岡村知彦氏が『日本の石仏』162号(日本石仏協会)に発表した「焼石ドーロクジンー東信濃の自然石道祖神―」のタイトル「焼石」とは何かであるが、「浅間山の噴火・爆裂に際して噴出した火山弾を指」すという。長野県内では浅間山の噴火によるものが代表的と言え、火山弾か溶岩か定かではない自然石道祖神も含まれていると思われる。溶岩でイメージすればわかりやすいが、まさにゴツゴツしている。この「ゴツゴツ」が県内の自然石道祖神の共通キーワードにもなる。もちろんすべてではないが。この部分について岡村氏は自然石道祖神が「最もその数が多くある依田窪・塩田平では平らなゴツゴツした石、あるいはいくつも「マユダマ」と呼ぶ五輪塔空風輪を祀ったりもしていますが、その大方はなめらかな肌の細長い丸みがかった河原石を道祖神としたのが特徴」と述べている。少しこのあたりの捉え方が、これまで依田窪の自然石道祖神を見てきた中でのわたしの印象と異なるわけで、わたしがまだ全てを見ていないせいかもしれないが、浅間山麓のものほどではないものの、むしろゴツゴツした石が自然石の道祖神として祀られているという印象が強かったわけである。これは、ふだんどのような石を生活の上で見ているか、という体験上での印象ともかかわるもので、もちろん浅間山麓の火山弾がゴツゴツが際立っていることは認めた上でのことである。伊那市周辺の自然石道祖神も、通常のそこらにある石に比較したらゴツゴツした石であることが多い。
岡村氏は前述の中で「マユダマ」について触れている。五輪塔の空風輪を道祖神としている例をあげているのだろうが、これまでここで触れた旧丸子町西内や旧武石村余里においては五輪塔残欠を見ていないが(西内で自然石道祖神の近くに五輪塔残欠があった例は紹介している)、東内あたりでは五輪塔残欠が道祖神と一緒に置かれている例はあった。岡村氏のこうした報告でもわかる通り、五輪塔残欠が東信地域でも道祖神として扱われていることがはっきりしたわけで、やはり五輪塔と道祖神については注目していく必要性があることを物語っている。
岡村氏が名付けた「焼石道祖神」であるが、火山弾あるいは溶岩を祭祀対象としていたと思われる例は遠隔地で見かけることがある。近在にない石をあえてなぜ利用したのか。火山噴出物、あるいは火山岩系に対する信仰との関係が問われる。伊那谷於いて安山岩を利用した十王が多いのも、これらの関係性とかかわっていると思う。焼石道祖神について岡村氏は旧東部町滋野には96基を数えると述べている。そしてそれらの多くは焼石のみを祀って道祖神としているという。自然石のみを祀って道祖神としている例は焼石に限らず、前述した西内や武石よりの例にも見え、また自然石道祖神の多い伊那市周辺にも多々ある。ちなみに岡村氏はこれら焼石道祖神のみを祀っている集落は「その歴史を中世にまでさかのぼる浅間山麓の古集落であること」と述べている。おおかたの想像通り、自然石道祖神に共通すると思われるのは造塔される以前の道祖神の姿だったといえるのだろう。
なおこれら焼石道祖神の信仰について岡村氏は「コノハナサクヤヒメ信仰に則った子授け・安産に関わる石神であると提示するのが最適のように思われます」と述べている。そして「中世後期。厄除けの神・道の神・邪気・悪霊の侵入を塞ぐ神・性愛の神・男女和合の神・子授けの神などが渾然一体視された道祖神信仰がこの地にも伝わり、江戸初期になってこれらをつかさどる今に見る道祖神像の出現となったのでしょう」と説いている。
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