伊那市美篶笠原馬場
伊那市美篶の内でも笠原はちょっとほかの集落と位置の構成が違う。表現がわかりづらいが、美篶という地域は天竜川よりから青島、下川手、上川手、下県、中県、上原、南割、芦沢と集落が高遠町に向かって並ぶ。下段の三峰川沿い、中段のひとつ段丘の上、さらに上段に六道原という大きく分けて3段の土地が存在し、三峰川から見れば縦割りに集落が分けられている。ようはいずれの環境をも有しているというわけで、いわゆるかつてのカリシキ場を上段に持っていたということになるのだろう。ところが末広と笠原という集落は川手には土地がなく、上段に集落があり、とりわけ笠原は山つけの集落。集落の起こりそのものが、その地勢から異なることがわかる。
芦沢から上段に上ったところにある笠原馬場という集落の真ん中の辻に道祖神が南面して建っている。見た目は冒頭の写真のように8基の石碑があり、そのほぼ真ん中に「道祖神」が建てられているが、向かって右隣には「庚申」、その右に阿弥陀像、さらに「庚申」と並ぶ。最も古いものは左から2基目の板碑型の三猿の刻まれた碑(庚申)の寛文12年(1672)のものであるが、他にも阿弥陀像の元禄16年(1703)銘など1700年代のものが2基あり、さらに「道祖神」も文化4年銘であるから1807年とすでに200年以上経過しているもの。比較的古いものが建っている辻であるが、実は8基の裏側に石がごろついている。「道祖神」の裏側あたりにあるが、これは『長野県上伊那誌』の道祖神一覧にある「自然石」道祖神「二個」にあたる。これがいつごろからここに祀られていた、ということになるのだろうが、「道祖神」が文化4年として、それ以前か以後か、ということになるだう。いずれにしても現在地は、「道祖神」に道祖神としての存在は取って代わられており、忘れ去られようとしている雰囲気が十分うかがえる。
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