖」
追伸)
掃除機がない書斎で
飛び散ったガラス破片を片付けるまで、
相当な時間を要したことを考えると
かなり非効率な体験でした
【しあわせです、感謝】