世界で民衆の声が既存の壁を打ち破る事態が次々と生じていますが
日本でも都知事選を通じて予想以上の都民の声が
孤独な一女性候補を知事にまで押し上げました。
ポピュリズムという言葉以上に何か、
民が既存の政治システムに不満を持っている表れなのでしょうか?
小池百合子。
カイロ大学からニュースキャスターという経歴から
プレゼンテーション能力に長け、ディベートができる逸材であります。
その彼女が政治家に転身した際、
政治の社会の裏側を否が応でも見せつけられたはずです。
安倍首相はアベノミクスの構造改革で苦戦していますが、
小池氏も当然その特殊な世界は見てきています。
小池氏は首相がなぜ構造改革で苦しんでいるかも十分理解されていることでしょう。
党派の中には派閥、さらに実務に落とすにあたり官僚との関係など
しがらみだらけのその世界は体育会系の上下関係以上の当選回数序列があり、
儒教的家父長制度をそのまま残したアンタッチャブルな世界でもあります。
同様の儒教的上下関係は自民党都連の中にもあり、
内田ドンを中心とする保守的前例主義が鎮座しています。
今回、組織という応援が全くない中で戦い抜いた小池百合子氏を
全面的に支援したのは都民そのものでした。
結果は氏の290万票余りの獲得に対して
2位の増田氏、3位の鳥越氏に
それぞれ110万票、150万票以上もの差をつけたその数字は
吟味する必要があるでしょう。
増田氏、鳥越氏には組織票が入っています。
これはやる前からある程度の票が確実に加わることを意味していますから
組織票を持たない今回の小池氏の勝利具合はとんでもない圧勝であるのです。
では世界で起きているポピュリズム、ナショナリズムとどう結びつくのか、です。
個人的にフランスのマリーヌ ル ペン、
英国のボリス ジョンソン、アメリカのドナルド トランプないし
バーニー サンダース氏は国民や市民の不満をボイスアウトしたものであります。
グローバリズムに対して自分たちの権益や既得権が脅かされることに対して
声を上げたものが国民の期待を引き受ける形でポピュリズムが生まれています。
ノーベル賞を受賞しているスティグリッツ博士が
7月に政府の在り方についてこのように批判しています。
「過去40年にわたる新自由主義的な政策は上位1%の富裕層には恩恵をもたらしたが、
ほかの人には望ましいものはではなかった。
近年の経済的停滞は政治的に重大な結果をもたらすと警告してきたが
今、まさにその懸念が現実になったということだ」(日経ビジネス)と。
東京都には何が足りなかったのか、
それは民間主導の経済と経営に対してその枠に入らないリタイア層や
非正規、寂れ行く自営業者や個人経営者の声を受け止める仕組みだった気がします。
東京都がバイタリティ溢れ、さらに強化されていく成長過程になく、
溢れんばかりの高齢者に待機児童、十分な賃金が貰えず、
生活に苦しんでいる人々の声がオリンピックばかり優遇される
その実態に対する潜在的不満が爆発したものでしょう。
既得権者を守る政党政治は世の中がうまく廻っているうちは問題がないのですが、
日本が曇天の景気をもうすでに20年以上も続けている中で
我慢の限界が来たとも言えます。
さて、政権はこの新たに生まれた新風をどう受け止めるのでしょうか?
