豊丘村を歩く⑤より
旧河野村の南の端に芦部川の谷がある。中芝と中平の間にある段丘は段丘地形が特徴的な豊丘村の中でも最も顕著な段丘になる。芦部川はこの段丘を切り込んで流れ出てきているわけだが、段丘崖の右岸側にはミソベタ層と言われる伊那谷では特徴的な地層が露頭している。豊丘村はもちろんのこと、伊那谷ではときおりこの層を目にすることがある。ミソベタ層は200万年前の地質構造と言われる。かつて伊那谷は海だったと言われ、富草層と言われるそのころ体積した基盤岩の上の最も古い層にあたる。後に陸化した現在の伊那谷のある地は濃尾平野まで続く平野であったが赤石山脈が隆起を始める。そして南側の三河高原が隆起を始めるといよいよ伊那谷が形作られ始める。富草層の上に下部伊那層群と言われる層が堆積される。そして諏訪方面での火山活動が活発化し大規模な火山泥流が伊那谷に流れ込んで堆積した。これがミソベタ層なのである。泥流ということもあって堆積物は強固なものとなって層を成した(凝灰角礫岩)。ようは下部伊那層と火山泥流堆積後に堆積した上部伊那層群との間の不透水層となったわけである。上部伊那層を削るように天竜川が浸食し、さらに木曽山脈が隆起を始めたのである。天竜川右岸の扇状地を形成し、両山脈の隆起は扇状地を南北に走る断層を幾重にも発生させた。伊那谷の典型的段丘地形はこうしてできあがったわけである。地質構造発達史の一時代を築いたミソベタ層はそもそもその後に堆積した伊那層や段丘堆積物によって隠されていたものなのだが、削り取るように流下する河川によってわたしたちの目にするところになったわけである。ミソベタとは味噌のような色とべたべたしたところからそう呼ばれるようになったという。
前述した段丘崖には南北に古い道が走る。芦部川沿いのちょうどミソベタ層が露頭しているところから段丘崖を見上げると、今にも落ちるのではと思うほど土台が露出している石碑が見える。こんなところに何だろうとおもってこのミソベタ層の背面にまわり段丘を登る歩くほどの道を登ると、この突端に墓地が点々とある。それも今では管理されているか怪しいような墓地も。下から見えていた石碑も墓石のひとつだったのである。この坂道を登りきると段丘崖を登る車道に出て、すぐ上にお堂が立つ。陳の坂観音と言われるお堂にある説明板でこの坂が古道であることを知った。唐松峠越えの道は南北朝時代に大河原に住んだと言われる宗良親王がこの地に陣を張ったという言い伝えも。陳の坂観音は現在円通閣と掲げられ昭和62年に新しい御堂に建て替えられている。本尊のほかにも幾つもの仏像が安置されているが、両脇に石造の十王像が立ち並ぶ。近くにあったものを堂内にまとめたとものという。伊那谷では石造十王が各地に残るが、寺院の形成や隆盛と十王信仰の衰退が強くかかわっていると思われる。段丘崖上の突端から望む天竜川の景観は、豊丘村の特徴的なものである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます