こんなにみずみずしい感性で世界を捉えて居られる女性と出会えた事に
ありがたい思いでいっぱいです。
そして、未来への希望にもつながり心強い思いが致します。
あなたの仰ることすべてがある意味「農民芸術概論」で
賢治さんが言いたかったこと、実現したかったことだとおもいます。
今一度、私も再読をしてみました。
もとよりわたくしにもすべてが理解されておるわけではないのです。
読む度ごとにあらたな発見や気づきをいただきます。
賢治さんの37年の生涯を童話や詩などを縁にたどってみても、意味不明の事は
沢山沢山あります。
どれだけ多くの方々が賢治について論じているか、それほど賢治さんは
多面的であり、深く、広いものを内包していたのだとは思いますが、
その一方で同郷の者として思うことは、広大な宇宙感を抱きつつも
現身の自分自身と、妄想の中での自分との乖離に苦しんだ人なのではないか、ともおもうのです。
そう言う意味では賢治さんを神格化して語る事に対しては違和感を
覚えます。
たとえば「雨ニモマケズ」の詩などは
まさにそういうものに私はなりたいのであって
彼は決してそう言う者ではあり得なかった自らを
知っていてその葛藤から生まれた詩であろうと
思うのです、、
私が30歳だった時、、一体全体どんな人生をおくっていたでしょうか、、
あなたのようなきづきにいたってはいなかったです。
♡Green・Upを創立したのは今からほぼ22年前ですから、40歳の時です。
それまでは確かに賢治さんを通じて森羅万象なべてに神宿る、
故になべての万物や、自然を損なうような環境負荷をかけることは
いましめねばというような気持ちは潜在的に持っておりましたが、、
何かすべてがもやにつつまれたような良くわからない状況だったように思います。
それから20年、♡Green・Upの仲間たちや学ばせていただいた沢山の方々との
出会いの中で少しづつ事の本質が見えてきたようには思います。
とは言え、自分自身が成熟し、良く見、聞きし、解る人に
なれたかと言うと否です。
哀しいまでに未成熟人間です。
自己嫌悪に陥ることしばしばです。
そんな時でも私の中では♡Green・Upやその他の活動があり、その世界が
あるからこそ、救われてきた部分もあります。
「銀河鉄道の夜」でカンパネルラは叫びます。
「僕はもうあのさそりのように、本当にみんなの幸せのためならば、僕のからだなんか
百ぺん灼いてもかまわない。」
賢治はとてもとてもみんなの幸福を強くねがっていました、、
「世界が全体幸せにならないうちは個人の幸せはありえない」とも
言っております。
だからこそ、
おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの
巨きな第四次元の芸術につくりあげようではないか、、
まずもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう
と、彼は
誰かにむけて呼びかけざるを得なかったのだと、、
多分、当時、岩手県花卷で
この呼びかけに真底、呼応出来た人物がどれだけいたでしょう、、、
ついこの間まで花卷では賢治さんは
宮沢家という花卷では超一流の名士の家柄の変わり種と
いうように一部ではとらえられてもおりました。
勿論賢治さんの思想を正しく受け継ごうとした人々も
おり、そのかたがたが長く、「花卷賢治子供の会」を設立し
賢治さんの創作の数々を大切に憲章してきても居ました。
賢治生誕百年を待つまで、花卷では広く賢治さんを理解する人は
本当の意味ではすくなかったのです。
時代がやっと賢治さんに追いついて来たと言えるかも知れません。
311を契機に私もあなたと同じように、大きく揺さぶられるものがありました。
原発を止められなかった事への内心忸怩たる思いがその際たるものでもあります。
確かに原発依存は嫌だ、戦争も二度と繰り返したくはない、憲法9条も守りたい、
環境負荷をかけることも軽減したい、温暖化もストップさせたい。
そう思ってはきましたが、ここまで命を脅かし、人を恐怖と不安に陥れる
元凶である、原発をある意味で容認していた、自分にとても情けない思いがしました。
居ても立ってもおられず、脱原発デモにでかけ、映画上映会を企画し
今から24年前チエルノブイリ事故後に一人の主婦甘蔗珠恵子さんが
書いた一番長い手紙「まだまにあうのなら」の朗読イベントも
企画しました、、
http://www.jiyusha.co.jp/mokrok/books/187-8.html
しかし、そんなことで亡くなった多くの方々の命を悼み、あがなうことは
できていない、、ともおもっています。
未だ不安と恐怖にさらされている方々が居る限り、
私たちはこの事実をわすれてはならないし、どんなささやかなことでも
できることをしてゆかねば、、ともおもっております。
ともすると日々のたつきを得ることや
家庭で抱える問題にのみ没頭してしまいがちですが
何時も心の片隅でその事をわすれずにいたい、、ともおもっています。
東北の女性たちに手仕事の場や道具を支援したいと
今おもっています。
地べたに足を付けた生活にシフトすることが目下の妄想です。
あなたのように覚醒した若い方々が多く輩出してきていることを
昨今実感しています。
あらたな時代への胎動ははじまっているとおもっています。
覚悟のいる時代ではあっても、希望の持てる時代でもあるのだと、、
心強く思います。
ありがとうございました!
