ムッティーナ・アンポンタンの独り言

日々の色々をつぶやいてます。

友人が居る心強さ。

2018-09-08 | 日記

また地震の話ですが今回食料も水も
1週間は大丈夫、水は1週間過ぎたら
給水車頼りかなーと色々考えながら
過ごしました。

先ず優先に食べる物冷蔵庫の中、次は
冷凍庫、非常食に簡易トイレもあるし
心配はスマホ充電の電池が足りるかな
? 車から暫くは充電できるか…
でもどうやってエンジンかけるんだ?
(免許無しの私)と色々自問自答しなが
ら家の安全確認等し1日ひきこもり

翌日はゴミ収集車が動いていたので
ゴミ出しついでに外にいる奥様達に

「夏に来たばかりで何もわからない
から情報あれば教えてください」

と手を挙げて近付いてみた。

皆さん心良く 給水車昨日来てたよとか
給水はあそこで出来るよ、避難所は
こうらしいよ等々有難い情報を教えて
くれて大変助かった、女が集まれば
雑談になり停電の過ごし方を聞くと
皆星空観察をしたと言っていて考える
事は一緒だなーと笑った。


ご近所にも知り合いが出来て心強く
給水場所でも色々情報の共有が出来て
災害の時はやはり人、マンパワーだな
と実感。

何せ停電になると頼みの綱スマホは
ただの板になる。
電波は悪く繋がらない、何故かいつも
よりバッテリーが消費して悩みの種
に早代わりだった。

電波が取りやすい位置を教えて貰った
ので行ってみるとピコ ポコとLINEや
メールが大量に入って来て友人達の
お見舞いに心強くいられました。

こちらの友人達とも情報共有できたり
したので繋がればスマホも有難い。

心配は電池問題でライフライン整った
ら絶対ソーラー充電買おうと思って
いたら友人の1人がダメもとでソーラ
ー充電送ったから良かったら使ってと
メール着信。

今後更に心強い物を手に入れた!
まだ届いてないけど(笑)
しかし私の心を読んだような送り物に
凄くびっくりした。

エスパーか?と思ってみたり。

今回の地震の後もこちらの友人が後1
時間後に携帯繋がらない状態続くよ
とLINEをくれて本当に繋がらなくなり

魔法使いなの?と思ってみたりもした


毎回思う事ですが人との繋がりは有難
い、全国各地からの励ましメールには
感動で泣かされました。

皆さんありがとう。

被災地で知り合った飲み仲間からも
通電を知らせると電話が来て久々に
話をした、あー、あの時もこんなユ
ルい会話で和んだなーと思い出し温
かい気持ちになりました。


いつもありがとう。


こちらの友人達も何かあれば駆けつけ
るから遠慮しないで連絡してと言って
くれて本当に心強く居られた。


1人は自分の家が先に通電してたので
風呂来るかい?洗濯してあげるよー
と言いながら水いらずの茹でとうもろ
しや果物を抱えてかけつけてくれて
本当に有難い救援物資だった。

みずみずしい梨はあっという間に一個
食べてしまう程こういう物に飢えてい
たのね私ってぐらいムシャムシャ食べた。


仲良しの顔を見られただけでも緊張が
解れた、ここですかさず友人にお願い
して家の車エンジンかけてスマホ充電
してとすがると家に来て充電するかい
?と言ってくれたが免許無しの私が
お邪魔すると信号が止まった道を余分
に走る羽目になるので危険だから断り
我が家の車に拉致した。

すると、友人はちょっと私ハイブリッ
ド車動かした事ない(|| ゜Д゜)

説明書ないの? となり車の中を探す
二人、エンジンかかり喜んだが充電
場所を探すのも時間がかかり友人には
大変迷惑をかけてしまった。

いつか埋め合わせするからねー。

やはり免許が必要な気がしました。

友人は嫌な顔一つせず困ったら迎えに
来るから連絡するんだよーとスーパー
ヒーローのように帰っていった。

地震は沢山の思いを届けてくれてなん
だか複雑です。

天災はない方が良い。

停電中近所の子供が習い事もないから
沢山遊んでいてこんなに子供が居たん
だと初めて知りました。

今の子は習い事が多いからなかなか外
遊びも出られなかったのか?
ちょっとびっくりしました。

しかし子供の元気な声を聞けるのは
とても和み癒しになりました。

ふと、思わずして難民になった人達や
戦火の恐怖に耐えて居る人達を思うと
平和の中の地震の恐怖と戦争の地響き
や爆音の恐怖はいかほどか想像では
計り知れないと思いました。


