VOICE of TSUCKY

ラブラドールのいる風景
出演者紹介:カテゴリー”VoT紳士録” 
用語辞典:カテゴリー”つきペディア”

劣化しない存在

2016-05-25 | 月世界
亡くなった今も鮮やかに存在感の残る人がいる。
没後10年に寄せて出版された、妹ユリさんの書いた「姉・米原万理」を読んだ。
5月25日は命日。


ロシア語通訳時代もニュース番組に出演していた姿を見ていたが、
自身の経験を元に、作家として書いたこの人の本を読むのが好きだった。
米原万理が書くものが、もう読めないということが実に残念。

頭脳明晰でエネルギッシュで好奇心旺盛で
それでなくても10分で精魂尽きるという同時通訳を、さらに神経を使う外交の大舞台でこなし
元野良だった飼い犬や、仕事先で一目ぼれした猫たちに限りない愛情を注いだ。

その力の源は、旺盛な食欲と動物たちへの愛情だったのかもしれない。
米原家は一族揃って、早食いの大食いだと、
イタリア料理研究家でもある妹、ユリさんがこの本の中で書いている。

食べることを楽しむ人たちは幸せな顔をしている。
ワタシはつんちゃが真剣に食べる姿が大好きだった。
見ているだけで幸せな気持ちにさせてくれた。
きっと、10年後もまだ恋しく懐かしむことだろう。

米原万理という人は10年経っても色褪せない人だ。
まあるい体とくりくりした大きな目が印象的。
広く大きな視野というのは、望んでもなかなか身に付かないものだけれど、
そんな才能を持った人という感じだ。



夜遅くに始まった首脳会談についての記者発表を生中継で見ていた。
長い同時通訳を待っているふたりは明日から始まる重要会議に備えてなるべく手短に終えたいと思っていただろうな。
通訳のせいにされないように気を使う外務省所属の通訳者は意訳にならないよう、発言を端折ったりしないという。


アメリカ大統領として戦後初めてオバマ大統領が広島を訪問するということで、
先日、ある被爆者へインタビューしていたのを見た。
「今でも家族に会いたい、会いたいと思っている。」と語るそのおばあさんの家族への思いは被爆当時から少しも変わっていない。
71年間、毎日、亡くなった家族を思い続けているという。
体が不自由になるまで原爆記念碑に通い続け、語りべをされていたそうだ。
常に思いを寄せられている魂は、劣化しないのだと思う。

この先、毎日つんちゃを思い起こすのがたとえワタシ一人となっても、
新鮮な水を与えられる花のように、魂にも毎日思いを注いでやりたい。
そして、いつかフレッシュなつんちゃと再会できたらいいな。


同時通訳の仕事事情の裏話を苦労とともに面白く語られていた本も興味深かったけれど、
最晩年の執筆をまとめたこの本には、こよなく本を愛した万理さんのエキスが詰まっている。
闘病生活のことも出てくる。また読みたくなった。


雷の日に行方不明になったゲンを探し続けた万理さん。
帰ってくることを願い続け、海外の仕事先からでも毎日保健所への確認は怠らなかったという。
惜しみない愛情というのは、もうここまでということはないのだろうな。














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おやつん

2016-05-24 | 月世界
仕事帰りに乗換駅である銀座で途中下車して
デパ地下に立ち寄ることがある。

ラブラドールといえども、食欲先行、であるがゆえの味覚音痴、なわけではない。
つんちゃには好き嫌いを表明する意思があった。
だから、食欲より睡眠を優先することがあるようになってからは
薬やサプリで食物の味や匂いをなるべく邪魔したくなかった。

つんちゃの「おいしい」権利を妨げたくなかった。
おいしいものをおいしく食べられる時って貴重なのだ。
体調が優れないと、どんなに高級な食事でも食欲はわかない。

つんちゃが楽しみにしていたのは、
ティータイムのヒトおやつだった。
つんちゃが寝ているので、こっそり食べようとしても
必ず気づいて参加していた。
晩年は最小限にしていたとはいえ、3度のごはんには何かしら入っていたので、
薬やサプリが全く混ざらなかったのは、ワタシや母と食べるおやつだけだった、と思うと切ない。

「月の舎」というお店が今日までの期間限定で
デパ地下に出ていたので、
つんちゃと一緒に食べることにしようっと。


つん魂:混じりっ気なしって、おいしいね。


つん:おお~~っ、ここのわらび餅、めっちゃおいしいやん!


Kane家からいただいた山モミジがちょうど青々としてこんな感じ。それに重ねて買った涼し気な葛のお菓子。
(陰の声:上品な甘さ。わかるかな~、つんちゃ?)


でも、暑くなってきたこの時期、お供えするのにすぐに傷まない干菓子もいい。


つん魂:両方やん!






