Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

フィギュアスケートがスポーツであるために

2013-12-24 23:43:41 | ひとから学ぶ

 ソチオリンピックのフィギュアスケート代表が決まる全日本選手権は、多くの国民が注目したことだろう。世界の舞台以上にこの試合の重要度は高く、代表選考のトップにも全日本選手権優勝者という肩書きが上げられていた。それだけに代表に向けてこの舞台に立った選手はその望みをもって挑んだはず。結果的に男子では3位に入った小塚崇彦は涙をのんだのだが、これほど熾烈を極めた代表選考は過去になかったという印象を持ちがちだが、実は同じような厳しい選考が、前回のバンクーバーオリンピックの際にも女子の選考にあった。全日本選手権で今回同様に3位に入った中野友加里がオリンピック代表に至らなかった。このときは全日本選手権で4位に入った安藤美姫が代表選出となったのだが、当時の選考基準の第一にはグランプリファイナルの最上位者という肩書きがあったためで、意外にも安藤美姫がすんなり選出されているため、確かに曖昧さは今回ほどではなかったかもしれない。今回は前回以上に全日本の結果が重要視されるという意識があったからこそ、高橋大輔の口から「これが最後かも」という言葉を漏らさせたのだ。小塚崇彦には気の毒な選考だった。国民の多くが高橋大輔選出を喜んだのも物語を装飾した。

 さて、心配なのは高橋以上に悲壮感を表した浅田真央だろうか。バンクーバーでトリプルアクセルを3度跳んだのに頂点に立てなかった浅田真央は、どうするべきかをこの4年間必至に考えてきたことだろう。浅田真央についてはこの日記の中で何度か記してきている。もちろんキムヨナという選手との差異について言及している。日本人が最もショックを受けたのは2年ほどのブランクを経ていきなり登場した2013年の世界選手権でのキムヨナの優勝だろう。紆余曲折とも言えるほど浅田真央はバンクーバー以降も「次のオリンピックこそ」とばかりに悩みぬいてきた。もちろんいかに高得点を得るかというところに視点をおいていたはず。ようやくそれが見えてきていたにも関わらず、世界選手権ではキムヨナとの差を再び見せ付けられたのだ。このときの得点はキムヨナ218.31、浅田真央196.47である。もちろん浅田は完璧な演技ではなかったが、バンクーバー時以上にキムヨナは「転んでも高得点」を出すようになった。誰もがその差異を解明できないでいるが、ようやくそのキムヨナの得点に近いところまで浅田真央はたどりつこうとしている。この浅田が果たしてソチではどうなのか、ということになる。韓国のあるスケート関係者は、「ソチでも浅田はキム・ヨナには勝てない」とキッパリ言ったとか。ある記事では“「前回五輪で踊ったミステリアスなボンドガールは日本のファンもよく覚えているでしょ。あれを見て、『キム・ヨナにバキューンとピストルで撃たれたい』というオジさんがたくさんいたと聞いた。でも、浅田の演技を覚えている人はどれだけいるか? 覚えているのはトリプルアクセルのシーンだけじゃないですか」”とそれを解説する。これを聞くと「これはスポーツか」と問いたくなるわけだ。そもそもキムヨナはあのバンクーバーのときと滑りが変わっているわけではない。それに比較すればずっとソチを目指して努力してきた浅田により技術も演技としての向上もうかがえるのに、それでも「やっぱりキムヨナか」と思わせるような仕打ちだけはして欲しくないわけだ。フィギュアスケートがスポーツであることを証明してほしい。


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