京都は今や
外国人に愛される
観光都市になってますが
私の青春はこの街でした
ところで
俊寛僧都が平家打倒の陰謀を
ここ鹿ケ谷の廬で
密議を凝らし
発覚して
鬼界ヶ島に流されたという
歌舞伎にもなった歴史秘話・・・
その鹿ケ谷には今
石碑が立っていて
訪れる人も多い
というより
散策するとここを通る
のですが
こんな滝が・・・
水があったから廬も
建てられて
暮らすこともできたのでしょうが
奥深い風情ではありました
それにしても
今や
外国人が
京都の人でもあまり知らない
ような所にも
出かけて行って
しかもちゃぁんと
「正しく」エンジョイしているのを
見ると
時勢の移り変わりを
つくづく見る思いです