今自分の置かれてる環境に本当に本当
に感謝します。

皆さんありがとうございます。







地震と青春の味素麺サラダ

2018-09-08 | 日記
北海道地震、いつもより早い起床にな
りました。

ガタガタの揺れで起こされた時に口ば
しった言葉は

「またかー、地震アラーム間に合っ
てないし」

と言ったら旦那も

「今鳴ったぞ、遅いわ」と言うや否や
3分かからずお着替えをすまし出勤し
た。

「気をつけて、こちら心配なくー」
と見送り眠い目をこすって被害状況確
認しながら避難経路に物はないか落ち
たら困る電化製品は床に移動等素早く
行動したつもりだが間に合わず停電。

やっぱり消えたかくそー。水汲んでお
けば良かった。

風呂の残り湯と飲み水は備蓄されてい
るから油断したのだ。

私は地震に強い、いや強くなった、
東日本大震災を静岡で体験し停電や
地震の後に起こる事が経験済みだった
、その後は被災地茨城に引っ越し毎日
余震に揺られ これ余震なのかーい?
の震度6弱は何度か経験済みだったか
ら今回は凄く冷静で暗闇でむやみに
動かず電池勿体ないし明るくなるまで
寝ようと布団に入り寝るぐらい図太く
なっていた。


茨城では知り合いも居ない中引っ越し
の片付けをしながら毎日揺れていたの
で精神は鍛えられた気がする。

万が一の事があっても運命、死にかた
は選べないなら受け入れようと腹を
くくったのもこの時でその後乳ガンに
なったりした時もこの気持ちのまま
挑む事が出来た。

困難は人を成長させる…ような気がし
ます(私の主観)

今回もまた地震を経験するのは逃げら
れない縁なのか?わからないけど
ポジティブに捉えるとまだまだ生きろ
と言われ助けられてる気持ちになった
りしました。

停電の夜は1人で耐えられるかしら?
と思いつつ避難所で沢山の人と居るの
も安心な反面物音で寝られないだろう
なーと色々考えて自宅で過ごした。

やることもないし星空を観察したり
1人でライトの影で影絵をしたり(笑)
泣いたりして過ごした。

泣いたのは怖いからではなく停電で
携帯電波も安定しないなか一瞬入った
LINEに高校の同級生の訃報があった
からだ、彼女に最後にあったのは五
年前で私が乳ガン告知を受ける一年
前だった、彼女は同窓会で

「乳ガンでさ、抗癌剤治療したから
今ズラなの」

と笑って教えてくれた。

高校時代はすごく仲が良かったのに
私は旦那の転勤で飛びまわっている
うちにちょっと距離が出来てしまって
いたが何十年振りに会っても変わらな
い話が出来てとても良い時間だった。


その後私の乳ガンを共通の友人通じ
て心配してくれたりエールを送って
くれたりしていたし職場復帰したり
旅行にも出かけていたから元気だと
思っていたのだ。


北海道に来たから一度会いに行こうと
思っていた矢先の訃報で地震の事は
吹っ飛び涙が止まらなくなって声を
あげて泣いた。


会えなかった事、訃報を聞いてもかけ
つけれない今の状況等にもの凄く腹が
立ち何で静岡から病院通いしてる時に
足をのばさかったんだと自分にとにか
く腹がたって怒りなのか哀しみなのか
訳が分からなくなる程泣けて仕方なか
った。

今この瞬間も涙が出る、後悔しない
ように行動さなさいと最後彼女に教え
られた気がします。


高校時代はお互いの家に泊まりその都
度スパサラならぬ素麺サラダを作って
くれた彼女、昔私は素麺とかひやむぎ
が苦手で食べられるようにとシーチキ
ンとキュウリマヨネーズにちょっと
砂糖を入れて作ってくれるサラダ仕立
ての素麺はボールいっぱいでも食べら
れて私の大好物になった。

今美味しいって食べている物は彼女が
克服させてくれた食べ物も多いと改め
て知った、青春の何ページも一緒に
過ごしてくれてありがとう。

生きてるうちに言いたかった。

今回の地震は悔いのない人生を送れ
と改めて教えてくれました。

彼女の分まで90歳迄生きてやる。
絶対、絶対生きてやる!

負けないぞ。