快適 混乱 恐怖
今日はこんな題にしてみました。
何のことかと思われると思いますが、少し前に見た資料に載っていた言葉です。
どんな意味かですが、いろいろな意味があるのでしょうけれど、教育的なというか、子育ての領域では、あるいは不登校等への対応の領域では、いろいろな意味にとれる言葉かもしれません。
資料に載っていた本来的な意味では、快適な心地良い状態なのですから基本的にとても良い状態のことでしょうか。
混乱は、気持ちが安定せずに混乱している状態でしょうから、とても快適とは言えないと思います。
また、恐怖は、自分の存在に対して、怖いことが起こったり、怖いことをされたりしていることでしょうから、やはり快適とは言えないでしょう。
家庭のことや子どもを育てる状況の時では、やはり子どもにとっての快適な状態が基本的に必要と思われます。
快適は気持ちの安定をもたらしますので、落ち着いて考えたり、行動したりすることができるかと思います。
成長は、子どもの生まれながらの特性と、育っていく環境との相互の影響で進みますので、家庭の雰囲気や保護者の方々の子どもに対する養育の仕方等が複雑に絡み合って進んでいくと思います。
成長は複雑と言ってしまいましたが、本当のところはそんなに複雑ではないと思っています。
「子どもは育てられたように育つ」ということが当然のことのように思われます。過保護とか言いますが、面倒を見すぎて、世話を焼きすぎて育てれば、大きくなっても自立心が成長せず、依存的な特性が強く、まわりに頼ってばかりになるでしょうし、まわりが自分のために動いてくれるのが当然、自分の考えや要求はいつも通る、と思い込んで自己中心性が強くなることでしょう。
こんな状態で育っていった場合には、何か自分にとって都合の悪状態になった場合には、乗り越えられずに、停滞、または後退してしまうようになるかと思われます。
上記のようになると、本人の快適のために周りが必要以上に気を遣うことも、本人にとっては必ずしも良いことではないと思います。
かと言って、混乱ばかりをもたらす親子の関係打破、子どもは何が何だか分からなくなってしまうでしょう。
恐怖では、そもそも動けなくなってしまって、どうのもならない状態になるかと思われます。
不登校等は、そんな状態の中で成長してきた子どもの示す結果といってもよいかと思われます。
現実に不登校状態になっている子どもに、混乱や恐怖になる刺激を与えても、何も良い方向への変化は起こらないと思われます。
むしろ、一歩下がって、まずは快適を与えて、それで安定を図り、そこから前向きの姿勢が出るような対応が必要かと思われます。
長い、我慢しながらの、一歩ずつの着実な対応が必要ですね。
学校の先生方には、例えば不登校でも、気持ちの不安定でも、意欲が下がってしまっているでも、背景が見えるようになっていただくのがいいかなと、勝手に思っています。
現象の意味が分かると、手が打てるかなと思われます。
人を育てる人間関係の在り方、作り方、深化の仕方等について、まずは理論を身に着けていただければ、子どもも救われるかなと思います。
また、先生から保護者の方々に、家庭におけるどのような人間関係が、どのような結末をもたらす危険性や可能性があるか、あるいは逆に効果があるか、わかりやすく伝えることができるよよいかと思っています。
また、伝えることが先生からの一方的な伝達では、保護者の方はなかなか受けれることがないと思います。
先生と保護者の方の関係性も、また、人間関係ですから、すごく影響があります。保護者の方が、万一、子どもさんへのかかわりがあまり適切でないと感じた時、それをどのように伝えて修正してもらうか、それも大きな課題ですね。
学習を教えるだけでは先生の仕事が終わらないような複雑な社会になりました。
先生方のご苦労も理解できるような気がします。親子関係の理論等、関連の理論等を手に入れて対応していくことが必要かもしれません。
今回はこれで、・・・・・
今日はこんな題にしてみました。
何のことかと思われると思いますが、少し前に見た資料に載っていた言葉です。
どんな意味かですが、いろいろな意味があるのでしょうけれど、教育的なというか、子育ての領域では、あるいは不登校等への対応の領域では、いろいろな意味にとれる言葉かもしれません。
資料に載っていた本来的な意味では、快適な心地良い状態なのですから基本的にとても良い状態のことでしょうか。
混乱は、気持ちが安定せずに混乱している状態でしょうから、とても快適とは言えないと思います。
また、恐怖は、自分の存在に対して、怖いことが起こったり、怖いことをされたりしていることでしょうから、やはり快適とは言えないでしょう。
家庭のことや子どもを育てる状況の時では、やはり子どもにとっての快適な状態が基本的に必要と思われます。
快適は気持ちの安定をもたらしますので、落ち着いて考えたり、行動したりすることができるかと思います。
成長は、子どもの生まれながらの特性と、育っていく環境との相互の影響で進みますので、家庭の雰囲気や保護者の方々の子どもに対する養育の仕方等が複雑に絡み合って進んでいくと思います。
成長は複雑と言ってしまいましたが、本当のところはそんなに複雑ではないと思っています。
「子どもは育てられたように育つ」ということが当然のことのように思われます。過保護とか言いますが、面倒を見すぎて、世話を焼きすぎて育てれば、大きくなっても自立心が成長せず、依存的な特性が強く、まわりに頼ってばかりになるでしょうし、まわりが自分のために動いてくれるのが当然、自分の考えや要求はいつも通る、と思い込んで自己中心性が強くなることでしょう。
こんな状態で育っていった場合には、何か自分にとって都合の悪状態になった場合には、乗り越えられずに、停滞、または後退してしまうようになるかと思われます。
上記のようになると、本人の快適のために周りが必要以上に気を遣うことも、本人にとっては必ずしも良いことではないと思います。
かと言って、混乱ばかりをもたらす親子の関係打破、子どもは何が何だか分からなくなってしまうでしょう。
恐怖では、そもそも動けなくなってしまって、どうのもならない状態になるかと思われます。
不登校等は、そんな状態の中で成長してきた子どもの示す結果といってもよいかと思われます。
現実に不登校状態になっている子どもに、混乱や恐怖になる刺激を与えても、何も良い方向への変化は起こらないと思われます。
むしろ、一歩下がって、まずは快適を与えて、それで安定を図り、そこから前向きの姿勢が出るような対応が必要かと思われます。
長い、我慢しながらの、一歩ずつの着実な対応が必要ですね。
学校の先生方には、例えば不登校でも、気持ちの不安定でも、意欲が下がってしまっているでも、背景が見えるようになっていただくのがいいかなと、勝手に思っています。
現象の意味が分かると、手が打てるかなと思われます。
人を育てる人間関係の在り方、作り方、深化の仕方等について、まずは理論を身に着けていただければ、子どもも救われるかなと思います。
また、先生から保護者の方々に、家庭におけるどのような人間関係が、どのような結末をもたらす危険性や可能性があるか、あるいは逆に効果があるか、わかりやすく伝えることができるよよいかと思っています。
また、伝えることが先生からの一方的な伝達では、保護者の方はなかなか受けれることがないと思います。
先生と保護者の方の関係性も、また、人間関係ですから、すごく影響があります。保護者の方が、万一、子どもさんへのかかわりがあまり適切でないと感じた時、それをどのように伝えて修正してもらうか、それも大きな課題ですね。
学習を教えるだけでは先生の仕事が終わらないような複雑な社会になりました。
先生方のご苦労も理解できるような気がします。親子関係の理論等、関連の理論等を手に入れて対応していくことが必要かもしれません。
今回はこれで、・・・・・
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