『響き渡る「ニッポン」コール ラグビーW杯』
『ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった大村智・北里大特別栄誉教授』
ふたつの嬉しいニュースは、
TPP妥結とマイナンバーと云う
日本人の将来を暗くするニュースを吹き飛ばすような
明るい出来事だった。
これらの偉業に関わった総ての人たちの健闘を
心から祝福したい。
そのどちらの快挙も
極めて大きな困難を乗り越えて掴んだ栄誉だと
容易に察する事が出来る。
まず日本ラグビーの選手、関係者たち。
今までに見た事も無いような
低い姿勢からのタックル。
多分、怪我のリスクと表裏一体ではないかと思う。
それでも果敢に挑み続けるのは
日頃からの血の滲むような練習があったからこそ。
巨漢を誇る相手選手からタックルを奪うのは、
身長差、体重差があり、極めて困難だったはず。
その不利な条件をもろともせず、
次々と決める事が出来たのは、
低い姿勢からのタックルで、
相手の重心の下を狙い、バランスを崩して止める作戦が
功を奏したからだと思う。
ペナルティーキックをしっかり決め先制し、
2トライでリードを奪い、試合の主導権を握ると
巧みな作戦で、最後まで相手の力を封じ込めた。
体格差のあるスクラムでも、
低い姿勢からの押し出しと揺さぶりで
相手を徐々に追い込み崩す事に成功した時の様子は、
見る度に涙が出そうになる。
それにしても南アフリカ戦、サモア戦で湧きおこった日本コール。
単に弱者が強者を倒したから起きた声援だろうか?
そのひたむきさと、すがすがしい取り組みが
見る人の感動を呼んだからだと思う。
それともうひとつ。
ラグビー日本代表に限らず、
総ての日本人が今まで培ってきた努力と貢献が
人々の評価の面で、好印象を作り上げ、保ってきたから。
私はそう思う。
第二次世界大戦終了後、しばらくの間、
日本人は『ジャップ!』と呼ばれ、蔑まれ、嫌われてきた。
それを思うと戦後70年間の努力と善意によって生まれた
日本人に対する好意と好感の声援に心から感謝したい。
次にノーベル医学生理学賞の受賞の大村智・北里大特別栄誉教授。
彼の偉業の裏に、彼の過去の体験が関わっていた事に注目した。
それは、私個人の境遇から来る、
共感と感銘を受けるエピソードがあったから。
彼は58年山梨大学を卒業し
東京都立 墨田工業高校定時制に着任。
教師を勤めたとある。
その際受け持った生徒たちを見て思った。
生徒たちは昼間工場で働いた後に登校し、
熱心に勉強していた。
中には手に油がついたままの生徒もいた。
大村さんは「自分も頑張らなければ」と一念発起。
夜は教師を続けながら、昼は東京理科大の大学院に通い
分析化学を学んだ。
ー北海道新聞からー
とある。
私は58年生まれで、札幌の定時制高校を卒業している。
何だかこの記事を見ていると、
胸が熱くなるような思いに駆られた。
そして高校時代の恩師たちの姿が目に浮かんできた。
もちろんまったくの別人だ。
でもそんな事だけで親近感が湧いたのは
私にも過去に愛着があった印なのかも?
ただ辛く苦しいだけの4年間だったが。
いや、ちょっとだけ楽しい事もあった。
それがあったから続けられたのかも?
