uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


原爆ドーム前に平和を祈るかがり火

2016-08-06 03:51:01 | 日記
広島は6日、71回目の「原爆の日」を迎えた。

広島市中区の平和記念公園では午前8時から平和記念式典が開かれ、

被爆者や全国の遺族の代表、安倍晋三首相ら政府関係者、

各国の代表が参列する。



5月末に現職として初めて広島を訪れたオバマ米大統領は、

「核兵器なき世界」の理想に改めて触れ、

その後も核兵器の先制不使用を検討しているとされるが、動きは限定的だ。

国内に目を転じても「核の傘」に依存した安全保障政策は変わらない。

核廃絶に向け主導的な役割を期待する被爆者の思いとはかけ離れ、

改めて政府の姿勢が問われる。


松井一実市長は平和宣言で、オバマ大統領が演説で示した「情熱」を持って

各国指導者の連帯を呼び掛け、

日本政府にも「核なき世界は、憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する世界」として、

核兵器禁止の法的枠組みについての議論を主導するよう求める。

また、高齢化する被爆者への援護策拡充を強く訴える。


式典には、過去最多となった昨年の被爆70年に次いで多い

91カ国と欧州連合(EU)の大使らが参列する。


被爆者健康手帳所持者は、ピークの1980年の半分以下となる17万4080人。

平均年齢は80.86歳(いずれも3月末現在)。



5日夜は同市の原爆ドーム前の元安川でかがり灯をともし、

世界平和を祈る「第2回ひろしまかがり灯(び)の祭典」があり、

通りかかった人たちは水面を照らす炎を見守った。

祭典を主催した折笠広司代表(67)は「8月6日は広島にとって大切な日。

平和とは何かを考え、未来を作っていきたい」と話した。

【山田尚弘、藤田愛夏】



-毎日新聞 - 2016年8月5日-








今日は『原爆の日』。


毎年茹だる様な暑さの中、式典が行われる。


今年はオバマ大統領の広島訪問時の演説を

世界に発信した年として、

日本史・世界史年表に載るような大きな動きがあった。


しかしその一方で


≪稲田防衛相、核保有「憲法上、限定ない」政府見解踏襲≫朝日新聞

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160805-00000087-asahi-pol


≪中国公船、漁船と領海侵入 政府、駐日大使に抗議≫共同通信

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/56146


などのきな臭いニュースも配信されている。





核廃絶の願いは、まともな人類なら皆願っている共通の想いである。

しかしその一方で中国や北朝鮮のような基地外(誤変換です)国家の前では

全く通じない無力な理念でもある。


稲田防衛相のタカ派ぶりは中国でも知られていて、

より一層緊張が高まるのは必至だ。



しかし一連の中国の動きを見ると、

日本との戦争は既定路線であり、

相手が稲田防衛相であれ、誰であれ不可避の流れは変えられそうにない。



ただし稲田防衛相の発言は

今日8月6日に向けて発信するのはいただけない。


今年5月までの政府の努力が、水の泡になるような無神経な発言であり、

慎むべきだった。



中国の脅威に対抗するべく、

防衛相として考え得る対策を保持するのは必要だが、

なにもあの場でこの時期に発言して良い内容ではなかろう。


アメリカの高官が

「日本には一夜にして核兵器を開発する能力がある」と言って

中国をけん制するカードに使っていたが、

余計なお世話だ。




中国の侵略に備え、対抗するのは現時点でやむを得ない

避けられない措置だが、

だからと云って核兵器に頼る必要もないだろう。


日本が多大な犠牲を払って得た教訓をもとに、

人類の英知を呼びかける国になったのに、

それを踏みにじる国が周辺で吠えているのが腹立たしい。



だが直線的に中国の挑発に乗って

核開発をチラつかせるのではなく、

もっと狡猾に動き、慎重な発言をすべきだと思う。



少なくとも、今の日本政府のすべき対応は、

強烈なカウンターパンチを見舞うのではなく、

地味なボディーブローで相手の体力を奪う事。

国際舞台で多数派を形成し、中国の孤立を図り