安倍政権得意の周りを囲い込み、
ボコボコにする力づくの政治力を見せつけるとは思えません。
それは安倍政権もいつまでも安泰ではないという危惧が
小池新都知事の声に耳を傾けざるを得ない関係とも言えるからでしょう。
安倍政権はただでさえ沖縄と厳しい関係を続けています。
あるいは原発では各地で反政府的ボイスが上がっています。
福島や熊本の復興もあります。
その中、おひざ元東京で袂を分かつわけにはいかないことは
安倍首相ならわかっているはずです。
もう一つ、増田、鳥越両氏が善戦したとも言えないような惨敗だったことは
自民をはじめとする全政党が都民の声を読み違えたといえます。
今回の選挙の結果は真摯に受け止め、
変わりつつある日本が誰が主導していくのか、
大きなヒントを与えてくれたような気がします。
小池氏については多くの公約がありますが、どれも難関であります。
その中でまずは都議会を解散し、どう勢力地図を作り替えていくのか、
この辺りがまずは手腕の見せ所ということでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
岡本裕明 ブログ 外から見る日本、みられる日本人
(http://blog.livedoor.jp/fromvancouver/) 8月1日付より
-アゴラ 8月2日(火)17時25分配信-
キーワードのひとつ、ポピュリズムとは何か?
ポピュリズム(英: populism)とは、
一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、
大衆の支持のもとに既存のエリート主義である
体制側や知識人などと対決しようとする政治思想
または政治姿勢のことであり、日本語では大衆主義や人民主義などと訳される。
ほか、政治指導者が大衆の一面的な欲望に迎合して大衆を操作する方法を指し、
大衆迎合主義とも訳される。
また、同様の思想を持つ人物や集団をポピュリストと呼び、
民衆派や大衆主義者、人民主義者、もしくは大衆迎合主義者などと訳されている。
-ウィキペディア-
先日の私のブログ『帰ってきたヒトラー』でも触れているが、
第2次世界大戦を引き起こした張本人「アドルフ・ヒトラー」の
政権獲得の手法もポピュリズムの利用だったと云える。
もちろん小池百合子氏とヒトラーを並べて論じるつもりはない。
しかし長期間の停滞と不満の鬱積が社会に蔓延した状態に於いて、
ポピュリズムが如何に大きな力を持ちうるか、
またひとつ歴史的証明となる事例が書き加えられた。
都知事立候補時、図らずもポピュリストの立場に立たざるを得なかった
小池百合子氏。
もしかして、それも織り込み済みの計算づくの行動だったのかもしれないが、
新体制始動の象徴となる
小池新都知事の初登庁時に早くもひと悶着があったようだ。
出迎えた都議会議員が3人に留まったり、
都の職員に「出迎え議員は後ろに下がれ」と前面に出るのを制止されたりと
前途多難な船出を思わせるエピソードとなった。
無能な都議会議員たちと、都の官僚と呼べる幹部職員たちとの
確執が予想されると云うより間違いなくやって来る全面対決の構図。
しかし、いつまでも対立関係を続けていては
都政の停滞は避けられず、
東京都の持つ経済的・政治的影響力の大きさから云って
国家全体にまで波及することを考えれば
早期に懐柔や和解を求められる。
刷新と和解。
その二つを同時に成し遂げ、
尚且つ、喫緊の課題を一つ一つ解決してゆかなければならない今の状況。
彼女の行政手腕と人心掌握術が、今こそ問われる時期に来ている。
それにしても、これはあくまで東京都という、一自治体での騒動なのに、
他の道府県の住民は何と思っているのだろう?
丁度1年前に北海道から越してきて都民になった私でも、
心のどこかでシラケた気持ちを拭い去ることができなかった。
ましてや他府県人にとって、蚊帳の外に置かれた分、
今回の報道合戦を、さぞ不快な気持ちで観ていたことだろうと
容易に想像できる。
いつも東京ばかりが注目を集め、
置き去りにされる地方。
そんな一極集中の国の態勢にも、私は疑問を持つ。
先日映画『シンゴジラ』を観たが、
映画として高い評価ができるあの映画でも、
東京が舞台になって首都防衛が展開されるストーリーに
「ああ、やっぱり東京が一番なんだなぁ、地方は蚊帳の外なんだ。」
との感想も持った。
そんな地方出身者のひがみ?からか、
それとも私の生来のねじ曲がった思考回路のせいなのか、
やっぱり斜に構えてしか、都政どころか映画まで論じられないオヤジが一句。
首都がもし 他に移れば 腐ってもタイ?
