今日で一週間の仕事が終わった。
写真のにゃんこはわたしの仕事場のパソコンの
モニタの下で気持ち良さそうにいつも寝てるにゃんこさん。
ふとみつめては安らいだ気持ちになったりします。
ここ何日か残業が続き、へろへろですが
心はけっこう元気かな。
今日も職場でどれだけ笑ったでしょう。
あ、そうそう、
今日ね、23年ぶりに高校の同級生に会いました。
お客さんでやってきた顔になんか見覚えある。
で、伝票にサインしていただいた名字で、ピン!
やっぱり~~。
Nさんて...Nくんですか?○組の.....
え?あ、もしかして?
Tです。
あ~~、ここにいたん?!
うん、ここにいたんです(笑)
帰られたあとに同僚に同級生やった~と話すと、
「え~~~、ちがいすぎる!」
「ぜんぜんちがうやん」
って
なにがぜんぜん違うかいうと、見た目;;
すごくおっちゃんになっておいででした
わたしだけ時が止まってるんでしょうか。
というより、たぶん精神年齢によるのかもしれない....
昨日長男が電話でお願いしてきた。
例の進学の件で直接話すのは初めてだった。
もちろん前回同様断った。なぜだめなのかも.
でも彼はわかってくれなかった。
わかろうという頭がまったくないのだから
しかたない。
そしてまたひどくなじられた。
あなたの子供でなければよかった、勝手に離婚なんかして、等々。
わたしにはとにかくいまは突っぱねるしかない。
あとは自分で考えるようになってくれないと....
でも今日父親に一応メールはしておいた。
返事はない。
でも伝えることは伝えた。
優しさというものがわからなくなった。
優しいひとですね、とわたしはよく言われる。
わたしにとってはあまりほめ言葉ではなかった。
でも、さいきんはそれがわたしなのだ、とだんだん自分を
認めてあげようという気持に持ち込んでいっていたので、
(うつ対策でもある)優しいって悪いことじゃない
んだと思い始めてた。
でも、優しいと甘いの区別ももうわからなくなってしまった。
わたしは子供に優しかったのかな?
自分ではそうは思っていない。満足に生活もできてこなかったし、
遊びにいったり外食さえ数えるほどしかなかった。
でもこのわたしの本来の性格の優しさが甘いというなら、
もうそれは極上の甘やかしかもしれなかった。
そして、優しくするほうが自分が楽だから、ってこと...
そうなんだ。
わたしは優しいひとなんかじゃない。
優しくなんかないんだ。
また、自分の優しさがコンプレックスに戻ってしまった。
今日、会社で一番下の同僚(20代・フロント)に
不良の返品を元払いで送り返してるので、
いつもはつい黙ってるけど、今日は言ってみた。
「だめじゃん」
優しくいったから響いてないかもしれない。でも
日ごろなにも言わないから、逆に効いてるかもしれない。
それから、もうひとりの同僚、こちらは年下でも先輩に
なるけれど、所長のかわりにえらそうに言われたので、
(もちろん冗談なんだけど)これもいつもなら何もいわないけど、
「どうして○さんにそんなふうに言われなきゃならないんですかあ」
でもこれだってきつくも言うてない。
ちょっとすねたように言ってみた。
もちろんその後笑い話になった。和やかに。
でもわたしにとってはそんな反論すらも、なかなかないことだし。
ちょっとした進歩と自分では思っている。
それだけ職場の人たちにやっとのことで、なじんできた
ってことだから....
人見知りもたいがいなわたしです。
でもだんだん明るく楽しくなるといわれてる。
入社した3年前とは表情もまるで違うみたいです。
わたしはわたしでしかなく、わたし以上でもなく。
されど、わたし以下ではない。
わたしを非難する人もいれば、ほめてくれる人もいる。
でも非難も賞賛も他人の評価で他人のもつものさしによるもの。
わたしをどこまでわかってのことなのかなんて
わからない。
ただわたしがそれをどう思うかによって変えていかなきゃ
ならないもの...
わたしにとって、優しさ。わたしのなかにある優しさ。
それがどうなのか、ちょっと考え込んでしまってる
今日である。
でも...
はっと気づくと自然にひとの気持ちを考え、ひとをいたわろうと
する自分がいる。それが悪いとも思えない。
でもそれによって、わたしは自分が楽になりたいだけなのか、
とふと考える。
自分の欲もなにもかもかなぐり捨て、他人に優しくできるのか?
と問われたら、無理でしょう。
中途半端に優しくしてはいけないのか
ほんとにひとのための優しさってなんなのか
わたしにはわからない。
偽善者と優しいひとの違いは?
あ~
頭パニック
誰かわかるひとっているのかな....
写真のにゃんこはわたしの仕事場のパソコンの
モニタの下で気持ち良さそうにいつも寝てるにゃんこさん。
ふとみつめては安らいだ気持ちになったりします。
ここ何日か残業が続き、へろへろですが
心はけっこう元気かな。
今日も職場でどれだけ笑ったでしょう。
あ、そうそう、
今日ね、23年ぶりに高校の同級生に会いました。
お客さんでやってきた顔になんか見覚えある。
で、伝票にサインしていただいた名字で、ピン!
やっぱり~~。
Nさんて...Nくんですか?○組の.....
え?あ、もしかして?
Tです。
あ~~、ここにいたん?!
うん、ここにいたんです(笑)
帰られたあとに同僚に同級生やった~と話すと、
「え~~~、ちがいすぎる!」
「ぜんぜんちがうやん」
って

