Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

闇の世界へ、サヨウナラ

2024-09-26 23:45:24 | ひとから学ぶ

 今朝、会社へ向かって歩いていると、マチの中で道路上を掃いている人を見かけた。秋だからといって、まだ落葉が盛んな時期ではない。見た感じでは落ち葉を掃いているわけでもなく、「何を掃いているのだろう」と気になったのだが、掃くようなモノは目に入らなかった。既に目的のモノは掃き終わっていて、わたしの目に入らなかっただけかもしれない。ということで箒で掃く最後の段階だったのかもしれないが、そのおじさん、側溝の暗渠に時おりあるグレーチングの中に掃き落としていた。ようは掃除したモノは、側溝内に消えていったというわけだ。どのようなモノだったのか、見当もつかないが、それほど大きなモノではなかっただろう、とは思う。

 玄関先の目障りなものを、目の前から消す。その行き所が側溝(暗渠)となれば、いずれはその闇の中はモノで溢れ、側溝としての機能を失う、かもしれない。もちろんよほどのことがなければだが、いっぽう近年はちょっとした雨で側溝は溢れる。そしてそこに溜まっていたものも流されていくのかもしれない。目障りなものを闇に葬るには、側溝は身近なゴミ捨て場、かもしれない。とりわけ暗渠になっていればなおさらだ。周囲の人も気がつかず、気がついたとしても、それは事故があってからのこと。この闇の世界は「罪深い」。

 「人が見ていなければ」とかつては、いいや今もそうかもしれないが、ゴミは葬られる。それはゴミとして容易に処分可能なら、合法不法は無関係だ。とりわけ人目につかない、そして身近な場所は、うってつけでもある。雪が降って、自家の前は綺麗にするのに、その雪が道に押し出されたりするのは、闇ではないが似たような意識。雪はそのうちに解けて消えてしまうから、暗渠の世界、ようは闇の世界と同じようなもの。おじさんにとって、グレーチングの先の世界など、もはや自分の世界ではないのだ。


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