ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

普済寺の誕生

2018-03-02 | 神社仏閣
普済寺

2.地域の歴史【普済寺の起こり】
農芸高校前に立つ。
開けた田んぼの中にこんもりとした鎮守の森が見える。遠景に普済寺の伽藍が見え隠れする。道は二つに分かれどちらからでもいけるが表参道から…気分は足の裏から伝わってくる。
入口には石門柱に「天下泰平」、左には「万民普済」と銘刻がされ、左右に宝篋印塔(二基)、禁葷酒の石塔を置く。一歩境内に入ると緑の香りに囲まれる檜林、整備された境内は別世界感である。少し歩くと梵鐘付山門につく。
正面に本堂、右に庫裏である。寺の創建は平安初期と寺の由緒に載る。この寺の全身は本梅川若森の小高い台地にあったと聞く。今はスギやヒノキの植林となり寺の面影は…残っていないが地名は寺元と今も残る(まだ未調査である)。
時は南北朝の頃、新田義貞軍に追われた足利尊氏が九州に落ちのびる途中、妹の千種姫をこの地にとどめている。千種は兄(尊氏)の武運を日々祈ったという。
数か月が過ぎ…尊氏、軍勢を立て直し、再度京に攻め入る。その後に京に入り征夷大将軍となっている。尊氏は戦で荒れ果てた寺(本梅川若森)を復興した(1346年の頃)。
此の時、太平山普済寺(臨済宗)と改め、「天下泰平」「万民普済」とした。寺の開基は千種姫である。


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