又お目にかかれる日を楽しみにいたしております。
ありがたい思いでいっぱいです。
そして、未来への希望にもつながり心強い思いが致します。
あなたの仰ることすべてがある意味「農民芸術概論」で
賢治さんが言いたかったこと、実現したかったことだとおもいます。
今一度、私も再読をしてみました。
もとよりわたくしにもすべてが理解されておるわけではないのです。
読む度ごとにあらたな発見や気づきをいただきます。
賢治さんの37年の生涯を童話や詩などを縁にたどってみても、意味不明の事は
沢山沢山あります。
どれだけ多くの方々が賢治について論じているか、それほど賢治さんは
多面的であり、深く、広いものを内包していたのだとは思いますが、
その一方で同郷の者として思うことは、広大な宇宙感を抱きつつも
現身の自分自身と、妄想の中での自分との乖離に苦しんだ人なのではないか、ともおもうのです。
そう言う意味では賢治さんを神格化して語る事に対しては違和感を
覚えます。
たとえば「雨ニモマケズ」の詩などは
まさにそういうものに私はなりたいのであって
彼は決してそう言う者ではあり得なかった自らを
知っていてその葛藤から生まれた詩であろうと
思うのです、、
私が30歳だった時、、一体全体どんな人生をおくっていたでしょうか、、
あなたのようなきづきにいたってはいなかったです。
♡Green・Upを創立したのは今からほぼ22年前ですから、40歳の時です。
それまでは確かに賢治さんを通じて森羅万象なべてに神宿る、
故になべての万物や、自然を損なうような環境負荷をかけることは
いましめねばというような気持ちは潜在的に持っておりましたが、、
何かすべてがもやにつつまれたような良くわからない状況だったように思います。
それから20年、♡Green・Upの仲間たちや学ばせていただいた沢山の方々との
出会いの中で少しづつ事の本質が見えてきたようには思います。
とは言え、自分自身が成熟し、良く見、聞きし、解る人に
なれたかと言うと否です。
哀しいまでに未成熟人間です。
自己嫌悪に陥ることしばしばです。
そんな時でも私の中では♡Green・Upやその他の活動があり、その世界が
あるからこそ、救われてきた部分もあります。
「銀河鉄道の夜」でカンパネルラは叫びます。
「僕はもうあのさそりのように、本当にみんなの幸せのためならば、僕のからだなんか
百ぺん灼いてもかまわない。」
賢治はとてもとてもみんなの幸福を強くねがっていました、、
「世界が全体幸せにならないうちは個人の幸せはありえない」とも
言っております。
だからこそ、
おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの
巨きな第四次元の芸術につくりあげようではないか、、
まずもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう
と、彼は
誰かにむけて呼びかけざるを得なかったのだと、、
多分、当時、岩手県花卷で
この呼びかけに真底、呼応出来た人物がどれだけいたでしょう、、、
ついこの間まで花卷では賢治さんは
宮沢家という花卷では超一流の名士の家柄の変わり種と
いうように一部ではとらえられてもおりました。
勿論賢治さんの思想を正しく受け継ごうとした人々も
おり、そのかたがたが長く、「花卷賢治子供の会」を設立し
賢治さんの創作の数々を大切に憲章してきても居ました。
賢治生誕百年を待つまで、花卷では広く賢治さんを理解する人は
本当の意味ではすくなかったのです。
時代がやっと賢治さんに追いついて来たと言えるかも知れません。
311を契機に私もあなたと同じように、大きく揺さぶられるものがありました。
原発を止められなかった事への内心忸怩たる思いがその際たるものでもあります。
確かに原発依存は嫌だ、戦争も二度と繰り返したくはない、憲法9条も守りたい、
環境負荷をかけることも軽減したい、温暖化もストップさせたい。
そう思ってはきましたが、ここまで命を脅かし、人を恐怖と不安に陥れる
元凶である、原発をある意味で容認していた、自分にとても情けない思いがしました。
居ても立ってもおられず、脱原発デモにでかけ、映画上映会を企画し
今から24年前チエルノブイリ事故後に一人の主婦甘蔗珠恵子さんが
書いた一番長い手紙「まだまにあうのなら」の朗読イベントも
企画しました、、
http://www.jiyusha.co.jp/mokrok/books/187-8.html
しかし、そんなことで亡くなった多くの方々の命を悼み、あがなうことは
できていない、、ともおもっています。
未だ不安と恐怖にさらされている方々が居る限り、
私たちはこの事実をわすれてはならないし、どんなささやかなことでも
できることをしてゆかねば、、ともおもっております。
ともすると日々のたつきを得ることや
家庭で抱える問題にのみ没頭してしまいがちですが
何時も心の片隅でその事をわすれずにいたい、、ともおもっています。
東北の女性たちに手仕事の場や道具を支援したいと
今おもっています。
地べたに足を付けた生活にシフトすることが目下の妄想です。
あなたのように覚醒した若い方々が多く輩出してきていることを
昨今実感しています。
あらたな時代への胎動ははじまっているとおもっています。
覚悟のいる時代ではあっても、希望の持てる時代でもあるのだと、、
心強く思います。
ありがとうございました!
又お目にかかれる日を楽しみにいたしております。