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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

御柱祭曳き綱造り・後編

2016-03-01 23:16:43 | 民俗学

御柱祭曳き綱造り・中編より

 

一の柱曳き綱蛇頭

 

四の柱曳き綱蛇頭

 

 前回御射山神社に並べられた4本の綱の写真を掲載したわけであるが、とぐろのように巻いた綱の上に妙なものが載っているのに気づかれただろう。これを地元では蛇頭(じゃがしら)と呼んでいる。まさにとぐろを巻いた上に載るにはふさわしいものなのだろうが、今では伝統的に毎回蛇頭が綱の先につけられる。伝統と言われるようになったが、実はこの蛇頭がつけられるようになったのはそれほど昔のことではない。そもそも蛇頭が柱の先端=綱の先端に付けられる例はほかでは聞かない。なぜ蛇頭が付けられるようになったかが知りたいところだが、このことについて宮澤恒之氏が2回前の御柱の際に「蛇頭をつけた御柱の曳綱」と題して『伊那』916号(伊那史学会 2004年9月)で触れている。「この蛇頭、管見にふれるかぎりでは当社と同町上片桐の諏訪形神社以外に、例を知りません。松川郷土クラブ編『写真集 昭和五十五年申年松川町の御柱』に登場しますが、それ以前の曳綱に蛇頭はつかないようです。惜しまれるのは、これを作り続けた名人横田さんが今は亡く、御柱祭の献柱と曳綱と蛇頭の結びつきが明らかでないことです」と述べている。昭和55年からというと、今回で7回目。もはや伝統と言って差し支えないが、どういう意図で蛇頭が付けられるようになったか、詳らかではないようだ。ここで触れられている「諏訪形神社」とは同じ上片桐の内にある神社で、もちろん御射山神社の崇敬者エリアにある。諏訪形で行っていたものが御射山神社にも倣われたのか、このあたりは今後調べてみたい。

 柱の先端に付くということで、曳行が始まると蛇は柱に振られて上下左右と忙しく首を振り、ときには頭が抜けて取れてしまうこともある。そうならないように綱の先端にしっかりと番線で縛り付けられる。基本的には上顎と下顎それぞれ座布団のように藁で平たく編み、蛇頭風に形づけられるように番線が編み込まれる。いったん編まれた綱の先端をほぐし、そこに上顎と下顎を縛り付け、その間に舌に見立てた藁を挟む。目の玉は金属板で作られ、さらに鬣風に藁が結わえ付けられる。一の柱と三の柱の蛇は男と言われていて、二の柱と四の柱は女と見立てている。男の蛇の鬣は立てて付けられ、その上にあわじ結びの藁縄が縛られる。

 さて、とぐろを巻いて奉納されるから蛇頭が欲しい、そう思うのは普通かもしれない。日本中には祭りに藁蛇を作るところは珍しくない。たとえば世田谷区奥沢神社の大蛇お練り行事に登場する蛇は、御射山神社のものより細工が細かい。江戸時代の宝暦年間(1751~64年)に疫病が流行し、病に倒れる者が続出して村人が困り果てていると、ある夜、名主の夢枕に八幡大神が現われ、「藁で作った大蛇を村人が担ぎ村内を巡行させるとよい」というお告げをしたという。早速、村人は大蛇を作り、その蛇を担いで村内を巡行すると、たちまちに疫病が収まったというのだ。そして村人は相談してその大蛇を八幡神社の鳥居にかかげたという。ようは厄除けの意味を持っているというわけだ。ちなみに平成7年11月3日から26日まで、特別展「ジャの道は蛇-藁蛇の祭と信仰」が世田谷区立郷土資料館で開催された。

終わり


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