(字余り)
お粗末。
日本でも都知事選を通じて予想以上の都民の声が
孤独な一女性候補を知事にまで押し上げました。
ポピュリズムという言葉以上に何か、
民が既存の政治システムに不満を持っている表れなのでしょうか?
小池百合子。
カイロ大学からニュースキャスターという経歴から
プレゼンテーション能力に長け、ディベートができる逸材であります。
その彼女が政治家に転身した際、
政治の社会の裏側を否が応でも見せつけられたはずです。
安倍首相はアベノミクスの構造改革で苦戦していますが、
小池氏も当然その特殊な世界は見てきています。
小池氏は首相がなぜ構造改革で苦しんでいるかも十分理解されていることでしょう。
党派の中には派閥、さらに実務に落とすにあたり官僚との関係など
しがらみだらけのその世界は体育会系の上下関係以上の当選回数序列があり、
儒教的家父長制度をそのまま残したアンタッチャブルな世界でもあります。
同様の儒教的上下関係は自民党都連の中にもあり、
内田ドンを中心とする保守的前例主義が鎮座しています。
今回、組織という応援が全くない中で戦い抜いた小池百合子氏を
全面的に支援したのは都民そのものでした。
結果は氏の290万票余りの獲得に対して
2位の増田氏、3位の鳥越氏に
それぞれ110万票、150万票以上もの差をつけたその数字は
吟味する必要があるでしょう。
増田氏、鳥越氏には組織票が入っています。
これはやる前からある程度の票が確実に加わることを意味していますから
組織票を持たない今回の小池氏の勝利具合はとんでもない圧勝であるのです。
では世界で起きているポピュリズム、ナショナリズムとどう結びつくのか、です。
個人的にフランスのマリーヌ ル ペン、
英国のボリス ジョンソン、アメリカのドナルド トランプないし
バーニー サンダース氏は国民や市民の不満をボイスアウトしたものであります。
グローバリズムに対して自分たちの権益や既得権が脅かされることに対して
声を上げたものが国民の期待を引き受ける形でポピュリズムが生まれています。
ノーベル賞を受賞しているスティグリッツ博士が
7月に政府の在り方についてこのように批判しています。
「過去40年にわたる新自由主義的な政策は上位1%の富裕層には恩恵をもたらしたが、
ほかの人には望ましいものはではなかった。
近年の経済的停滞は政治的に重大な結果をもたらすと警告してきたが
今、まさにその懸念が現実になったということだ」(日経ビジネス)と。
東京都には何が足りなかったのか、
それは民間主導の経済と経営に対してその枠に入らないリタイア層や
非正規、寂れ行く自営業者や個人経営者の声を受け止める仕組みだった気がします。
東京都がバイタリティ溢れ、さらに強化されていく成長過程になく、
溢れんばかりの高齢者に待機児童、十分な賃金が貰えず、
生活に苦しんでいる人々の声がオリンピックばかり優遇される
その実態に対する潜在的不満が爆発したものでしょう。
既得権者を守る政党政治は世の中がうまく廻っているうちは問題がないのですが、
日本が曇天の景気をもうすでに20年以上も続けている中で
我慢の限界が来たとも言えます。
さて、政権はこの新たに生まれた新風をどう受け止めるのでしょうか?
安倍政権得意の周りを囲い込み、
ボコボコにする力づくの政治力を見せつけるとは思えません。
それは安倍政権もいつまでも安泰ではないという危惧が
小池新都知事の声に耳を傾けざるを得ない関係とも言えるからでしょう。
安倍政権はただでさえ沖縄と厳しい関係を続けています。
あるいは原発では各地で反政府的ボイスが上がっています。
福島や熊本の復興もあります。
その中、おひざ元東京で袂を分かつわけにはいかないことは
安倍首相ならわかっているはずです。
もう一つ、増田、鳥越両氏が善戦したとも言えないような惨敗だったことは
自民をはじめとする全政党が都民の声を読み違えたといえます。
今回の選挙の結果は真摯に受け止め、
変わりつつある日本が誰が主導していくのか、
大きなヒントを与えてくれたような気がします。
小池氏については多くの公約がありますが、どれも難関であります。
その中でまずは都議会を解散し、どう勢力地図を作り替えていくのか、
この辺りがまずは手腕の見せ所ということでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
岡本裕明 ブログ 外から見る日本、みられる日本人
(http://blog.livedoor.jp/fromvancouver/) 8月1日付より
-アゴラ 8月2日(火)17時25分配信-
キーワードのひとつ、ポピュリズムとは何か?
