つれづれ人の日々

暇に任せてのブログ、怠け者の私でも2・3日置き、いやいや4.5日置きなら何とかなりそうです。

 ショック! 携帯が壊れた

2020-09-05 16:35:17 | 日記

昨日まで元気だったガラケー、突然何も云わなくなってしまった。

一昔前は固定電話があれば、さほど気にならなかった。

もともと電話なんて、一日中ダンマリを決め込んでいた。

ガラケーでも殆ど同じだけど。

固定電話のない今となっては、流石に壊れたままでは困ってしまう。

ドコモへと思いPCしたものの、はなっからパスワードでつまづいてしまった。

10年以上も使ってないし、最初から何かで設定したかどうかも覚えていない。

孫に貸してあった嫁女殿のガラケーを返してもらい、

ドコモへ電話してみたが、これがまた混でいてなかなか繋がらない。

やっと繋がった電話も、1を押せの2を押せのでまどろっこしい。

私のガラケーは契約解除、もう1台は名義書き換え。

契約者も誰だかは定かでなく、クレジットの支払いは嫁女になっている。

こうなると委任状も書きようがなく、ぶっつけ本番で訪店の予約を取らなければならない。

 

 

 

 

 


久しぶりのブログ

2018-04-24 22:02:57 | 日記

嫁女殿は、週の内月曜と金曜はディサービス、間の三日間はショートステイ、土曜・日曜は濃厚な二日間になる。

買い物は、主にショートステイディサービスの5日の間に済ませている。レシピ本の調味料は殆ど四人が基本で、二人分に換算するのが悩ましい。大匙一杯といっても液体調味料は、表面張力分で過剰になりがち、砂糖や塩は三分の二とか表示されているけれど、計量スプーンの形状ではとても困難、まぁいいやで済ませることになる。

1年以上経ってもそんな状態、多分料理音痴なのだろうと諦め半分で、まずいものを食している。

最近の嫁女殿は幻覚もなくなり、夜も安定して寝てくれる。からと云って安心して眠れるわけではなく、感知器を付けたりしているが、いつ出し抜かれるかはわからない。昨年のような徘徊は、2度と御免こうむりたいと思っている。

昨日買い物を済ませた帰り道、イソヒヨドリの囀りを聞きカメラを持ち出し、逆光ながら見られる程度に撮影することが出来た。名前通り海岸線に多い鳥だが、京都の市街地でも見ることが出来る。


夏が思いやられる

2017-05-11 23:35:07 | 日記

今日も暑そう。

女房殿はデイサービス。

電車を利用するので時間がかかる。

9時過ぎに電車に乗りお昼過ぎまでの短い時間、嵐山から松尾大社までてくてく歩き。

すぐ脇を通る車の音がとてもうるさい。

左岸より、右岸を歩くべきだったのかも知れない。

 

器量よしのセグロセキレイ、額から嘴にかけての白斑に黒い筋が通っている。

下の方をのぞき込むホオジロ、育雛中かもしれない。

岩の上にはミドリガメ、かなりの数が見られる。

突然飛び出したササゴイ。

カワラヒワ、背景の緑が美しい。

前々回の松尾大社のフタバアオイ、葵祭りに桂の枝に括り付けて使うとか、納得。


西芳寺は閉ざされたまま

2017-04-20 23:59:42 | 日記

 

松尾大社から西芳寺目指して歩く。

かなり以前から、苔が傷むということで一般公開はされていない。

この辺りは、閑散として観光客も少ない。

川越しに覗くツツジ(ミツバツツジ)

途中にある地蔵院はこじんまりした小さな竹の寺、一休禅師が幼少の頃修業したといわれている。

参道の早緑が明るく美しい。

小さな山門をくぐると本堂、今は工事中で無粋なネットに囲まれている。

大きくて華やかな白い椿、花がぼったり落ちるのか、ハラハラ散るのか両方落ちている。

蒼く粉を拭いたような孟宗竹。

竹のこは孟てしまった。

訪れる人はまばらで閑静。

 

通称鈴虫寺、参道は急な階段、山門をくぐった庭に余裕がない。

いきなり受付の人と目が合ってしまい、そこそこに引き上げる。

竹の梢にオオルリ、若葉被りで色が出ない。

 

ここから家まで道がわからない儘、川沿い下れば何とかなると歩き始めた。

途中、休憩するような店も見当たらず、遮に無に歩き迷いもせずに、何とか家にたどり着いた。

 

 

 

 

 


大覚寺門前の池、大沢の池のほとり。

2017-04-18 22:07:37 | 日記

車がないということは、慣れないせいかいかにもしんどい。

広範囲にはとても動けない。

これからも狭い範囲を、ちょこちょことしか移動できない。

これからは、場所の選定が難しい。

廣澤の池周辺からの画像。

 終わりに近づいた名残の桜。

名残の冬鳥、ツグミ。

スミレにはあまり関わりたくないけれど、シハイスミレ。