人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

風貌

2018年07月25日 | ニュース

岸田氏が総理候補には立候補しない

とニュース。

そのときのおばさん達の会話。

「当然でしょ、あの器では」

「ってか、あの人がプーチンやトランプと渡り合ってる姿

想像できる?」

「できなーい!」

「石破氏もだよね、不気味」

「でもさ、風貌だけで判断するの、まずいよ」

「でもさ、麻生氏なんておちびさんが・・・」

「こらこら、差別用語注意!」

「背が高いだけでも安倍さんに一票!」

「でもさ、その安倍さんもアメリカには頭上がらないから

情けないね」

「何言ってんの、安倍さんが、じゃなくて、日本が、でしょ」

「そだねー」

一同、笑う。

笑えない話なのに笑うのが「おばさん」です。

 

 

 

 


ある白熱授業

2018年07月24日 | テレビ

先日、ある「白熱授業」を見ていて

ちょっとおかしくなっちゃった。

パソコンの画面にはその人が覗いたある商品だの情報だのが

ずっとその個人のパソコンに出てくるわけですね。

これでもかってくらい。

私のパソコンでいうと

一度

「夏服」をのぞいたわけですよ

そうしたらずっとそれの商品が・・・

それを「白熱」では

「個人情報の侵害」「プライバシーの侵害」とか

夢中で怒っているわけです

いえ、議論しているわけです。

彼らは議論に長けていますからね。

「白熱」の面白さはこの「議論劇」にあると思ってます。

これを聞いていて、というか、見ていて

日本人の私、なんでこんなことであんなに夢中になって

議論するかなー・・・

思ったのでした。

パソコンに嫌でも現れるあのたくさんの不要な情報は

私の場合

ただちょっと邪魔ってだけで

プライバシーの侵害なんて関係ないと

思うのでした。

まあ、いずれにしても議論上手になって欲しいのは

日本の政治家ですね。

今の国会の議論のやり取りは

小学校五年生くらいか

いや

五年生の子供達でももう少し

真っ当なやりとりができると思いますね。

とくに野党のただの悪口の言い合いはなんですかねー

一度、議員の皆さんたち

小学校の教室で勉強やりなおしてくださいな。

政治の語源はたしかーー

「雄弁術」(ポリティケー?)でしたね・・・

話がずれてしまいました・・・

 

 

 

 

 

 


もぐもぐ・・・

2018年07月23日 | テレビ

もぐもぐーーー

いえ、カーリングのことではありません。

テレビのことです。

ちょいとテレビをつけると

しょっちゅう、もぐもぐだれかが何かを

食べているのですね。

同じパターン、

食べたら反り返って「おいしい!」と

悲鳴を上げてみせる

あまりにもこのシーンが多いので

馬鹿らしくなってチャンネルを変えると

なんだかまた食べてる・・・

あるいは料理や、スイーツなどの大映し。

飽食の日本人は今やこんなことに悲鳴をあげるのですねー

そしてあるときは

命がけで海を渡ろうと

必死の形相の船上の難民を映し出します。

飽食の悲鳴と難民の悲鳴と・・・

テレビはのんきなものですねー


土を捨てた農民

2018年07月22日 | テレビ

中国の農民大移動のドキュメンタリーを見ました、

見渡す限り白亜の一戸建てが

しかも同じ建物がびっしりと並ぶ

ピカピカの大団地。

そこへいかにも辺鄙な農村からだという農民が

大挙してやってきて

暖房もある水道もあるトイレは水洗という

素晴らしい暮らしが待ち受けている

かのように

説明を受けているわけですね。

私、その瞬間から思いましたね、

この人たち、幸せになれないぞと。

果たして

「村にいる時は牛の糞を焼いて暖房してたからお金はかからなかった」

水もちょっと遠いけど井戸まで汲みにいけばただだった・・・

と始まるわけですね。

就職はむずかしい、その理由が

「おまえたち、読み書きできないだろ。それができるようになったら

世話してやる」というのでした。

運よく肉体労働にありついた人も

なんと賃金を支払ってもらえない。

やり方がまずいからきちんとやりなおしたら払ってやる

というわけです。

ああーー

そして彼らが元いた村は

すべての家が取り壊されるのですが

その緑あふれる村の美しいこと。

たぶん少数民族の村だったのでしょう。

新しい一軒の家ではわずかな庭の土を

畑にしようといじらしくも掘り返しているのですが

瓦礫ばかりが出てきて・・・

何が幸せなのかと

考えさせられるのでした。

便利さと不便さとだけで比べられるものかと。

NHKもときにはいい番組もあるんだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


茶色い大地

2018年07月21日 | 日記

殺し合い撃ち合い逃げ惑いしている映像を

テレビで見るごとに思うのは

その大地がいつも草木一つない茶色の

あるいは白茶けた砂漠の大地を背景にしていること。

緑のない裸の大地の上では

人は戦闘的になるのだろうかと

あの猛々しい顔つきの人たちを見ながら思います。

優しさは深い緑の大地の上にこそはぐくまれるものなのかと

あるいは

理知も

抑制心も

融和も

許しも

深い緑に抱かれてこそ人に恵まれるものではないかと

あの殺伐とした砂漠の上に上がる戦火を見ながら

いつも思ってしまうのです。

ええ、もちろん

緑の大地に恵まれた国々でも戦いはあるし

殺戮もあるのです。

ただ、今日このごろの映像では

あまりにも茶色の渇いた大地が目につきます・・・