ポピュリズム(英: populism)とは、
一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、
大衆の支持のもとに既存のエリート主義である
体制側や知識人などと対決しようとする政治思想
または政治姿勢のことであり、日本語では大衆主義や人民主義などと訳される。
ほか、政治指導者が大衆の一面的な欲望に迎合して大衆を操作する方法を指し、
大衆迎合主義とも訳される。
また、同様の思想を持つ人物や集団をポピュリストと呼び、
民衆派や大衆主義者、人民主義者、もしくは大衆迎合主義者などと訳されている。
-ウィキペディア-
先日の私のブログ『帰ってきたヒトラー』でも触れているが、
第2次世界大戦を引き起こした張本人「アドルフ・ヒトラー」の
政権獲得の手法もポピュリズムの利用だったと云える。
もちろん小池百合子氏とヒトラーを並べて論じるつもりはない。
しかし長期間の停滞と不満の鬱積が社会に蔓延した状態に於いて、
ポピュリズムが如何に大きな力を持ちうるか、
またひとつ歴史的証明となる事例が書き加えられた。
都知事立候補時、図らずもポピュリストの立場に立たざるを得なかった
小池百合子氏。
もしかして、それも織り込み済みの計算づくの行動だったのかもしれないが、
新体制始動の象徴となる
小池新都知事の初登庁時に早くもひと悶着があったようだ。
出迎えた都議会議員が3人に留まったり、
都の職員に「出迎え議員は後ろに下がれ」と前面に出るのを制止されたりと
前途多難な船出を思わせるエピソードとなった。
無能な都議会議員たちと、都の官僚と呼べる幹部職員たちとの
確執が予想されると云うより間違いなくやって来る全面対決の構図。
しかし、いつまでも対立関係を続けていては
都政の停滞は避けられず、
東京都の持つ経済的・政治的影響力の大きさから云って
国家全体にまで波及することを考えれば
早期に懐柔や和解を求められる。
刷新と和解。
その二つを同時に成し遂げ、
尚且つ、喫緊の課題を一つ一つ解決してゆかなければならない今の状況。
彼女の行政手腕と人心掌握術が、今こそ問われる時期に来ている。
それにしても、これはあくまで東京都という、一自治体での騒動なのに、
他の道府県の住民は何と思っているのだろう?
丁度1年前に北海道から越してきて都民になった私でも、
心のどこかでシラケた気持ちを拭い去ることができなかった。
ましてや他府県人にとって、蚊帳の外に置かれた分、
今回の報道合戦を、さぞ不快な気持ちで観ていたことだろうと
容易に想像できる。
いつも東京ばかりが注目を集め、
置き去りにされる地方。
そんな一極集中の国の態勢にも、私は疑問を持つ。
先日映画『シンゴジラ』を観たが、
映画として高い評価ができるあの映画でも、
東京が舞台になって首都防衛が展開されるストーリーに
「ああ、やっぱり東京が一番なんだなぁ、地方は蚊帳の外なんだ。」
との感想も持った。
そんな地方出身者のひがみ?からか、
それとも私の生来のねじ曲がった思考回路のせいなのか、
やっぱり斜に構えてしか、都政どころか映画まで論じられないオヤジが一句。
首都がもし 他に移れば 腐ってもタイ?
(字余り)
お粗末。