八十八か寺のお礼参りは高野山だったので、
別格二十ヵ寺は京都でしようと決めていた。
京都の東寺は嵯峨天皇が弘法大師に託したというお寺。
要するに弘法大師の職場ってことになる。
ここで、毎朝6時に「生身供」というのをやっていて
弘法大師が唐から持ち帰ったという仏舎利を頭と手にかざしてもらえる。
これに参加するために、朝4時半に起きて支度し、
昨日のうちに頼んでおいたタクシーに5時半に乗り込み、
まだ夜が明けない真っ暗な東寺の境内に着くと、
すでに何人かの人が集まっていた。
ま
だ、真っ暗。
手水場は明かりが点いていた。
地元の人で毎朝お参りしている風の人たちが数人、
6時10分前の絶妙なタイミングで到着し、門の前に立った。
鐘とともに門が開くとさっさと御影堂に入り、最前列に陣取った。
お坊さんたちがお勤めを進めていく中、
常連の地元人は参加すべきポイントでお経やご詠歌に声をそろえていた。
初めて参加のよそ者はただただ最前列の人たちの見よう見まねで、
邪魔にならないように行動を合わせるしかない。
終わって足のしびれが取れるまでゆっくりして帰ろうとしたら
親切な方が「お大師さんにお出ししたお茶なんで、飲んでいきなさい。」と声をかけてくれた。
生身供でお供えしていたものを参拝した人に振る舞うのだ。
お茶をいただき、修復中の御影堂をひと回りしてから帰るころにようやく明けてきた。
でもまだ社務所は開いていない。
ご朱印はあとでもう一度来ていただくことに。
一旦、ホテルに戻って無料の朝食を食べてから、本日の行動開始。
「三弘法を巡るなら、市バス1日乗車券を買うとエエよ」と、京都のお遍路仲間から教えてもらっていたので、
フロントの人に聞いたら、ホテルの隣にあるコンビニでも販売しているというので、昨夜のうちに買っておいた。
そして神光院へはご住職がいらっしゃるかどうかを確認して行ったほうがいいとアドバイスをもらっていたので
朝食後に電話を入れると、法事が3件入っているけれどうかがってもいいとの返事をいただき、
京都駅からお寺までは小一時間かかるということも教えてもらった。
次は仁和寺へ。
神光院からさらにバスを乗り継ぎ小一時間。
仁和寺には成就山があって、そこに四国八十八か寺すべてを参拝できるようにしてある。
でも、それには2~3時間かかるという。
どうしようかと迷ったがまだお昼だし、時間はあるなと思い、一回りしてみることに。
9月の四国お遍路では、いきなり逆打ちで周った後ろめたさから、順打ちをしておきたかったのだ。
でも、とんでもなく時間がかかることに気付いた。
所要時間2~3時間というのは、ただ歩くだけのハイキングとしてなら、ということであって
参拝していたらその倍はかかる。つまり5~6時間!
四国のときと同じように周ろうと思っていたが、散歩やちょっとしたトレッキングのような服装で入っている人に
どんどん追い抜かれ、途中でこのままでは東寺に5時までに着かないと思い、
それでもなんとか半分の44番まではお経をあげておこうと"まきまき"の超高速で参拝し、
特に42番仏木寺だけには念入りにお参りしておいた。(ここはペット供養をしてもらえるので)
成就山、なめたらいかんぜよ。小高い山からは京都の中心街を見下ろせる。
仁和寺のご朱印も、金堂前の社務所は4時に閉まるというのでぎりぎりセーフだった。
ご朱印担当のおじさんに「今日はこれで最後や」と言われた。
ここに先に預けておいてから参拝するという方法もあるよ、と教えてくれた。
あと1時間で東寺へ移動できるのか?
バスの時刻表を見てもそちら方面に行けるのがどの路線なのかわからなかったので、
ちょうど仁和寺の大きな山門前の階段に、白柴(名前は"ムサシ")を連れたおじさんが休憩していたので聞いてみた。
ワンコを連れている人に声をかけやすいのは、つんちゃがいたことも影響しているのかも。
おじさんは、
1)ここから東寺へ直接行くバスはないので、乗り換えんとあかん。
2)京都駅付近が紅葉見物でものすごく混んでいるから車が渋滞していると思う。
3)街中は信号が多いから時間のロスも多い。
4)間に合うかどうかはタクシーの運転手に聞いてみた方がええ。
というようなことを的確に教えてくれた。
とにかく、トライだけはしてみようと、タクシーで移動することにした。
でも、ちょっと料金のことも気になったのでいくらくらいかかるか聞いてみた。
おじさんは(地元の人なので)タクシーは利用しないからわからないけど、と前置きして、
2千~3千円かな、という返事。
タクシー移動に決めた!
一応運転手さんに5時までに間に合うか聞いてみると、ぎりぎりかな?ということだった。
到着してみると4時35分。
思ったより駅付近の交通渋滞がなかった。
そしてムサシおじさんのお値段予想もバッチリ、料金は¥2300ほどだった。
東寺に着くと、社務所ではすでに「納経帳の方は急いでくださーいっ!」と参拝客を煽っていた。
私の納経帳は
"逆打ちの八十八か寺"+"衛門三郎・杖杉庵"+"高野山奥の院"+"別格二十か寺"+"神光院"+"仁和寺"
ですでに最後の1ページが奥の院の後にある1枚となっていたので、そこにお願いしますと差し出したら、
古株のご朱印おばちゃんは、「ここしかないんか?ここは東寺の場所やないねんけどな。」とのたもうた。
ワタシも別格のスタートのときに迷ったのだが、奥の院の次に1枚明けてしまったのが敗因だった。
でも、ソコしかないし(心の中で、奥の院の次なんだから「ええやん!」)とお願いしたら
おばちゃんも、全ページをぱらぱらめくり、もうい一度「ここしかないんか」とつぶやき納得したらしい。
東寺のプライドなのか? ただ、おばちゃんが納経帳の3分の2あたりのページに書きにくかっただけなのか?
三弘法めぐりではこんなお守りも作っている。
お遍路さんの3つ道具?
神光院:納札箱
仁和寺:金剛杖
東寺:菅笠
信仰心というよりは、まだまだスタンプラリー的なノリかもしれないけれど、
こんな風に数が設定されていると集めたくなるのがサガ?というものなのか・・・。
弘法大師人気はこんなエンターテイメント要素が人々を引き付けて
1200年もの間、続いているのかもしれない。
「お四国病」を感染させるつもりはないので、誤解をされると困るのだけれど、
つんちゃのおかげで、ちょっと敷居が高く、今まで自分が宗教というくくりで食わず嫌いしていたことにも
こだわりなく入っていけたというのはよかったと思っている。
つまり、ワタシのは「つんちゃ信仰」の「つんちゃ病」かな。