長野県民俗の会第235回例会は、安曇野市豊科郷土博物館主催の企画展「わたしの野良着」の見学と同展講演会「仕事着から見た人々の暮らし」(福澤昭司氏)を聴講するものだった。前段は「野良着」で、後段は「仕事着」と、ちょっと表現が異なる。後段の冒頭で福澤昭司氏は、野良着に限定しない話だから「仕事着」にしたことを前置きされた。
「野良」のことを原野とも言うから、「野良着」は野良で着用する衣類ということになる。この「野良着」で企画展をされるということは、衣生活でもかなり限定された世界なのかもしれず、難しい選択のようにも思うのだが、みごとにその視点で企画展を展開されていた。ただ「野良」という単語は、わたしはあまり好きではない。したがってほぼわたしは使わない単語でもある。むしろ後段で使われた「仕事着」の方が、わたしはたとえ「野良」の仕事であっても素直に使える言葉だ。「野良」といえば「野良犬」や「野良猫」という単語が知られるが、ほかに単語として「野良〇」は浮かばない。したがって「野良」という単語が、良いイメージではないと捉えられても致し方ない。それが理由というわけではないが、農業をする空間を「野良」などと捉えた記憶がない。農業をする空間は「田んぼ」や「畑」であって、「野良に行ってくる」など口にしたことなどない。したがって民俗で「野良」を使うのは「正しいのか」などと思ってしまう。これもまた「違和感」である。
実際に『長野県史民俗編』においては、当たり前のように「野良着」という単語は登場する。「衣生活」における調査の際の質問をみると、「男の人は、野良仕事のとき、上体と下体に何を着ましたか」、あるいは「女の人は野良仕事に前掛をつけましたか」、といった具合に「野良仕事の時・・・」という質問が連続する。しかしその答えに「野良着」という単語はほとんど見えない。ようは衣類には独特の名称がついていて、回答はそうした固有名詞となっている。総称する際に「野良着」と表現しているが、「野良着」は調査する側で付けた便宜的な名称と思われる。そう捉えると今回の豊科郷土博物館の企画展についてまとめられた館報「きのう きょう あした」の「わたしの野良着」の冒頭に書かれた「安曇野では、農作業などへ出ることを、野良へ出るといい、野良仕事で着るものを野良着と呼んだ」というのは「正しいのか」と思ってしまう。もちろんわたしが実際そうした聞き取りをしたことがあるわけではなく、印象で言っているに過ぎないが・・・。
そう考えて思いついたのが向山雅重先生の著したものだ。向山先生は、かつて衣生活について多く触れている。それらを紐解いてみると、確かに「野良着」という単語も見られるが、けして多くはない、というか滅多にこの単語を使っていない。むしろよく使われる単語に「仕事穿き」というものがある(『伊那』「さるっこ」S38.1など多数)。向山先生にとっても「野良着」はけして聞き取られた話者の言葉ではなかったと思う。展示内容よりも、そんなことが気になって仕方なかった。福澤氏も講演冒頭で説明したものの、「野良着」に抵抗があったのでは、とわたしは想像した。
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