どんどん不利な状況に追い込む事。



中・韓・北朝鮮に対しては厳しく臨み、

その他の国際舞台では、平和の旗手として

名誉ある地位を目指す。

それに徹してほしいと願うオヤジが一句。





ゲスの国  どうせ来ない  式典に






お粗末。









<注目ニュース90秒>児童虐待10万件 最多の大阪府は

2016-08-05 04:45:23 | 日記
厚生労働省は4日、2015年度の児童虐待件数が、

統計を取り始めた1990年度以来初めて10万件を突破したと発表した。

背景には、通報ダイヤルが「189」に短縮されたことや、

虐待に対する社会の関心の高まりがあるが、

急増に児童相談所の対応が追いつかない現状もある。

6年連続で全国最多となった大阪府では、

「子供が大泣きした後通報された」と、母親から戸惑いの声も挙がる。

取材を続ける毎日新聞大阪本社学芸部の反橋希美記者は

「育児支援が足りないまま通報を奨励するだけでは、

深刻な事態が隠される可能性もある」と指摘する。


-毎日新聞 8月4日(木)20時32分配信-








児童虐待の他に、老人施設虐待、障害者虐待など、

『虐待』がキーワードになる話題や事案が多すぎるように思う。

そうした『虐待』の他に『ハラスメント』もある。


そうした行為は昔からあるが、

増加傾向にあるという事実が、社会全体を見通したとき

問題を深刻化させているのではないだろうかと思う。



何故それらの行為が増加傾向にあるのか?



今日の記事にあるように、

通報し易くなったことも

統計の数字を押し上げた要因のひとつだと考えられるが、

決してそれだけではないだろう。


現代社会で暮らすひとりひとりの生活からゆとりが消え、

自己中心的な防衛本能がそうさせるのではないか?



我が子を慈しむ心、他人を尊重し、敬意と親愛の心を持って

他者に臨めば軋轢は減るはずだ。



そういえば今日の別の記事で、

アメリカのトランプ候補がまたまたやらかした。


演説中、赤ちゃんの泣き声に苛立ちをみせ、

会場から排除させたとのこと。


大統領候補の演説に、

赤ちゃんを連れてくることの是非の論議もあるだろうが、

国を率いるべき人間としては、

いささか度量が狭すぎる。


心の余裕が減り、狭量な人間が増える社会は不幸である。



だからと云って満ち足りた境遇になれたなら、

狭量な気持ちを追い出すことができるのか?といえば

必ずしもそうはならないだろう。


要は心がけの問題なのかもしれないが、

そうとは言え、居心地の悪い要因が増えるにつれ、

ストレスなどの軋轢が生じ、心が狭くなる傾向を生むのも事実だ。


虐待件数や内容分析を詳しく行い、現状把握に努めることは大切だが、

虐待を処罰するだけでなく、平行して未然防止の努力も必要だ。



今後も通報制度の充実を図ると共に、

様々な分野の相談窓口の設置と支援制度の拡充、

更に社会全体がゆとりを持った受け止めができるよう、

教育の強化と啓蒙が大切になってくると思う。


元々民度の高さで世界中から高評価を受けている日本人。

何事も本気で取り組めば、必ず成し得ると信じたい。




そういえば、昨日観たTBSの番組『モニタリング』で

タレントのDAIGOが季節外れのサンタクロースに扮し、

子供たちの食べ物の好き気嫌いや、おもちゃなど好きな物への独占欲を

克服させる姿が映されていたが、

ふとしたきっかけで人間変われることを

子供たちは実証してみせた。


そうした貴重な試みから、大切な教訓をつかみ取ることはできないか?


サンタの助言や諭しの言葉で子供が変われるなら、

理の通じる大人なら、もっと容易に変われるハズ。


そうした見地に立って、そろそろ本気で自殺者数を減らす努力と、

虐待を減らす努力を、国民全体に浸透させるべく、

行政など、諸団体が動いてほしいと思うオヤジが一句






そうは云え  欲が邪魔する   大人かな






お粗末。










































都知事選の教訓 --- 岡本 裕明

2016-08-03 04:37:29 | 日記
世界で民衆の声が既存の壁を打ち破る事態が次々と生じていますが

日本でも都知事選を通じて予想以上の都民の声が

孤独な一女性候補を知事にまで押し上げました。

ポピュリズムという言葉以上に何か、

民が既存の政治システムに不満を持っている表れなのでしょうか?


