宗教的精神と茶と僧房料理がコラボレーション(collaboration)した茶懐石
禅僧房の料理より出でて、茶の湯の儀式を定めてこれを完成に域にまで至らせた千利休により
『茶懐石』の様式が整いました。
『茶花』は宗教的の尊敬をもって花を見る、美的センスを目的に心を込めて選択して、
花に慈悲の心もって無闇に必要の度を超えて切り落とさないことを常とする。
茶懐石料理のひと品ひと品の分量は、空間も無限を表す味の一つでありますから十分でなく、
例えばみそ汁(椀盛)の分量にしても椀の六分に止める。
残り四分は心の余韻、趣にあてる。
恵まれない世界への慈悲の心根、また乞食の精神も含まれています。
寂の精神にも通じています。
みそ汁は口をしめらすのみなれば煮物焼物肝心と知れ
裏千家 円能斎宗匠
四季それぞれの風雅の喜び、自然の恵みをさりげなく取り合わせる懐石と器物は尽きせぬ面白さであります。
辻 嘉一 京都の茶懐石料理人
美味即菩提
眞の美味に出会った時は、佛の悟りである。
吉川英治
茶室は静寂純潔の世界である。
見渡せば花ももみじもなかりけり
浦のとやまの秋の夕暮れ
藤原定家
茶は薬用として始まり後飲料となる。・・・・日本はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた。
・・・・茶道の要義は『不完全なものを』崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、
何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。
茶の原理は普通の意味でいう単なる審美主義ではない。
倫理、宗教と合して、天人の関するわれわれのいっさいの見解を表しているものである。
・・・・宇宙に対するわれわれの比例感を定義するから。
それはあらゆるこの道の信者を趣味上の貴族にして、東洋民主義の眞精神を表している。
茶の本 岡倉天心
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禅僧房の料理より出でて、茶の湯の儀式を定めてこれを完成に域にまで至らせた千利休により
『茶懐石』の様式が整いました。
『茶花』は宗教的の尊敬をもって花を見る、美的センスを目的に心を込めて選択して、
花に慈悲の心もって無闇に必要の度を超えて切り落とさないことを常とする。
茶懐石料理のひと品ひと品の分量は、空間も無限を表す味の一つでありますから十分でなく、
例えばみそ汁(椀盛)の分量にしても椀の六分に止める。
残り四分は心の余韻、趣にあてる。
恵まれない世界への慈悲の心根、また乞食の精神も含まれています。
寂の精神にも通じています。
みそ汁は口をしめらすのみなれば煮物焼物肝心と知れ
裏千家 円能斎宗匠
四季それぞれの風雅の喜び、自然の恵みをさりげなく取り合わせる懐石と器物は尽きせぬ面白さであります。
辻 嘉一 京都の茶懐石料理人
美味即菩提
眞の美味に出会った時は、佛の悟りである。
吉川英治
茶室は静寂純潔の世界である。
見渡せば花ももみじもなかりけり
浦のとやまの秋の夕暮れ
藤原定家
茶は薬用として始まり後飲料となる。・・・・日本はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた。
・・・・茶道の要義は『不完全なものを』崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、
何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。
茶の原理は普通の意味でいう単なる審美主義ではない。
倫理、宗教と合して、天人の関するわれわれのいっさいの見解を表しているものである。
・・・・宇宙に対するわれわれの比例感を定義するから。
それはあらゆるこの道の信者を趣味上の貴族にして、東洋民主義の眞精神を表している。
茶の本 岡倉天心
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