なにがぜんぜん違うかいうと、見た目;;
すごくおっちゃんになっておいででした

わたしだけ時が止まってるんでしょうか。
というより、たぶん精神年齢によるのかもしれない....

昨日長男が電話でお願いしてきた。
例の進学の件で直接話すのは初めてだった。
もちろん前回同様断った。なぜだめなのかも.
でも彼はわかってくれなかった。
わかろうという頭がまったくないのだから
しかたない。
そしてまたひどくなじられた。
あなたの子供でなければよかった、勝手に離婚なんかして、等々。
わたしにはとにかくいまは突っぱねるしかない。
あとは自分で考えるようになってくれないと....
でも今日父親に一応メールはしておいた。
返事はない。
でも伝えることは伝えた。
優しさというものがわからなくなった。
優しいひとですね、とわたしはよく言われる。
わたしにとってはあまりほめ言葉ではなかった。
でも、さいきんはそれがわたしなのだ、とだんだん自分を
認めてあげようという気持に持ち込んでいっていたので、
(うつ対策でもある)優しいって悪いことじゃない
んだと思い始めてた。
でも、優しいと甘いの区別ももうわからなくなってしまった。
わたしは子供に優しかったのかな?
自分ではそうは思っていない。満足に生活もできてこなかったし、
遊びにいったり外食さえ数えるほどしかなかった。
でもこのわたしの本来の性格の優しさが甘いというなら、
もうそれは極上の甘やかしかもしれなかった。
そして、優しくするほうが自分が楽だから、ってこと...
そうなんだ。
わたしは優しいひとなんかじゃない。
優しくなんかないんだ。
また、自分の優しさがコンプレックスに戻ってしまった。
今日、会社で一番下の同僚(20代・フロント)に
不良の返品を元払いで送り返してるので、
いつもはつい黙ってるけど、今日は言ってみた。
「だめじゃん」
優しくいったから響いてないかもしれない。でも
日ごろなにも言わないから、逆に効いてるかもしれない。
それから、もうひとりの同僚、こちらは年下でも先輩に
なるけれど、所長のかわりにえらそうに言われたので、
(もちろん冗談なんだけど)これもいつもなら何もいわないけど、
「どうして○さんにそんなふうに言われなきゃならないんですかあ」
でもこれだってきつくも言うてない。
ちょっとすねたように言ってみた。
もちろんその後笑い話になった。和やかに。
でもわたしにとってはそんな反論すらも、なかなかないことだし。
ちょっとした進歩と自分では思っている。
それだけ職場の人たちにやっとのことで、なじんできた
ってことだから....
人見知りもたいがいなわたしです。
でもだんだん明るく楽しくなるといわれてる。
入社した3年前とは表情もまるで違うみたいです。
わたしはわたしでしかなく、わたし以上でもなく。
されど、わたし以下ではない。
わたしを非難する人もいれば、ほめてくれる人もいる。
でも非難も賞賛も他人の評価で他人のもつものさしによるもの。
わたしをどこまでわかってのことなのかなんて
わからない。
ただわたしがそれをどう思うかによって変えていかなきゃ
ならないもの...
わたしにとって、優しさ。わたしのなかにある優しさ。
それがどうなのか、ちょっと考え込んでしまってる
今日である。
でも...
はっと気づくと自然にひとの気持ちを考え、ひとをいたわろうと
する自分がいる。それが悪いとも思えない。
でもそれによって、わたしは自分が楽になりたいだけなのか、
とふと考える。
自分の欲もなにもかもかなぐり捨て、他人に優しくできるのか?
と問われたら、無理でしょう。
中途半端に優しくしてはいけないのか
ほんとにひとのための優しさってなんなのか
わたしにはわからない。
偽善者と優しいひとの違いは?
あ~
頭パニック

誰かわかるひとっているのかな....