小池百合子。

カイロ大学からニュースキャスターという経歴から

プレゼンテーション能力に長け、ディベートができる逸材であります。

その彼女が政治家に転身した際、

政治の社会の裏側を否が応でも見せつけられたはずです。

安倍首相はアベノミクスの構造改革で苦戦していますが、

小池氏も当然その特殊な世界は見てきています。

小池氏は首相がなぜ構造改革で苦しんでいるかも十分理解されていることでしょう。


党派の中には派閥、さらに実務に落とすにあたり官僚との関係など

しがらみだらけのその世界は体育会系の上下関係以上の当選回数序列があり、

儒教的家父長制度をそのまま残したアンタッチャブルな世界でもあります。

同様の儒教的上下関係は自民党都連の中にもあり、

内田ドンを中心とする保守的前例主義が鎮座しています。



今回、組織という応援が全くない中で戦い抜いた小池百合子氏を

全面的に支援したのは都民そのものでした。

結果は氏の290万票余りの獲得に対して

2位の増田氏、3位の鳥越氏に

それぞれ110万票、150万票以上もの差をつけたその数字は

吟味する必要があるでしょう。


増田氏、鳥越氏には組織票が入っています。

これはやる前からある程度の票が確実に加わることを意味していますから

組織票を持たない今回の小池氏の勝利具合はとんでもない圧勝であるのです。


では世界で起きているポピュリズム、ナショナリズムとどう結びつくのか、です。

個人的にフランスのマリーヌ ル ペン、

英国のボリス ジョンソン、アメリカのドナルド トランプないし

バーニー サンダース氏は国民や市民の不満をボイスアウトしたものであります。

グローバリズムに対して自分たちの権益や既得権が脅かされることに対して

声を上げたものが国民の期待を引き受ける形でポピュリズムが生まれています。


ノーベル賞を受賞しているスティグリッツ博士が

7月に政府の在り方についてこのように批判しています。

「過去40年にわたる新自由主義的な政策は上位1%の富裕層には恩恵をもたらしたが、

ほかの人には望ましいものはではなかった。

近年の経済的停滞は政治的に重大な結果をもたらすと警告してきたが

今、まさにその懸念が現実になったということだ」(日経ビジネス)と。


東京都には何が足りなかったのか、

それは民間主導の経済と経営に対してその枠に入らないリタイア層や

非正規、寂れ行く自営業者や個人経営者の声を受け止める仕組みだった気がします。

東京都がバイタリティ溢れ、さらに強化されていく成長過程になく、

溢れんばかりの高齢者に待機児童、十分な賃金が貰えず、

生活に苦しんでいる人々の声がオリンピックばかり優遇される

その実態に対する潜在的不満が爆発したものでしょう。


既得権者を守る政党政治は世の中がうまく廻っているうちは問題がないのですが、

日本が曇天の景気をもうすでに20年以上も続けている中で

我慢の限界が来たとも言えます。


さて、政権はこの新たに生まれた新風をどう受け止めるのでしょうか?

安倍政権得意の周りを囲い込み、

ボコボコにする力づくの政治力を見せつけるとは思えません。

それは安倍政権もいつまでも安泰ではないという危惧が

小池新都知事の声に耳を傾けざるを得ない関係とも言えるからでしょう。

安倍政権はただでさえ沖縄と厳しい関係を続けています。

あるいは原発では各地で反政府的ボイスが上がっています。

福島や熊本の復興もあります。

その中、おひざ元東京で袂を分かつわけにはいかないことは

安倍首相ならわかっているはずです。


もう一つ、増田、鳥越両氏が善戦したとも言えないような惨敗だったことは

自民をはじめとする全政党が都民の声を読み違えたといえます。

今回の選挙の結果は真摯に受け止め、

変わりつつある日本が誰が主導していくのか、

大きなヒントを与えてくれたような気がします。


小池氏については多くの公約がありますが、どれも難関であります。

その中でまずは都議会を解散し、どう勢力地図を作り替えていくのか、

この辺りがまずは手腕の見せ所ということでしょうか?


では今日はこのぐらいで。


岡本裕明 ブログ 外から見る日本、みられる日本人

(http://blog.livedoor.jp/fromvancouver/) 8月1日付より



-アゴラ 8月2日(火)17時25分配信-








キーワードのひとつ、ポピュリズムとは何か?


