この連休は比較的テレビをつけています
気づくのは
インタビューの時に「○○かな?」という言葉が多いということ。
政治を語ったり、スポーツ選手の素晴らしい演技の後、
今年はどういう年にしたいですかと問われた時、
「○○です(でした)」「○○したいです」ではなく、「○○かな?」と答え。
きっと気持ちの中では定まっているのでしょうけど
曖昧さを求めているのでしょうか。
言い切ることがよしと思われない風潮というか。
逃げ道というか、他人事のように話すことによって、自分から少し距離をとる。
それぞれが真剣にやっているのに、そういう言葉を聞くとさめますね
~こんなこと言ってる私も時にはあえて使います
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それはどういう時かというと、
相手に理解されないだろう時と面倒な時(笑)~
曖昧さを残したいのは
自分をさらけ出して、うまくいかなかったときが痛いから。
薄くでも包んでおけば、衝撃が和らぐから。
でも・・
もう、どうせごまかせない時代になってきているのだし、
もっと潔くいきましょうよ!
言葉は言霊をもつといわれます。
だからこそ、自分の使う言葉には注意しないといけませんね。
ネガティブなことを言ったり、不用意に傷つけたりしないように。
「めちゃくちゃ」という言葉が日常的に使われています。
「めちゃくちゃ疲れた」とか「めちゃくちゃ楽しい」とか。
あえて選んで使うのならいいのですが、
無意識にそれを乱用する人に会った時
「この人って滅茶苦茶な人なのかもしれない
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」って感じたことがあります。
(勝手な誤解かもしれませんが)
私が一番苦手な言葉は
女性が発する「うちら」という言葉。
そこに含まれるへんな仲間意識、他者の排除。
この言葉を聞くととても気分が下がります
言葉にはその人が素直に表れますね。
気をつけたいものです。
「人の振り見て我が振り直せ」
今朝の学びです