私のした努力など、人様に比べたら
全然大した事はなかったが、
そんな私でも理解できる。
人はどんな苦しい中でも、
ほんのちょっとの楽しみを見つけられたら生きて行けると。
彼らはそれを偉業に繋げた。
それは誰にでも出来る事ではなく
間違いなく誇れる人生だったと讃え
同じ時代を生きてきた日本人として、心から共感し祝福したい。
そんな彼らの偉業に感動したオヤジが二句。
ー大会終了の祝賀会とノーベル賞授与式を想像してー
祝賀会 着ていく服を 心配し
ビールかけ 授賞式でも あるのかな
お粗末。
『ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった大村智・北里大特別栄誉教授』
ふたつの嬉しいニュースは、
TPP妥結とマイナンバーと云う
日本人の将来を暗くするニュースを吹き飛ばすような
明るい出来事だった。
これらの偉業に関わった総ての人たちの健闘を
心から祝福したい。
そのどちらの快挙も
極めて大きな困難を乗り越えて掴んだ栄誉だと
容易に察する事が出来る。
まず日本ラグビーの選手、関係者たち。
今までに見た事も無いような
低い姿勢からのタックル。
多分、怪我のリスクと表裏一体ではないかと思う。
それでも果敢に挑み続けるのは
日頃からの血の滲むような練習があったからこそ。
巨漢を誇る相手選手からタックルを奪うのは、
身長差、体重差があり、極めて困難だったはず。
その不利な条件をもろともせず、
次々と決める事が出来たのは、
低い姿勢からのタックルで、
相手の重心の下を狙い、バランスを崩して止める作戦が
功を奏したからだと思う。
ペナルティーキックをしっかり決め先制し、
2トライでリードを奪い、試合の主導権を握ると
巧みな作戦で、最後まで相手の力を封じ込めた。
体格差のあるスクラムでも、
低い姿勢からの押し出しと揺さぶりで
相手を徐々に追い込み崩す事に成功した時の様子は、
見る度に涙が出そうになる。
それにしても南アフリカ戦、サモア戦で湧きおこった日本コール。
単に弱者が強者を倒したから起きた声援だろうか?
そのひたむきさと、すがすがしい取り組みが
見る人の感動を呼んだからだと思う。
それともうひとつ。
ラグビー日本代表に限らず、
総ての日本人が今まで培ってきた努力と貢献が
人々の評価の面で、好印象を作り上げ、保ってきたから。
私はそう思う。
第二次世界大戦終了後、しばらくの間、
日本人は『ジャップ!』と呼ばれ、蔑まれ、嫌われてきた。
それを思うと戦後70年間の努力と善意によって生まれた
日本人に対する好意と好感の声援に心から感謝したい。
次にノーベル医学生理学賞の受賞の大村智・北里大特別栄誉教授。
彼の偉業の裏に、彼の過去の体験が関わっていた事に注目した。
それは、私個人の境遇から来る、
共感と感銘を受けるエピソードがあったから。
彼は58年山梨大学を卒業し
東京都立 墨田工業高校定時制に着任。
教師を勤めたとある。
その際受け持った生徒たちを見て思った。
生徒たちは昼間工場で働いた後に登校し、
熱心に勉強していた。
中には手に油がついたままの生徒もいた。
大村さんは「自分も頑張らなければ」と一念発起。
夜は教師を続けながら、昼は東京理科大の大学院に通い
分析化学を学んだ。
ー北海道新聞からー
とある。
私は58年生まれで、札幌の定時制高校を卒業している。
何だかこの記事を見ていると、
胸が熱くなるような思いに駆られた。
そして高校時代の恩師たちの姿が目に浮かんできた。
もちろんまったくの別人だ。
でもそんな事だけで親近感が湧いたのは
私にも過去に愛着があった印なのかも?
ただ辛く苦しいだけの4年間だったが。
いや、ちょっとだけ楽しい事もあった。
それがあったから続けられたのかも?
私のした努力など、人様に比べたら
全然大した事はなかったが、
そんな私でも理解できる。
人はどんな苦しい中でも、
ほんのちょっとの楽しみを見つけられたら生きて行けると。
彼らはそれを偉業に繋げた。
それは誰にでも出来る事ではなく
間違いなく誇れる人生だったと讃え
同じ時代を生きてきた日本人として、心から共感し祝福したい。
そんな彼らの偉業に感動したオヤジが二句。
ー大会終了の祝賀会とノーベル賞授与式を想像してー
祝賀会 着ていく服を 心配し
ビールかけ 授賞式でも あるのかな
お粗末。