チーママの庭とウサギたち

チーちゃんのママことチーママです。植物とウサギと戯れ、マイペースでハンドメイドをしています。

川崎市役所取り壊し

2016-10-18 20:00:13 | 生活
ニュースで、川崎市役所が取り壊されるという話が流れてきました。
そういえば、最近とんと見ていなかったなぁ。
戦争でも焼け残った昭和13年建築というのだから、うん かーさんが住んでいた頃と変わっていないという事です。

で、googlのストリートビューで覗いてみました。



あーーー あったぁ♪
今は中華屋さんになっていますが、隣の赤い三角の建物。
昔は1階2階が「かわもく」という家具屋さんでね。
この4階の角に、2歳位から卒園まで住んでいたのです。

毎朝 出勤する父に、市役所側の窓から顔を出して
「おとーちゃまーーー 今日のお土産は○○ね~」と叫んでいたらしく、市役所の人に「今日のお土産は、チョコレートだよね」と言われたこともありました(笑)
そして市役所とかわもくアパートの間には、コンクリートで作った小さな池がありましてね、夕方になるとパンツ一丁(今で言う提灯ブルマー。ポニョがはいていたやつです)で水遊びをしていて、帰宅した父と手をつないで階段を上ったものです。




今思えば、メーデーだったのでしょうね。
先頭の何人かが横に竹竿つかんで、人々がヘビのようにうねうねと、道いっぱいにうごめいていた記憶もあります。
お昼寝から目が覚めたら、母の姿が見えずに「おかーちゃまぁ~ えーーん えーーーん」と、身を乗り出して泣いていた記憶もあります。
このあたりは、完全にめい(トトロ)であります(笑)
屋上は洗濯物干し場で、アドバルーンがありましたので、一人で入っちゃいけないといわれていましたが。
その物干しざおで鉄棒していて、竹竿が折れて顎から落ちて、傷がパカッと(^^;;
見ていた父が大慌てで、着ていた白いワイシャツを脱いでアゴに撒き、抱かれて病院にすっ飛んで行ったっけ。
あの時 下から見上げた父のあわてた姿は、いまだに忘れられません。




ああ まだかわもくビルなのね(^^)
入口の場所も、当時のまま。昔はドアはなくて、すぐに階段になっていました。
ええ その階段を洗濯板で滑り降りて、すっころげて また顎を割ったのは、私です(^^;;
「またか~ 」って、お医者様にあきれられました。

市役所側の窓には 幼い私と若い実母(まだ二十歳チョイ)。
窓の上の屋上には、父。
母「 あら? りんりんって サンタさんのそりの音がするわよ? 窓からのぞいてごらんなさい」
私「あーーー サンタさんだぁ~♪♪♪」
と手にしたのは、クリスマスケーキ。
ええ 窓の上からスルスルと降りてきたのです。
いや サンタ いちいち紐でつるさないから(爆)

赤い金魚をお風呂に入れて、石鹸で洗ってあげたのもこのアパート。
一頃 一番上のいとこが大学に行くために同居していたこともある。
つつましい生活だったけど、夢のある時代でしたね。

そして3ブロック先にあった幼稚園は・・・・


あれ? なくなっちゃった?
神社併設のいなげ幼稚園。15年ほど前に無くなったそうです。
ここのお社で、七五三。 羽根つき飾りのおっきなリボンを頭につけて。
(当時は それが当たり前のセットものでした)
なかなか由緒のあるところのようですから、いつか行ってみましょう。


小学校に入る時に、その先海側へしばらく行った藤崎町に引っ越し。
川中島小学校に入って、3年生で東京へ。


この小学校をもう少し先に行くと大師公園があって、その上がお大師様。
今でもいとこ夫婦が住んでいます。
もとは実母の姉の嫁ぎ先。 
そこからすぐ上側にある東門前が生まれたところですから、心臓の悪い母は身内が近くて心強かったでしょうね。
東門前→川崎駅前→藤崎町→大田区と、すべて社宅です。
父の会社は塩浜1丁目。 今も横羽線を通ると、会社の看板を見てしまいます。


思わず 昔語りをしてしまいました。
グーグルビューって、良いですね。




コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 畑仕事 | トップ | あらあら あっという間に日... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (うさこの母)
2016-10-19 04:49:53
ウンウン、何もかも昭和の良き時代。
提灯ブルマ―のお写真、お父様の思い出のお話の時に載せておいででしたね。

ず~と続くと思っていた子供のころ。
自分自身の思い出と重なって「かわいかったなぁ、あのころの私」なんて自画自賛して
走馬灯のように浮かびます。
返信する
Unknown (チーママ)
2016-10-19 23:18:47
うさこの母さん

まだ年金生活が夢見られて、年功序列があって、頑張れば将来が安心だと思っていたあの頃。
本当に 幸せって過ぎてしまってから気が付くもの。
もっとも そうした思い出を持っているだけ、人として幸せなんだと思います。
愛された記憶が、幸せな記憶があれば、人間立っていけますものね。
さて 子供たちはどうなのかしら?(^^;;
返信する

コメントを投稿

生活」カテゴリの最新記事