侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

あれから、、、そして、ありがとう、、、

2016-03-11 11:32:04 | Weblog

  あの時お茶の水の近代建築ホテルの見学会に参加中でした。
88歳の義母が一人お留守番をしており、スワッとホテルを飛び出し、
昼寝をしていた眠気眼の運転手さんにともかく走って走ってと30分で家に辿り着き、
無事を確認し、胸の動悸がやっと治まりました。
その日を境に、家族が寄り添い、外に出る事もなく、被災地に送る布草履作りに没頭する二週間でした。
三月末に始めて原発へに意思表示をするデモがスタートし、始めて薄暗くなった都心に出かけて行きました。
いても立ってもいられない思いを日々かかえ、
被災地の方々のお役にたてる事を考えては
仮設住宅へミシンや座布団、傘布のカーテンなどお送りし、女川にお伺いしたり、
震災へ、心も体も傾けていた時期でした、、
が今思うとそのエネルギーは自分の中で崩壊しかかっていた思いを何とかこらえ、
崩れさせないようにするための行為でもあったのかもしれない、、とも思ったりもします。
翌年、家を出る事になりました。
還暦過ぎの寡婦が都会で一人生きていくのは、過酷な現実ではありましたが、
被災地の方々の事をを思うと贅沢な切なさにしか過ぎないんじゃないかと、
その思いをおおいかくすように、明るいほうへ明るいほうへと小さい幸いを見つけて、一日一日を精一杯歩いてきました。
今日はこれから、悲嘆にくれていた日々から救い上げ続けてくれた友人たちと共に「日本と原発 4年後」の映画上映会に参ります。
風化してしまいそうになる、思いを今一度、再認識,再確認をしたいと思います。
この春、都会を離れ、地方に移転をし、又新たな人生をスタートさせます。
尊敬する師から66歳は緑樹(寿)というのこれから緑の幹をあおあおと育て延びて行く事を意味するのよ、、
と背中を押して頂きました。若葉茂れる自分を妄想しながら、明日に希望を見つけて生きて生きて行きたいと自らを鼓舞しています。
震災、原発、それ以外にも日本には激震の余震が今も続いています、そのことをいつも心におきながらいのちあるかぎり、生きたいと願っています。












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