埴生城・城主(野々口西蔵坊・左衛門尉親永)の五輪塔!
埴生城の城主(野々口西蔵坊・左衛門尉親永)とおぼしき五輪塔が山城麓の蛇ケ谷川沿い、栗林の中にひっそりと眠っている。ここはかって野々口西蔵坊の屋敷(居住)跡である。最福寺(曹洞宗)の山門(薬医門)は野々口氏の屋敷門を移築したと伝えられているが、「郷土誌 丹波古道誌」によると移設説を否定しています。
等々、郷土歴史は落穂として眠っている。
ここに五輪塔(六基・高さ66cm)が現存するが、一基は塔が崩れている。丁度、五輪塔がある辺りに屋敷門(薬医門)があったと推察するが…今は栗林となっている。
園部町内には墓地や道端等でよく見かけます。下から「方・円・三角・半円・団形(宝珠形)」をしている。密教で言う「地・水・火・風・空」を表す。供養塔や墓碑として造られたようです。この塔は野々口西蔵坊・左衛門尉親永にゆかりのある人の供養塔と推測されます。
<六基が一列に並ぶ…>
<先人の面影が語りかけてきそう!>
<屋敷跡地は栗林に…>
埴生城の城主(野々口西蔵坊・左衛門尉親永)とおぼしき五輪塔が山城麓の蛇ケ谷川沿い、栗林の中にひっそりと眠っている。ここはかって野々口西蔵坊の屋敷(居住)跡である。最福寺(曹洞宗)の山門(薬医門)は野々口氏の屋敷門を移築したと伝えられているが、「郷土誌 丹波古道誌」によると移設説を否定しています。
等々、郷土歴史は落穂として眠っている。
ここに五輪塔(六基・高さ66cm)が現存するが、一基は塔が崩れている。丁度、五輪塔がある辺りに屋敷門(薬医門)があったと推察するが…今は栗林となっている。
園部町内には墓地や道端等でよく見かけます。下から「方・円・三角・半円・団形(宝珠形)」をしている。密教で言う「地・水・火・風・空」を表す。供養塔や墓碑として造られたようです。この塔は野々口西蔵坊・左衛門尉親永にゆかりのある人の供養塔と推測されます。


