学生時代
よく小海線に乗りました
松原湖で降りるのですが
小淵沢からここまでの間に
土地の言葉を覚えました
それくらい
学校の生徒たちもしっかり
信州弁(甲州弁もあり?)を
駆使していたのですね。
ゆっくりと走る列車の
デッキにはドアもありませんでしたから
デッキに腰掛けていると
足元を高原のススキや
もしかしたらあれはリンドウ
が
触れてゆくようでした。
優しいなつかしいゆっくり列車は
今はすっかり姿を変えて
列車の中で土地言葉を聞くことも
少なくなりましたし
お客は都会の別荘族や
観光客が多いのです。
高原の草原のほか何一つ
なかった清里は
キャンディの箱をひっくり返した
ような
醜悪な町になりましたし
松原湖へ上がる途中に横切った
舗装もなかった埃だらけの道は
今は141というとても立派な国道に
なりました。
そしてその道を
海尻という駅から松原湖まで
てくてくと歩いた若かった
私の姿は今は
老婆になってます・・・