陰極は陽転する。(悪くなるほど、善きことが近づいて来たと思え)
燈火(ともしび)の消える前は一時却って明るいと同じように、運命の明け方のの来る前に真っ黒な真夜中が来る。
けれどもこの真っ暗な真夜中は一層明け方の近づいた証拠でありますから、
コロンブスのように前途を信じて確信をもって突進すればよいのであります。
地震が長期化しますと人間の心深く、不安が漂っているようです。
地震の回数が増え続きますと不安が生じ、狭い病室から一刻も早く外へ逃れたいと思う心理が働きます。
また震度七程の耐震強度がある建物でも、自動ドア、非難階段等の扉に歪み等が生じて開かない危険があります。
病棟により病室の扉等をテープ等で固定して開放のままにしているところがあります。
柔和なる者地を嗣がん
幸いなるかな柔和なるもの、その人は地を嗣がん
マタイ伝 第五章
『地を嗣ぐ』と云うのはエジプトの奴隷になっていたユダヤ人が故国のイスラエルの地に帰ることができると
意味になぞらえて『地を嗣ぐ』と言ったのです。
心が柔らかいというのは『我』の無いことであります。素直な心のことであります。
『そのままの心』『無構えの心』のことであります。
キリストが『人若し汝の右の頬を打たばこれに左の頬を巡らして打たせよ。
十里の公役を強いられなば、二十里をゆけ、人若し汝を訴えて下衣を盗らんとする者には上衣をも取らせよ』と言っている意味は、
それは柔和な心であり、抵抗がないこころです。そのままの心なのです。
このように心柔らかい心、我のない素直な心である無抵抗の真理を実践することは本当の強さがあらわれてくるのです。
そのような心で相手に素直になりますと、相手がこちらの思った通りに、素直になるのです。
柔和なるものほど強いのであります。硬いものは壊れる。
鋼鉄で出来た橋でもくだけるけれども、柔らかい空気はくだけることはない。
爆弾で鉄骨の建物がくだけるのは、爆風である、柔らかい空気の力なのであるのです。
柔らかい真綿が爆風に当たっても吹き飛んで傷がつかないのです。
このように柔らかい心になりますと心が一ヶ所に執着しない、心が自由に伸び伸びとしている、
だから肉体的にも、凝りが生じることがない、また血液の循環も滞りなく自然に順調に流れ、
健康が保たれるのであります。
燈火(ともしび)の消える前は一時却って明るいと同じように、運命の明け方のの来る前に真っ黒な真夜中が来る。
けれどもこの真っ暗な真夜中は一層明け方の近づいた証拠でありますから、
コロンブスのように前途を信じて確信をもって突進すればよいのであります。
地震が長期化しますと人間の心深く、不安が漂っているようです。
地震の回数が増え続きますと不安が生じ、狭い病室から一刻も早く外へ逃れたいと思う心理が働きます。
また震度七程の耐震強度がある建物でも、自動ドア、非難階段等の扉に歪み等が生じて開かない危険があります。
病棟により病室の扉等をテープ等で固定して開放のままにしているところがあります。
柔和なる者地を嗣がん
幸いなるかな柔和なるもの、その人は地を嗣がん
マタイ伝 第五章
『地を嗣ぐ』と云うのはエジプトの奴隷になっていたユダヤ人が故国のイスラエルの地に帰ることができると
意味になぞらえて『地を嗣ぐ』と言ったのです。
心が柔らかいというのは『我』の無いことであります。素直な心のことであります。
『そのままの心』『無構えの心』のことであります。
キリストが『人若し汝の右の頬を打たばこれに左の頬を巡らして打たせよ。
十里の公役を強いられなば、二十里をゆけ、人若し汝を訴えて下衣を盗らんとする者には上衣をも取らせよ』と言っている意味は、
それは柔和な心であり、抵抗がないこころです。そのままの心なのです。
このように心柔らかい心、我のない素直な心である無抵抗の真理を実践することは本当の強さがあらわれてくるのです。
そのような心で相手に素直になりますと、相手がこちらの思った通りに、素直になるのです。
柔和なるものほど強いのであります。硬いものは壊れる。
鋼鉄で出来た橋でもくだけるけれども、柔らかい空気はくだけることはない。
爆弾で鉄骨の建物がくだけるのは、爆風である、柔らかい空気の力なのであるのです。
柔らかい真綿が爆風に当たっても吹き飛んで傷がつかないのです。
このように柔らかい心になりますと心が一ヶ所に執着しない、心が自由に伸び伸びとしている、
だから肉体的にも、凝りが生じることがない、また血液の循環も滞りなく自然に順調に流れ、
健康が保たれるのであります。