東平の村、
麦とトウモロコシだけでは生活は楽ではありません。
家族と離れて遠い所へ働きに出るのは普通です。
工場の工員さんたち、ご主人がそうだったり
総班長も以前は子供と離れて遠い工場にいました。
村に工場があると家族一緒に暮らせます。
楽ではないですが町でスーパーのレジより収入はあります。
それでも「もっと」を求めて出稼ぎに行く人もある。
5年間パタンナーをしていた周(男です)
日本で働きたいと工場長に相談したようですが
日本のパタンナーは型を起こすだけでなく
デザイン企画もできないとだめで彼は働けない。
周の奥さんは日本の縫製工場で研修生だったこともあり
彼は日本に対してとても興味がありました。
「オクサン、日本語センセイしてください」と
わたしは言われたことがあります。
日本をあきらめてどこへ行ったのか、カンボジアです。
今まで工場での給料は4千元、悪くはないはずですが
カンボジアだと寮に入って1万元あるって。
子供が二人いて周はまだ若いから、どんどん働きたかったのかな。
「もうカンボジアに着きました」とメールがあったそうです。
「10年前の東平みたいです」
え? 5年前の東平でも相当なもんなのに

村育ちの周はカンボジアでは都会っ子になったんか?
昨日の晩ご飯は

日本から買ってきた餃子の皮、30枚x3個。
賞味期限内に作らんとあかん。
休みの日にたっちゃんに手伝ってもらうつもりだったけれど
あてにならないので仕方なく


ひとりで包みました。
少しずつラップして冷凍してあります。