侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

花巻はバッケが盛りでした!

2010-05-03 23:21:11 | Weblog
 今回の神楽研修会は大償神楽「春の舞い」を神楽の館で鑑賞すること。本番のみならず、前夜のお稽古も拝見させていただいた。前日はまづ、早峰池神社を詣でた。



岳にある神社は今から10年ほど前の夏の大祭に訪れたことがあった。あの夜は岳神楽と大償神楽が同じ演目を交互に演じた。時の経つのも忘れて夢中で観た。
 あの時は岳神楽の何か神々しさというか現代ではもう失われてしまった野性的猛々しさがかぎ取れて、何か懐かしいような、古層のゆかしさを感じた。
 この度の大償神楽の圧巻はそう、やはり権現舞いではあったのだが、あの時岳神楽で感じた野性的な猛々しさというのではない何かもう少し日向くさいような柔らかみを帯びた古層のにおいであった。
翌朝、雲南の丘に立つ観音堂をおとずれ、観世音菩薩様を拝ませていただく。岳の上流の山から切り出された巨木の
一木作り。専業の仏師ではなく、神楽の面や、神社にお祀りする品々を独学で拵えて居た方だそうだ。
 この観世音菩薩様も、たった一人で彫り続けて完成させた仏様。
 何時までもそこで対峙していたくなる慈愛に満ちていた。


大償い別当家の常居、かつてはここで折口信夫博士が神楽をご覧になったそうだ。
「やまの神も 夜半の神楽にこぞるらし 舞屋の外の 闇のあやしさ」の歌を詠まれたそうだ。
そのお軸のとなりに、神楽を舞う墨絵があり、思わず見とれた、踊る身体がえがかれている。



佐々木隆さんの身体には息をのんだ。
 声もでない、見事であった。普通の暮らしをしている人にあのような身体技法を見出すとは!稀有な事だ。 
居るだけでその空間がだれのものでもない彼の物になっている。中心感覚がぶれない。すごいことだ。


 戦慄すらおぼえ、不覚にもありがたくて泪がこぼれそうになった。
 そうだ!隆さんの権現舞いはバッケなのだ。

 春の訪れを告げるバッケ、春の空気を深く吸い込み、その春と一緒に東京へ帰った。

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