Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

いつもと違う光景

2013-12-27 23:27:27 | ひとから学ぶ

 久しぶりの列車は仕事納めの日。12月は会社に早く出勤すると、帰りも遅いという日々が続き、すっかり電車に乗ることはなかった。今日もこれまでと同様に車で向かう予定であったが、できなかった忘年会を最後に行うことになって電車で向かうこととなった。いまだ先は見えず、正月どころではないのたが、わたしのエリアを他人にも押しつけるわけにもいかず、年忘れのひと時をおくることとなった。

 そんな電車もいつもよりは1本速い列車。いつもより家を出るのは40分も早いというのに、乗車して次の駅で10分近く停車するため、結果的に会社に着くのは30分いつもより早いだけ。ところが眠たい朝にはこの10分も貴重なもので、ずいぶんいつもより早く家を出る印象だ。これが電車で行く意識を遮ってしまう理由だ。車ならこの列車で会社に着く時間に合わせれば、家を出る時間が30分も違う。誰もが電車を選択しづらい理由のひとつといえる。そんな久しぶりの列車は、意外にも年末だというのに高校生がいつも通り席をほぼ占領している。さすがにいくつか空いていて、いつもの列車のように人の横の席へ座り込むという選択はしなくても良い。ところがこの列車にはずいぶん飯田まで間に大人がたくさん乗車してくる。ふだん利用しない列車だから「こんなもの」と思えばそれまでだが、きっと仕事納めということもあって、いつも以上にふだん乗らない大人が乗っているのだろう、などと乗車してくる客層を見ながら思った。すると押し寄せるように乗ってきた50代後半と思われる男性客がわたしの横に座った。彼の仲間と思われる男性も通路に立った。彼らの話は仕事の終わった後の宴会の話になっていた。良くは聞き取れなかったが、どうも学校の先生たちのよう。同じ年恰好ということもあって、予想通りそれぞれ違う駅で降りていった。通路に立っていた仲間と思われる男性たちは、女子高生が降りると即座に空席に向かい、「座る意志」を見せた。そんな姿を見ていて気づいたことがある。ふだんの飯田線の車内では、空席があっても一人掛けの空いた空間に座るのに躊躇する大人が少なくない。ようは高校生であろうが大人であろうが、すでに埋まっている空間に「入り込む」ことに少なからずためらいのようなものも生まれるものなのだ。しかしわたしの横に座った方も、そして通路に立っていた彼らにもそれが全くなかった。何を言おうとしているかおわかりだろう。飯田線界隈であっても学校の先生たちにはそのような躊躇をする人があまりいないということだ。さすがに人なれしている、ということなのか、そんな表現は叱責を被るかもしれないがわたしがふだん見ている光景とは少し違うのだ。


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