企画から20年という歳月を要したこの本、ようやくでき上がるとはいうものの、かかわった多くの方たちが、すでに長野県民俗の会から名を消されている。もしかしたら狼少年のように「本が出るぞ」と言いながらいつまでたっても出すことができない会に愛想をつかされたかもしれない。そういう危惧があるものの、いっぽうずっと待ち望んで会に居続けてくださっている方たちもおられる。もちろん本が出ることが目的の会ではないので、それ以外の活動をしていればそれを理由に離れていかれる方たちがいるわけではないだろうが、宿題をため込むほどに、信頼を失ってきたのは事実だろう。怠慢を続けた一人としてお詫びしようもないことは承知している。
会から名を消されてはいるものの、こうした方たちにあらためて出版の報を知らせなくてはならない。それは会独自での出版を企画したため、通常の会費ではその財源がない。そこで企画当初篤志寄付を募ったのだ。因縁とも言えることは、その寄付を募った当時の事務局をわたしが担っていたということ。それから既に12年という歳月を経ている。会員が減少するという状況は、こうした団体ではごく当たり前の傾向なのだが、ようは高齢化している。すぐに想像のつくことは、関係者が既にお亡くなりになっているということ。しかしもともと会員外の方たちに多く執筆をしていただいているのに加え、その後会から離れられていった方々が多くおられるということもあって、当時は近況が解っていても、今では解らないということが現実なのである。お亡くなりになった、あるいは亡くなられたという噂はあってもその情報が不確か。事務局が2年ごと変わっていくということも、そうした情報を消してしまう傾向にある。それらを解決してことを進められれば良いが、そんなことをしていると出版はほぼ望めなくなる。当時独自で出版することに承諾いただいた情報を尊重して編集は進んだわけであるが、いよいよその時がくるとなって、慌てているのが事実なのである。現在会員ではない篤志寄付者の情報を得ようと、とりあえず記録にある住所に確認の通知を送っている。そこからのスタートなのである。そして予想通り、配達先不明で帰ってくる手紙が、わたしが家に帰るたびに届いている。さまざまな思いや、世の中は変わったのだということを、この本はたくさん詰め込んで出版されるのである。それでも前を向いて行かなくてはならない。きっと出版後にもさまざまな問題が起きるのかもしれない。それをすべてケアしていくことが、わたしの役割なのである。もしかしたら、この項の日記に「終わり」は来ないのかもしれない。
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