ポピュリズム(英: populism)とは、

一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、

大衆の支持のもとに既存のエリート主義である

体制側や知識人などと対決しようとする政治思想

または政治姿勢のことであり、日本語では大衆主義や人民主義などと訳される。

ほか、政治指導者が大衆の一面的な欲望に迎合して大衆を操作する方法を指し、

大衆迎合主義とも訳される。

また、同様の思想を持つ人物や集団をポピュリストと呼び、

民衆派や大衆主義者、人民主義者、もしくは大衆迎合主義者などと訳されている。



-ウィキペディア-





先日の私のブログ『帰ってきたヒトラー』でも触れているが、

第2次世界大戦を引き起こした張本人「アドルフ・ヒトラー」の

政権獲得の手法もポピュリズムの利用だったと云える。



もちろん小池百合子氏とヒトラーを並べて論じるつもりはない。

しかし長期間の停滞と不満の鬱積が社会に蔓延した状態に於いて、

ポピュリズムが如何に大きな力を持ちうるか、

またひとつ歴史的証明となる事例が書き加えられた。



都知事立候補時、図らずもポピュリストの立場に立たざるを得なかった

小池百合子氏。

もしかして、それも織り込み済みの計算づくの行動だったのかもしれないが、

新体制始動の象徴となる

小池新都知事の初登庁時に早くもひと悶着があったようだ。



出迎えた都議会議員が3人に留まったり、

都の職員に「出迎え議員は後ろに下がれ」と前面に出るのを制止されたりと

前途多難な船出を思わせるエピソードとなった。


無能な都議会議員たちと、都の官僚と呼べる幹部職員たちとの

確執が予想されると云うより間違いなくやって来る全面対決の構図。


しかし、いつまでも対立関係を続けていては

都政の停滞は避けられず、

東京都の持つ経済的・政治的影響力の大きさから云って

国家全体にまで波及することを考えれば

早期に懐柔や和解を求められる。



刷新と和解。

その二つを同時に成し遂げ、

尚且つ、喫緊の課題を一つ一つ解決してゆかなければならない今の状況。

彼女の行政手腕と人心掌握術が、今こそ問われる時期に来ている。


それにしても、これはあくまで東京都という、一自治体での騒動なのに、

他の道府県の住民は何と思っているのだろう?


丁度1年前に北海道から越してきて都民になった私でも、

心のどこかでシラケた気持ちを拭い去ることができなかった。


ましてや他府県人にとって、蚊帳の外に置かれた分、

今回の報道合戦を、さぞ不快な気持ちで観ていたことだろうと

容易に想像できる。


いつも東京ばかりが注目を集め、

置き去りにされる地方。


そんな一極集中の国の態勢にも、私は疑問を持つ。



先日映画『シンゴジラ』を観たが、

映画として高い評価ができるあの映画でも、

東京が舞台になって首都防衛が展開されるストーリーに

「ああ、やっぱり東京が一番なんだなぁ、地方は蚊帳の外なんだ。」

との感想も持った。


そんな地方出身者のひがみ?からか、

それとも私の生来のねじ曲がった思考回路のせいなのか、

やっぱり斜に構えてしか、都政どころか映画まで論じられないオヤジが一句。





首都がもし   他に移れば  腐ってもタイ?
                      (字余り)





