既存のもの、従来の生活、そして決められていたルール、そうしたものを合理性や、もっと軽い言葉で言えば「こっちのほうが正しい」と自ら決めつけて「変える」のは、わたしの性格上のものかもしれない。だから昔は「革新的」と言われたわたしだ。でもあくまでも自らの選択を正当化しようとする、身勝手なルールだと、批判されることもあった。今でもそうだが、仕事上のルールを比較的変えようとする傾向が、確かにわたしにはある。したがって「ひととは違うこと」をする傾向もあり、「○○方式」といわれたりする。もちろん「○○」にはわたしの名が入る。違うものは「違う」と言ってきたわたしらしい判断だ。
大阪府の吉村知事の新型コロナウイルス対応は、世間の注目を浴び、若さもあって支持する人は多かった。大阪の政治の流れは、明らかに新しい風を感じさせ、既存のものを捨て、新しい路線で人々の暮らしを支えようとする気概は、確実な支持拡大に繋がっているものと、傍目からも見えた。もちろん吉村知事だけではない、それまでの橋下、松井両氏が作った維新系の流れも支えていた。5年前、大阪都構想が否決され、橋下氏は政界を引退した。それでも都構想への流れはやまず、今回再び都構想に対する住民投票が行なわれた。飛びぬけた指導者が何人もいて、世間の流れは都構想賛成が多数を占めるのだろう、そう傍目からも予想させたが、結果はNOを突きつけられた。彼らにして成し得なかったものは、誰がしてもできないことなのだろう。既存のシステムに対してNOを選択することの難しさを示された。どれほど強い流れがあっても、自らの生活に直結するシステムを変えることは、簡単ではないということなのだろう。冒頭記したような、安易な選択とはわけが違うのだ。
前首相時代、説明責任が盛んに叫ばれた。自らの言葉で説明しないと、何度も世間で言われた。そうだろうか、前首相は、意外と自らの言葉を発していたようにも思う。そこへいくと、今の首相からはまったく声が聞こえない。意図した流れはあるのかもしれないが、まったく暗闇の世界にある。これは以前から予想されたこと。菅首相からオープンな印象はまったくうかがえない。コロナ渦を経て、わたしたちは暗闇の世界へ導かれるのかも・・・。
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