ますます、判らないと言ったいるだけでは
なんの進展も無いことに気づきました。
そこには、判ろうとする努力を放棄しているように思えます。
自分自身の事ですから、嘘偽りはありません。
「ますます、判らないと」と言っても
近くにいる人は、還流ドラマに夢中。
今話題の国会のあり様は眼中にありません。
「あの奥さん、どうして国会に参考人と呼ばないの?」
それでいて、的確な質問が飛んでくる。
「あなたが判らないのではなくて、判らなくしていることを探ったら?」
手厳しい指示が下ります。
「毎日新聞が届くのに、見出ししか読んでないんじゃないの?」
還流ドラマに夢中になっているこの人を、バカにしていた私が馬鹿でした。
「忖度を否定」
あれ!どうしてそんなこと、強調してあの人が言えるのだろう。
そもそも、忖度する人の心の奥深く隠されているものでしょう。
その証拠が無いことを良いことに、繰り返されている答弁。
国会中継のテレビ画面に映る国会軽視の官僚答弁
まかり通るあの人やお側用人の言動に
世間の常識外れを感じざるを得ません。
有能な官僚で適材適所と褒めちぎられて、栄転したあの方が
もうすぐ、国会に登場します。
誰もが注目してます。
積み重ねてきたエリートコースの勲章は全て、もぎ取られてしまいました。
自分から放棄したと言えば、格好良いが誰もそうは思いません。
それでも、誰かを、何かを守らなければならない事があるのだろうか?
「捜査中につき、コメントを控えます」
そんな場面には出くわしたくないものですね。