お粗末。 























東芝、セブン&アイ……世界は日本企業のガバナンス改革に不信感を持っている

2016-08-01 04:24:51 | 日記
■不祥事とガバナンス改革のいたちごっこ



企業の不祥事とコーポレートガバナンス改革は、

久しくいたちごっこを続けてきた。

 
21世紀初頭、取締役17人のうち社外取締役が15人を占めた

巨大エネルギー企業エンロンの巨額の不正経理問題は、

一大スキャンダルとなった。

日本では企業内不正の防止を目的としたJ-SOX法が2008年に導入された後、

大王製紙、オリンパスなどの不祥事が明らかになった。

ごく最近でも、ガバナンス先進企業と目されていた

東芝の巨額の不正会計が発覚するなど、企業不祥事が後を絶たないのが現状だ。

 
会社法やその他法制で内部牽制のための仕組みを義務付けても、

完全にうまく機能する保証はない。

この視点に立ち、新たな枠組みを作る試みが進められている。

2014年2月、英国発祥のスチュワードシップ・コードの日本版が作成され、

投資信託や投資顧問など200を超える機関投資家が採択した。

その基本的な考え方は、機関投資家は対話を通し企業の問題点を改善し、

議決権の行使によって経営に規律を与えるというものだ。

 
そして、昨年6月に導入されたコーポレートガバナンス・コードによって、

東証1、2部上場企業は2人以上の社外取締役選任、

株主との対話を求められることになった。

 
コーポレートガバナンス・コードは、義務付けではなく企業に強く推奨し、

社外取締役を置かない場合にはその理由を説明させる。

監督官庁が細かな義務付けをする細目主義ではなく、

具体的な手法を企業にゆだねた原則主義、

「コンプライ・オア・エクスプレイン(順守せよ、または説明せよ)」

を基本スタンスとする。

機関投資家、企業ともに

いわば大人の対応を求められるようになったわけだが、

特に企業側には少なからず戸惑いがあるようだ。



■「攻めの経営」のための手法となるか




今年4月にかけて注目を集めたセブン&アイホールディングスの人事騒動で、

カリスマ会長による人事案に待ったをかけたのは、

同社が備えた企業統治システムだった。

指名・報酬委員会が絶対的権力者と見られた会長の人事案に不賛同で、

取締役会の決議でも却下。結果、会長は退任を余儀なくされた。

 
また、燃費データの不正で顧客離れを招いた三菱自動車は、

ライバル企業だった日産自動車の傘下に入った。

三菱東京UFJ銀行、三菱商事、三菱重工業などの三菱グループ主要企業が、

株主からの責任追及を慮り旧来型の救済に動けなかったと推察される。

 
こうした変化はあるが、社外取締役をとっても、

単に人数合わせだけではうまく機能しない。

経営トップの親しい人物を据えたお仲間クラブでは、

何ら牽制作用は期待できないからだ。

社外取締役には資質、気概が求められるのは言うまでもない。

いかなる仕組みも、

トップ主導の不正をシャットアウトすることはできないからだ。

 
コーポレートガバナンスは、不祥事対策だけのためにあるわけではなく、

ここ数年「攻めの経営」のための手法としての注目度を高めている。

社外取締役、あるいは株主との対話を

外部からの知恵を取り入れるための機会とするというものだ。



日本の株式市場は企業間の持ち合いや系列など、

海外投資家にとって不透明な要素が少なからず存在した。

しかし、上場企業の株式持ち合い比率はバブル期のピーク50%超から低下し、

直近では15%水準まで低下している。

その一方で、

外国人株主の持ち株比率が5%足らずからすでに30%台に達している。

 
世界的な潮流を見ると、投資家の理解を得る経営を行い、

株主以外のステークホルダーの利益も考慮した経営を求める傾向が強まっている。

この本は、コーポレートガバナンスを取り巻く動きを、

世界的な視点から示している。

 
アップルがスティーブ・ジョブズ追放後に危機的状況へと陥った時、

ジョブズの復権に奔走したのが

社外取締役・元デュポンCEOのエドガー・ウーラード氏だった。

その後の同社の快進撃は周知の通りだ。

 そ
れからおよそ20年を経たいま。

日本企業のガバナンスへの取り組みが、世界的な尺度で試されようとしている。
.
ジャーナリスト 山口邦夫=文


-プレジデント 7月31日(日)18時15分配信-








コーポレートガバナンスという統制し、監視する仕組みは

今後の企業活動に大きな統治機能をもたらすことになるだろう。

記事のように不祥事などの具体例を示しながら、

その必要性と現状を示し、

世界の潮流とリンクし、

背を向けてはいられない環境になっていることを示唆している。


巨大企業になればなるほどその重要性は増すようだが、

マイナス面もあることを指摘しておきたい。


コーポレートガバナンスが創る潮流は、

あくまで企業活動による利潤の追求にある。

しかし利潤の追求は、得てして企業の自己都合による利己主義に陥りやすい。


社外取締役を実質的に常駐させることや、

機関投資家による対話を通し企業の問題点を改善し、

議決権の行使によって経営に規律を与えることは、

透明性のある取締役による決定環境の醸造や、

「コンプライ・オア・エクスプレイン(順守せよ、または説明せよ)」

といった株主など関係者の納得のいく経営に役立つが、

企業とはそれだけのためにある訳ではない。



企業は企業理念が存在し、

創設時の初心など、起業の動機が存在する。


起業時に創業者が掲げた理想の実現が

その企業の第一の存在意義だと私は思う。


二つ目の存在意義は、

そこで働く人の生活を保障・支援することにある。


雇用を維持し、社会貢献をする。


それが企業に課せられた使命であり、

国などが支援する所以である。


そういう視点も守りつつ、透明性・コンプライアンスの整った

企業経営が求められていると思う。





このことは企業に限らず、国や自治体にも云えるのではないか?



昨日東京都知事選挙の結果、小池百合子氏が当選したが、

今後の都議会運営が思いやられる。


小池百合子氏に限らず、誰がなっても同じだが、

一部都議会議員の専横による

都政の停滞やよどみを打破することは容易ではない。


都政以外にも、各地方自治体、

国政に於いても同様のことが云える。



特に国に於いては、各省庁の縄張り内での専横。

伏魔殿のような官僚機構の実態を改善し、

風通しの良い行政機関への改善などは、誰も唱えない。


財務省の公表する国の借金の実態など、

一般の国民には知らされていない事項が多すぎる現状に於いて、

やりたい放題の官僚機構に対し、

ガバメント・ガバナンス(政府機関統制・監視)

の必要性が乞われているのではないか?



小中学校のPTAですら、同様の問題を抱える現状を見るにつけ、

人が二人以上集まる所は常にガバナンスを意識し、

人間関係を維持しなければならないのかと、

多少面倒くささも感じるオヤジが一句。






ガバナンス  家庭内でも  取り入れて






お粗末。