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忘れじの君

2016-05-23 | 月世界
先日、「ちはやふる」という映画を観てきた。
ニュース番組で「かるたブーム」を取り上げていたのがきっかけだ。

原作の漫画は読んだことはないけれど、
子供の頃のお正月に家族でやった百人一首が懐かしくなって、
映画を観る気になった。

家族でやったかるたは、子供にはただの神経衰弱のようなもので、
置いてある札のひらがな文字を
上の句・下の句を全部読み上げられてから探すという、
およそ競技かるたとは別物のような遊び方で満足していたけれど。

忘れじの 行く末(ゆくすゑ)までは 難(かた)ければ
   今日(けふ)を限りの 命ともがな

「いつまでも忘れない」という言葉が、遠い将来まで変わらない
 というのは難しいでしょう。だから、その言葉を聞いた今日を限
 りに命が尽きてしまえばいいのに。


否・否、つんちゃを忘れたりなんかしない。
今日はつんちゃの百箇日になる。


つんちゃが大好きだったヨーグルトを愛用の器に入れて供えた。


百箇日の今日は豪華なユリにした。


毎年、母の知り合いが枇杷を枝ごと届けてくれたのを、
つんQに使っていた。
今年はもう葉っぱはいらないんだけど・・ね。


デシ:実だけ欲しいって、ずーずーしいな。



百箇日とは、四十九日で行先を決められなかった亡き者が
すべてを救う観音様に手伝ってもらって、極楽へ行くという日で、
卒哭忌(そっこくき)とも言い、
この世に残った者の側では嘆き悲しむのは終わり、という意味もあるそうな。

でも、誰が決めたか知らないスケジュールに合わせて気持ちを切り替えることもなかろう。
マイペースなのが、ワタシとつんちゃなのだから。

そんな落ちこぼれの「残された者」を気にかけてくれる友人が
つんちゃの百箇日を覚えてくれていた。

ひとりは几帳面な、なび姉さん。
快復スケジュールの進捗状況を確認してくれたけど、
自分でも、進んでいるのか停滞しているのか、わからない。

もう一人は、やの字。
ワタシが写経をしていると言ったら、今日という日を選んで
こんな本を送ってくれた。
お経の意味がわかりやすく解説されているようだ。


先日のLab Studioから届いたDVDと言い、
つっきーを思ってくれてありがとう。

  瀬を早(はや)み 岩にせかるる 滝川(たきがは)の
   われても末(すゑ)に 逢はむとぞ思ふ

映画「ちはやふる」は2部作になっており、「上の句」と「下の句」がある。
明後日は映画館のレディースデー。
「下の句」を観に行ってみようかな。



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Tsuc-Kew Gardens

2016-05-21 | 月世界
もう10年以上前、つんちゃがまだ跳ね回っていた頃、
職場でもよくつんちゃのやんちゃエピソードを話していた。

すると当時の上司が「人は年とともに、動物から静物へと興味が移っていく。」
ということを口にした。
そのときは、「まだまだ先だ。」と、思っていたが、
つんちゃがいなくなった今、妙にその言葉が思い出される。

今まで花や木の世話をしたことがほとんどなかったが、
つんちゃに生花を供えるのに
花屋の店先に並ぶ花をよく見るようになった。
誰でも知っている花の名前しかインプットされていなかったワタシの頭の中に、
少しずつ新規入力項目が追加されつつある。


一昨日買ってきたブーケに含まれていたのは、ちっちゃくて黄色い袋状の「サンダーソニア」




今日はクレーユモントローの水差しに、追加が欲しくて買った「アルストロメリア」
見た目は弱そうだが、しっかりもののユリ科は長持ちする。


爽やかな季節に合わせ、黄色と青色系でカラーコーディネートしてみた。


香りのいいスズランが店頭に並んでいたのでつんちゃのそばに置いた。


スズランはつんちゃと散歩の途中、群生して咲いていた場所を見つけたことがあった。
つんちゃもしばらく地面を嗅ぎまわっていたので
他の場所なら「いい加減行こうよ~」とつんちゃを促したのに、
ゆっくりつんちゃとスズランの香りを楽しんだ。
(つんちゃはたぶんスズランじゃなく別の理由で長居したんだと思うけど。)


鉢の方はと言えば、
3月に注文していた月見草の苗がやっと届いた。
つんちゃと出かけた房総にある農家レストランが扱っているもので、3種類ある。


「昼咲き月見草」は名前の通り、昼間に咲いている。、 


「大宵待ち草」は、黄色い花が咲くので月見草と呼ばれているが、
実は「本当の月見草」というのは白い花なのだそうだ。
「本当の月見草」にうまく花が付いたら写真をアップしたい。



静物とされる植物にも人の目に見える動きをするものがいる。
公園などにもよく植えられているので、これまでも合歓木を目にしていたはずだけれど、
いいな~と意識したときのことをはっきり覚えている。
東京芸大に展示会を見に行ったときのこと、
中庭に面した学生食堂から見た合歓木は、5月の日差しを浴びて、爽やかな風が葉を揺らしていた。
とても気持ちの良い風景だった。
以来、合歓木は「好きな木リスト」の上位に入っている。

大きくなる木なので、室内用に改良されたエバーフレッシュの方が
鉢には向いているかなと思ったけれど、
やっぱり合歓木にした。
被災されたという熊本の農家から購入。
寝るときに葉を閉じて


昼間は葉を開き、植物にもちゃんと人の目でも確認できる動きがあるのだ。



イギリス人の庭を見る機会があった。
友人の知り合いの老夫妻の裏庭だったが、
長い年月に丹精込めた庭は
愛情が注がれている印象だった。
動物も植物も、毎日愛情を持って接していると、
それがその相手に伝わっていくものなのだなと思う。
今まで、枯らしちゃったことのある植物へ、前科を深く陳謝したい。

つん魂:ネムつんの面倒、ちゃんと見たってや~。

キューガーデン(Kew Gardens)はロンドン南西部にある18世紀から続く王立植物園であり、植物研究施設である。
Tsuc-Kew Gardensには、お花屋さんで手軽に手に入るポピュラーな花しかないけれど、
花の名前を知らないワタシには目新しいものばかり。
季節が一巡するころにはいくらか知っている花が増えていることだろう。


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卒業証書

2016-05-18 | 月世界
Lab STUDIOから2枚のDVDが届いた。

1枚は、つんちゃが参加した最後のイベント、ラブ&ウォルト家での「老犬介護セミナー」の模様を録画・編集したもの。
あの日、講師であり、フルート奏者であるマーガレットままに介助ベストの持ち手を支えていただいて
ウォルト家の玄関から車までを歩いたつんちゃの姿が
優しいフルートの音色と共によみがえってくる。
旅立ちのわずか半月ほど前のことだった。


もう1枚は、「永遠に・・・」と題したつんちゃの思い出アルバム。
いわば、「勝手にドッグラン」の卒業証書だ。
もう、増えることのないつんちゃの写真と動画。
勝手にドッグランの第一期生としてみんなと過ごした、
たくさんの思い出が詰まった大切な記録だ。

つんちゃは初等科・中等科・高等科とず~っとこの「勝手にドッグラン学園」に在籍し、
「リバーサイド塾」や「つんちゃ球場」にも通った。
大学は「勝手に・学園」の通信課程に進み、セミナーだけ参加していた。
そして学年度末のこの2月、多くの学友が巣立った後を追うように繰り上げ卒業してしまった。

つん魂:うち、優秀やから繰り上げ~。


つんちゃが犬生のほとんどを過ごした学び舎でもある「勝手にドッグラン学園」の第一期生の多くは
活躍の場を夜空に移し、今はそれぞれ文字通り「スター」として輝いている。
普段は遠く離れていても卒業生たちは、出雲の神様たちみたいに、犬毛海岸公園に集合することだろう。
甘ったれのつんちゃは一番地球に近い「月」に居るから、
"犬在月"の同窓会には、距離が近くて便利だ。

日本では卒業式で在校生が歌う曲の定番となっている「蛍の光」。
小・中学校でワタシが使った音楽の教科書の一番後ろに載っていたのを覚えている。
原曲のスコットランド民謡は、
遠くに行ってしまって長く会わなかった幼馴染との旧交を温めることを歌っていると教わった。
なぜそれが閉店時間のお知らせや紅白歌合戦の終わりにみんなで歌う曲になったかの説明はなかったけれど。


(蛍の光の原曲を"ロケTV" から引用 )

1番
Should auld acquaintance be forgot,
and never brought to mind ?
Should auld acquaintance be forgot,
and days of auld lang syne ?

古い友人は忘れ去られ、
もう二度と思い出されることもないのだろうか。
古い友人は忘れ去られ、
古き良き日々の記憶もまた、心から消え去ってしまうのだろうか。


(コーラス)
For auld lang syne, my dear,
for auld lang syne,
we’ll take a cup o’ kindness yet,
for auld lang syne.

親愛なる友よ、古き良き日々のために、
古き良き懐かしい日々のために
親愛なるこの一杯を飲みかわそうではないか。
古き良き日々のために。



もうすぐ蛍の季節。
そういえば、つんちゃと行ったお気に入りの那須のペンションの周りには
この季節、たくさんの蛍が飛んでいた。

柔らかい光を放ちながらふわ~~~っと飛ぶ蛍は
亡くなった者の魂に重ねられる。
蛍のお尻のぼんやりとした光のON/OFFは
つんちゃの面影につながる。


つんちゃへの思いは「永遠に」










コメント (2)
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つっきーの木